10月のお茶のお稽古

 
昨日、10月31日はお茶のお稽古日でした。
足を悪くしていたNNさんが初めて自分で運転してこられましたが、助手席には誰も見えず、Nさんは?と聞くと、都合がつかずにお休みとのこと。そこへ、先生も見えて外で立ち話になりました。
私は気になっていた黒い実がなっている木の名前を聞いてみることに。「みの一つだに・・・のあれ」と仰ったので、二人で「あ〜、山吹!!」「そう、その山吹の白い花の木にこの黒い実がなるの」と言われました。聞いてみるもんです! 黄色い山吹にはどんな色の実がなるんでしょう(PSにて調べてみました↓)。
玄関わきにはブッドレア(藤ウツギ)の花が咲いていてカメムシ?がへばりついて蜜をすっていました。

お部屋に入ると床の間の花かごに秋の草花が活けて有ります。秋の残花は沢山活けても良いというので写真で見ると、水引草、フジバカマ、ホトトギス、黄色はツワブキ、小菊はヨメナかな、一番下はブッドレアです。香合は柿をかたどった木彫り。
お軸は珍しい絵入りの文章。「それは印刷ものよ」と先生が。馬の背には松尾芭蕉さんがいて、書いてあるのは奥の細道の出だし、「旅立ち」のタイトル?をつけて有名な「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」ですが、続けて「舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず・・・芭蕉」と書いてあります。写真は今回も動いてしまって駄目です。

この日も、足の悪いNNさんはお客さん、ということで、私が立礼式でお茶を点てることに。
ピンクがかった萩焼のぽってりしたお茶碗と、松葉にドングリが描いてある多分京焼のお茶碗を選びました。
先生の声を頼りにお点前を進めていきます。
袱紗がやはり鳴りません。悔しいな〜〜と思いつつ、赤い可愛い棗を拭きました。胴には稲に鳴子と雀が描かれて、蓋の上には輪になった3羽の雀が描かれています。
水差は刷毛目模様の変った筒型(この写真もピントはずれ)。二服点ててからはお休みのNさんの分お喋りしてもいいからと三人でまさにお茶飲み話になりました。暫く話した後、先生が私のためにお茶を点ててくださることに。
主菓子は柔らかくて甘いおはぎでした。
お茶碗はススキの穂に内側に月が描かれたものと、貫入が見事に細かく全面に入っている深くて一風変わったお茶碗。
すぐ先生が「それは高麗茶碗。お茶用のお茶碗じゃなくて、何かに遣う食器だと思う」と。韓国製の見立て使いです。

PS:ブログを書いてから、「みの(実)の一つだになきぞ悲しき」というわけだから、実がならないんだと思いましたが、もう一度調べてみることに。
そこで分りました。八重の山吹には実がならないが、一重の黄色の山吹には実がなるんだそうです。一重の花の場合は、めしべの周りを長いおしべが取り囲んでいるのに、八重の花にはおしべがなくて、全部花びらになっているんだそうです。ということは、先生のお宅の黒い実は、一重の白花山吹ということ?来年の春確かめてみよう。
◇ついでに、この歌と、作者と太田道灌について:

【七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき】

 この歌は、後拾遺和歌集にある兼明(かねあきら)親王の歌です。その詞書によると、「別荘にいたとき蓑を借りにきた人がいたので、山吹の枝を渡してやった。翌日その人が、意味が分からなかったと聞いてきたので、この歌を詠んで渡した。」のだそうです。意味は、「七重咲き八重咲きと、山吹の花が綺麗に咲いている屋敷だが、その山吹に実のひとつもできないように、この屋敷には蓑ひとつ無いんだから悲しいよ」といったところでしょうか。つまり、なぞなぞの答えの歌なのです。


 なかなかしゃれているので後世の人に受け、かなり広く知られていた歌だったようです。太田道灌が知らなくて恥ずかしい思いをしたというのもうなづけます。もっとも、道灌のエピソードは作り話だという説もあります。いずれにしろ、そのエピソードのため、この歌がさらに有名になったことは間違いありません。