「自然と人、人と人とが和する道以外、生き延びる道はない」(中村哲)

ペシャワール会報」が届きました。ペシャワール会は今年30年を迎えています。アフガニスタンでの「緑の大地計画」の報告も最初に掲載されているのですが、今回は、福岡アジア文化賞(大賞)授賞式のスピーチがとても良いので書き移してみます。3分の2ほどはアフガニスタンのことだと思って読んでいるとこれが日本の世界の今とつながってきます。

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「精神と道義の貧困」が蔓延する世界の中で
   −−−福岡アジア文化賞(大賞)授賞式でのスピーチ

  PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表 中村 哲

 中村哲医師は、2013年9月、福岡アジア文化賞大賞(福岡市、公益財団法人よかトピア記念国際財団主催)を受賞した。
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 「福岡アジア文化賞」を授与される栄誉に、感謝と喜びを申し述べます。
 私がこのような賞に相応しいか、正直なところ自信がありません。 私の世界は、九州とアフガン東部だけです。いわゆる「国際人」ではありません。
 しかし、30年間の現地活動を通して、アジア世界全体に共通する苦悩を多少分かち合えるかも知れません。
 アフガニスタンは過去35年間に及ぶ戦乱、外国の干渉に悩まされると共に、大規模に進行する干ばつと洪水で、人々は生存する空間を失いつつあります。現地の気候変化=温暖化による影響は生やさしいものではありません。かつて完全に近い食糧自給を誇っていた農業立国は、自給率が半減し、瀕死の状態です。国民のほとんどが現金収入のない農民であることを思えば、これは恐れるべき事態です。かつて完全に近い食糧自給を誇っていた農業一国は、自給率が半減し、瀕死の状態です。国民の殆どが現金収入のない農民であることを思えば、これは恐るべき事態です。
 報道で伝わる「アフガン問題」は、政治や戦争でなければ、アフガン伝統社会の暗黒面ばかりで、自然の猛威が大きく取り上げられることは余りなかったと思います。
 こう述べる私たちも、初めは気づきませんでした。私たちPNS(平和医療団・日本)は名前の通り医療団体ですが、2000年に大干ばつが顕在化した時、清潔な飲料水と十分な食糧があれば多くの患者が死なずに済んだという苦い体験がありました。
 国際支援の中で、水欠乏=干ばつによる食糧不足はあまり重視されなかったので、自ら飲料水源、大小の推理設備の充実、とりわけ取水設備に力を入れてきました。多くの地域で地下水の枯渇と共に、大河川からの取水困難がおきているからです。
 現在私たちは、アフガン東部の穀倉地帯の一角で、1万6500ヘクタールで暮らす65万人の農民たちの生存空間を確保し、ひとつの「復興モデル」を完成しようとしています。戦は解決になりません。軍事干渉は、事態をいっそう悪くしてきました

 翻って見ると、これはアフガニスタンだけの問題ではないようです。世界を席巻する国際社会の暴力化、多様性を許さぬ画一化の中で、アジア世界全体が貧困にあえいでいます。その日の糧に窮するだけでなく、固有の伝統文化を失い、故郷を失い、人間の誇りを失い、和を失い、経済発展のためなら手段を選ばぬ「精神と道義の貧困」が蔓延しています。加えて、自然を思いのまま操作できるような錯覚は、世界に致命的な荒廃をもたらそうとしています。気候変動=自然に対する関心のなさ自身が、現代の病理を現しているような気がしてなりません。
 他人事ではありません。やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れるでしょう

 人も自然の一部です。科学技術や医学、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人とが和する道を探る以外、生き延びる道はないでしょう。でも今回、過去の受賞者の方々が温めてきた主張を見ると、驚くほど共感できるものが多く、自分が決して孤立してはいないことを知りました。これは大きな励みです。この声が今は小さくとも、やがて大きな潮流となることを祈り、感謝の言葉といたします。
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「事務局便り」の中から:

30年前、中村医師のミッション病院(パキスタン・ペシャワール)ハンセン病棟への赴任を後方支援するために発足したのが1983年9月18日。発足の頃のことを中村医師が次のように:<大雑把にいうと、「日本人の意気に感じて」現実的事業遂行を助けようとする良心的な人々が集まった。従って統一した思想も信条も何もなかった。この事がペシャワール会の独立を生むと同時に、現在に至るまで、会の性格を決定づけている。会員層も実に様々で、、宗教性や政治性は名実共にない。会の方針が「無思想・無節操・無駄」の三無主義と言われる所以である。ただ、「政治性」とあやまられ得るものがあるとすれば、現地での実事業を優先、異なる文化を許容し、相手が個人であろうと国家であろうと、生命を軽んずる暴力主義を排除することである。この姿勢は一貫している