年の初めに

明けましておめでとうございます。

暮れに壊れたパソコンをそのままに、夫のパソコンからのご挨拶です。

元旦、3人で聖天さんと龍安寺のお参りから帰ると横殴りの大雪。
珍しい雪に寒牡丹や、姪っ子が送ってくれた啓翁桜がほころんだ写真も
ブログには載せられず、残念な、お正月のご挨拶となりました。

今年も、よろしくお願い申し上げます

27日から山に出かけた夫は初日の八ヶ岳が素晴らしいお天気だったので、出かけた皆が大満足、お天気が崩れるのを見越して、1日早く29日の夜には戻ってきました。
31日には、沖縄の次男が、そして、本当に珍しく、お正月1日の夜8時過ぎには長男が!
1日の5時半ごろから隣の両親を交えて5人でお刺身から鍋。そろそろ終わって両親が隣へ引き上げようかという頃、いつ帰って来るのか?と夫が携帯へ電話。今、新大阪!。なんで新幹線に乗る前に連絡しないのだ・・・(実はメールしたのに、届いたのが本人到着の後という珍事!)とみんなでわいわい言ってる所へ本人到着、やっと6人全員そろいました。
2日、朝は両親交えて全員集合でコーヒータイム、お目出度いことでした。この日、次男は大阪の友人たちと過ごすとかでお昼前から外出。夕食は再び両親を招いて今度は次男抜きの5人で。
ワインが回ったせいかご機嫌の父が正面に座った長男の顔を見て、「顔が変わったな〜」。去年4月から独立した長男のことを思って、夫が「責任者の顔になってきました」とフォロー。「そうか」と父も納得顔。「幾つになった、35歳か?」と10ほど若い年を言うので大笑い。「ところでお父さんは今年は幾つになるのよ〜」と私。父は笑いながら「わからん、知らん」と言うので一同大笑い。隣に座っている母が「お父さん、今年誕生日が来たら99歳よ。来年は百になるのよ〜」「そうか〜」でした。後からこの話を聞いた次男は、「お祖父ちゃんは、次元の違う世界を生きてるの、あの人は」。

実は、31日の大晦日、夫は2軒の肉屋とスーパー2軒を訪ね歩いてステーキ肉を張り込んで買ってきました。両親にはサイコロステーキにして出しました。ところが、父は固いと言いだして食べなくなりました。夫も私もビックリ! レアにしたらマグロのトロみたいに柔らかいと息子は言ってるのに。母曰く「90歳も後半になる人の食生活がどんなものか、歯が悪くなった人の食事がどんなものか、想像したこともなかった。父の食事の世話をするようになって初めて知った。固いものはダメ、かといって柔らかすぎて喉にくっつくようなのも、吐き出す筋肉が弱っているので喉に詰まらせる危険があるからダメ。お豆腐とか湯葉とか茶碗蒸しとか、柔らかくて栄養価の高いものがいいの」と。そうか〜母にとっても90代の老いは未知の世界なんですね。
そうやって毎日父のための食事に合わせていたせいか、母はこの日のステーキが”柔らくて美味しい”と全部平らげてくれました。これからは父の食事は母に任せて、母のために用意すればいいのだということが分かりました。さて、父の食べるものが無いと、あわてて大晦日に作ったおでんの大根や小芋や人参など軟らかいものを選んで器にとったり、黒豆を小皿に入れたり。もともと豆好きの父のこと、丹波黒の黒豆を気に入っていつまでも突っついています。晦日の日から準備して大晦日の半日石油ストーブの上にかけて煮込んだ黒豆、今年も我ながらいい具合に出来ていましたので、小さなパックに小分けしてお土産に持って帰ってもらうことに。
3日、朝、4人で食事して、隣を呼んでのコーヒータイムを終わって長男は新大阪へ。その日、本やCDなどを5つの段ボールに詰めて沖縄へ送る準備をした次男がお昼過ぎ蛍池の大阪空港から沖縄へ向かいました。4人家族ですが、孫がいない分、私には両親がいる。6人分を準備すればいいんだこれからはと思ったお正月でした。

1日の夜、両親も隣に戻って久しぶりの家族4人で飲みながらNHKスペシャルを観ました。昭和20年8月22日生まれのタモリさんを囲んで戦後70年を語る番組でした。終戦の丁度1週間後に誕生したというタモリさん、50代の中園ミホさん(「花子とアン」の脚本家)、40代の堺雅人さん、80代の半藤一利さん。「戦争に負けたのに終戦、敗戦と言わないでしょ、オカシイよね」とタモリさん。息子たちは「タモリには嘘がない」と言います。戦後の節目節目を映像でたどりながら、それぞれが感想を。タモリさんの「あの時期から、国とは距離を置くようになった」という発言にも息子たちが「いい感覚してるよね」とか。
ノーベル物理学賞の赤崎勇氏がビデオで登場。85歳で敗戦時は15歳。焼野原を見て平和でなければと思い、国の再建のために貢献したいと諦めずに励んだというお話でした。40代の堺さんが「みんなスタートは戦争だったんですね。戦争に負けて、そこから平和な日本をと先輩世代が頑張ってきた。それを受け継いでいかなきゃ」。同世代の二人が「タモリさんに負けないくらい堺、良いこと言ってるね」。タモリさんはハッキリと「戦争に負けたとき、祖父(じい)さんが戦争はやっちゃいかん」と言ったのを覚えていると。赤崎さんと同年代の半藤さんが要所要所で適切な発言。やんわりでしたが反戦・平和に貫かれていたのが、お正月、家族で見るには気持ちの良い番組でした。
沖縄の那覇市で仕事をしている次男の話では、オスプレイの音が独特で、あれが飛ぶとブルンブルンと腹にこたえて中国と戦争してるという気がしてくる。僕は国を守るより家族を守りたい、それで十分だと思うと夫に向かって言ってるのを、大晦日、年越しそばを準備する背中で聞いていました。沖縄は外国人が増えているのだとか。中国人が特に増えている。中国、本当に沖縄が欲しいんじゃないの・・・とか。妙に生々しく尖閣や沖縄、米軍基地や中国の問題を身近に感じるお正月でも・・・。

PS*大晦日の紅白でサザンホールスターズの桑田佳祐が歌ってたのは少し露骨で説教くさいと思いましたが、「ピースとハイライト」(「タバコやん!」と息子が)という歌詞はなかなか風刺がきいていました。年末、安倍首相が沖縄県知事に会わずにサザンのコンサートに出かけたそうです。その時、桑田さんは歌詞を変えて安倍さんのやり方を批判したとか。一度大病をして生き返ると怖いものなしになる気持ちは分かります。この紅白、我が家では隣の母も、次男も私たちも、大不評! 締まりのない内容で、「これで”ゆく年くる年”には行けない」とか、「じっくり歌が聞けると思ったのに、これでみんな喜ぶと思ってるのかしら?」と母まで。今年の年末は紅白はもう見ないかも・・・。ところで、「あきつ・あんてな」さんに、「ピースとハイライト」の歌詞が載っているサイトの紹介がありましたのでコチラで:http://www.uta-net.com/movie/150317/