今朝の我が家のリラ(ライラック)の花房です。半分ぐらい開きました。いい香り。
◎東京大学の入学式で映画監督の河瀨直美氏が祝辞を述べたそうです。東大の祝辞と言えば何年か前の上野千鶴子さんの祝辞を思い出します。「東京大学入学式 祝辞(上野千鶴子)」と金曜デモ - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
今回、ネットで当たってみて驚いたのは、その後、この祝辞についてアンケート調査をしたそうです。アンケート結果も面白いのでこちらで:
上野千鶴子氏の祝辞を「評価」したのは誰だったか 東京大学新聞がアンケート調査 | ハフポスト NEWS (huffingtonpost.jp)
◎実は、何人かのツィッターで取り上げられていて、私もコピーしてはいたのですが、ブログで取り上げたものか迷っていました。そしたらつい先日、これまた映画監督の是枝裕和氏の母校早稲田大学での入学式祝辞を取り上げたツィッターに遭遇。すぐ全文を読んでみました。これは素晴らしいと思いました。それで、並べてブログで取り上げてみようと思いました。比べてみると、お二人の違いが鮮明になってきます。社会というか、権威とか権力というものに対する姿勢のようなものが、くっきりと違って見えます。そして若者への信頼と励ましのエールという点でも是枝監督の言葉が響いてきます。
🔲岸原さやさんがリツィートされていますが、最後のくだりから引用されている箇所を私も少し多めにコピーしてみます。因みに私が見た是枝監督映画は「誰も知らない(04)」「そして父になる(13)」「海街diary(15)」「万引き家族(18)」。写真はネットからお借りした「万引き家族」でカンヌで受賞した時のもの:
2204_speech_koreeda.pdf (waseda.jp)
1987 年本学第一文学部卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組の演出を手がける。1995 年、『幻の光』で映画監督デビュー。2004 年、『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭にて史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞。2013 年、『そして父になる』がカンヌ国際映画祭審査員賞受賞。2014 年に独立し、西川美和らと制作者集団「分福」を立ち上げる。2016 年、映画・映像制作者としての活動を高く評価され、第8 回伊丹十三賞を受賞。2018 年、『万引き家族』がカンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高賞)を受賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート。2019 年、全編フランスで撮影した日仏合作映画『真実(原題:La Vérité)』が日本人として初めてヴェネチア国際映画祭コンペティション部門オープニング作品に選ばれる。2019 年早稲田大学坪内逍遥大賞を受賞。2014 年より本学理工学術院教授。
( 1~4頁途中まで省略)
教員として早稲田の学生と話していて一番感じるのは、世の中にあまり不満がないということです。先生は何故いつもそんなに怒ってるのですか?と何度か聞かれたことがあります。あえて挑発的に言いますが、あなたに不満や怒りがもし無いのだとしたら…それはあなたたちがとても恵まれているからです。いかに恵まれているか、を自覚して下さい。そして、恵まれていない人があなたの周囲に存在していることに是非気付いてください。そして、自らが、誰かの、世界の不幸や不平等に加担していないか?
そのことを自らに問うて下さい。そうしたら、見えないものがあなたの周りに見えてくるかも知れない。あなたのようには恵まれない人たちの存在が見えた時に、それでも不満も怒りも感じずに生きられるかどうか。恵まれている。それは確かにあなたが勝ち取った権利かもしれない。しかし
それは、私たち大人が出した問いに、上手に答えられたに過ぎないと、明日からは考えて、問いを出した私たちを否定しなさい。私たちの脅威になりなさい。
決して、今の社会に順応するだけの、器用さを手に入れるだけのために人と会ったり本を読んだり、この大学に通わないでほしい。
あなた方のエネルギーだけが、この世界を変えることが出来るのだから。
私たち大人の敵になることが、世界を半歩先へ更新していく原動力になるはずです。良い敵になって下さい。
みなさん、ご入学おめでとう
◎続いて、河瀨直美氏の東大入学式祝辞全文ですが、私が見た映画は「萌の朱雀(97)」「殯の森(07)」「朝が来る(20)」:
令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)
🔲WEBで朝日が紹介した記事を読んでの批判ツィートと、東大でこの祝辞を聞いた方のツィートもあります。河瀨氏がウクライナ侵攻について言及している箇所は朝日新聞デジタルが引用(太字黒の箇所)しています:
🔲全文を読むと「自分語り」なんですが、この方がどうして権威とか権力と一体化?した物言いをなさるようになったのか・・・やはり五輪がきっかけ?それともカンヌ受賞が続いて?
🔲善悪とか絶対的なものに対しての中立的立場というのがマヤカシなんですが:
🔲祝辞とは離れますが、河瀨氏の「私たち日本人は」と一体感を強調する言い方、そこに異なる意見を持つ日本人が排除されているのでは?と感じる人も大勢いる事への配慮の欠如、或いは「排除を狙った」言い方なのかも:
PS: