1泊旅行と「”悩める”当たり前の世の中」(城山三郎)

両親のたっての願いで神奈川の妹たちに会いに行くことに。
新大阪でそれぞれ好みの駅弁を買って新幹線に乗り込みました。
出発のは日はスッキリとした高原の朝みたい。新大阪までタクシーで向かいました。それぞれ二人掛けの席の前後に座って、一路小田原へ。
静岡県に入って掛川辺り、茶畑が見えてきました。

途中、原から新富士あたりで富士の裾野とうまくゆけば富士山が・・・・残念。

小田原で新幹線を降りて在来線で茅ヶ崎へ向かいます。
杖を頼りにゆっくり歩く父ですがどこの駅もエスカレータやエレベーターがありますので階段は使わずに済みました。疲れたらキャリーバッグの上に腰かけてもらって、歩くときは母が手を引いて。一人で歩くのは自信がないのか、母も転ぶといけないからと手を貸しています。
東海道線、大磯の駅を通るとき母が吉田茂首相の別荘があったとこね・・・と。
海が見えますし、山が迫っていて、確かに別荘地なんですね。
茅ヶ崎の妹が車で迎えに来てくれて10年ぶりくらいでみんなで合流。と言っても、毎年3月には会っているのですが関東方面はここ10年以上ご無沙汰でした。久しぶりのにぎやかな食事になりました。皆で食事をしながら父もビールを。朝早くから起きていたというので酔いが回って先に横に。両親にとっては昨年のお見舞いのお礼の訪問と大事な話(土地の名義の書き換えについて)もできて目的達成でした。
帰りは小田原2時8分発のひかりで大阪へ向かいました。米原(まいばら)の手前で伊吹山が見えました。

京都駅からは10数分で新大阪です。

出がけにバッグに突っ込んだのが読み残している文庫本の城山三郎著「嬉しうて、そして・・・」。
娘の井上紀子氏が「あとがき」を書いておられて、「今のこと?」と思うほどピッタリな文章がありました。書かれたのは2007年6月末となっています。少し書き移してみます:

「書くこと」だけにこだわり、無所属で走り続けた父。その父の残した宿題。それは「当たり前のことが当たり前にできる世でありつづけること」。つまり、自分で考え、自分で判断し、自分で選択できる世の中であること。選択肢があるが故の「悩める」ことの幸せ。言論・表現の自由があってこその平和。その為に、人間としての品格を持った、成熟した大人になること心は少年少女でも、人間は「大人」でなければならない。知らず識らずのうちに恐ろしい世の中になってしまわないように


◎そういえば、城山氏は茅ヶ崎に住んでいました。そして、2002年、森内閣個人情報保護法を提出した時点からこの法案の危険性を指摘し反対されたそうです。
今の政府の考え方としては、新聞やテレビは報道機関としてより、何よりもまず政府の良き広報であれ、という感じ。それが今回のメディア規制法案の底流にありますね。つまり、広報と報道の区別がまったくついていない。それにメディアの側から乗ってしまっては、まさに自殺行為としか言いようがありません」。
◎さて、無事家に帰って、一息ついて、お土産のお菓子の箱を開けると、車窓からはあいにく見えなかった富士山が!!世界遺産登録記念」のクッキーになっていました!