新聞から「山崎豊子さん死去」と「チェルノブイリは今」

山崎豊子さん死去について、一昨日の日経の夕刊は一面のみでサラリと。隣の母が読んだ後渡してくれる讀賣夕刊は1面と13面に大きく。今朝(火曜)の日経では43面に取り上げられ「評伝」も掲載されていました。月曜の読売夕刊の記事から取り上げてみます。
主な著作の一覧表を見ると、私は「白い巨塔」あたりからテレビでその作品を見ていることになります。本を読んだのは「沈まぬ太陽」とNHKドラマの後で「大地の子」を読んだだけです。珍しく現代劇をNHK大河ドラマが扱った1984年の「山河燃ゆ」(原作は「二つの祖国」)に主演した松本幸四郎さん(71)のお話が囲み記事で紹介されていますので、まずそちらから:「いわゆるきらびやかな絵巻物のような作品ではなく、昭和を取り上げた作品で、赤裸々な血を吐くような作品でした。小説を超越した問題提起をされる作家で、人間の本質を追究された方だと思う。ロケ現場でもお会いしたが、とても魅力的な素晴らしい女性でした
西田朋子という女性記者の記事の後半「評伝」を移して追悼にかえます:

戦争体験原点 過ち問う


「評伝」 長年にわたる心身の酷使が、作家をむしばんだのか。2009年春、『運命の人』完成直後に堺市の自宅を訪ねた際、山崎さんは話すのもつらそうに見えた。それでも沖縄取材のことに話が及ぶと、「コバルトブルーの海が、真っ赤な血の色にしか見えなくなった」と涙ぐみながら、率直に心境を語ってくれた。
 山崎さんを突き動かしてきたのは、この心ならずも辛酸を強いられた人々の痛み、苦しみではなかったか。山崎さんの胸には、取材相手一人ひとりの顔と声が生々しく刻まれていた。悲願だった映画『沈まぬ太陽』の完成に際しても、「ご遺族のことを思うと、笑顔では喜べない」と涙した。
 文壇と一切かかわらず、修行僧のように作品に向かい続けた。その原点には女学生時代の戦争体験、勤労奉仕に明け暮れ学業の夢を道半ばに絶たれた悔しさがあったように思う。
 だからこそ「昭和」という時代を問い続けた。戦争という国家の過ち、その暴力性に、徹底的に個人の目線で切り込んだ。歴史、あるいは組織に翻弄されて、なお屈しない「人間の尊厳」を描き続けた。日本人は戦争をどう総括し、乗り越えてきたのか。経済大国として生まれ直す過程において、過誤はなかったのか。 
 「体の中から小説が湧き出てくる限り、書き続ける」。自宅を辞する折、声を振り絞るように語った約束を守り続けた。ペンを唯一の武器としてたった一人、壮大な闘いを挑み続けた山崎豊子さんほど、国民作家の名にふさわしい人はいない。

○大事な人が亡くなって、寂しいですね。
◆続いては日経の9月29日、「SUNDAY NIKKEI」の「チェルノブイリは今(1)」
この記事のリード部分を引用しますと:

世界を震え上がらせた1986年4月の爆発事故から27年以上たち、チェルノブイリ原子力発電所が大きく姿を変えようとしている。2015年に巨大なアーチ型の新シェルターが完成し、事故で壊れ「石棺」にした41〜3号機も核燃料を取り出して解体作業が始まる。しかし、国際協力で後押しされてきた廃炉計画の将来には不透明さが残る。

◇新シェルターは完成すれば東京ドームの半分を覆えるサイズ。重さは3万トン。完成後、レールで移動させて、4号機を外界から遮断する。
 1986年、4号機は爆発と火災で炉心が悲惨した。残る核燃料やがれきによる汚染が広がるのを防ぐため、旧ソ連政府は約200日の突貫工事で建屋の倒壊を防ぐ補強をした。石棺と呼ぶ応急の壁と屋根だ。
 ざらしの石棺が老朽化、さらに解体に着手すると放射能を帯びたホコリが新たに飛び散る。これまでも屋根材の落下事故や建屋内での作業などで、放射性物質が飛散してきた
新シェルターは石棺を外界から遮断し核燃料の回収と廃炉が安全にできる環境づくりを目指す。2007年から仏大手ゼネコンが中核の国際コンソーシアムが工事に着手。建設費は日米欧など40か国以上が約15億ユーロ(約2千億円)を出した。新シェルターの設計寿命は100年。
隣接する1〜3号機は2000年に全機停止。今は廃炉に向け核燃料の取り出しが進む。 取り出しを終えた3号機は「発電施設」から「放射性物質処理施設」に位置づけが変わった。 14年から廃炉作業に着手する。 解体に伴って生まれる鉄やコンクリートを砕いてドラム缶に収容する固体廃棄物処理施設がほぼ完成し、試験稼働中。廃液を処理する施設もできた。
 ただ「原子炉には50年は手を付けない」。まずタービン建屋から着手し、原子炉は放射線レベルが下がるまで待つ。使用済み核燃料は、「乾式」(空気の対流で冷やす)の中間貯蔵施設がトラブルで予定が遅れ15年完成まで、まだ敷地内のプールにある。廃炉が最も困難な4号機では、溶けた核燃料が金属やコンクリートなどと一緒に固まり溶岩状の塊になっている。
 今後は核燃料の回収に向けて具体的な計画づくりと技術開発が必要だが、資金の工面が難関。これまでは国際協力が支えだったが、今後の見通しはない。チェルノブイリ原発の元主任技術者のクプニイ氏は「日本は資金も技術もある。福島の方がこれからは先をすすむのではないか」とみる。「ただし、汚染水に足をすくわれなければの話だ。チェルノブイリと福島は違いもあれば共通点もある。互いに学ぶべき事が多そうだ。」と編集委員の滝順一氏が結んでいます。
○共通点は、事故の深刻なレベル、違いは、日本政府にやる気がない事か・・・・応急措置の石棺化も事故後同じ年の7カ月後にやっています!! もうすぐ2年7か月、何をやってるんだ、やってないんだ!!