十二支の置物と沖縄の焼酎「うさき」

先日、母が大事そうに紙でくるんだものを手にして渡り通路から我が家に。よかったらもらってくれない・・・と言いながら、紙包みをほどきだしました。表には父の字で
支那製品」と書いてあります。母によりますと、今から30数年前、父が友人と中国旅行に行ったとき、お土産に買ったものらしいということです。
小物の民芸品が好きなのは私と次男が引き継いでいるようです。大きな紙包みの中に、また一つずつ紙でくるんだかなりの重さのものが12個。開けてみると干支の動物たちです。色鮮やかで、買い求めたばかりのように見えます。

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干支の考え方はもともと中国からきていて、今年の猪は中国では豚だそうですね。日本が取り入れた時、まだ日本に豚がいなかったので猪になったとか。中国では今年は豚年です。テレビで仕入れた情報ですので合っているかはわかりませんが。そこで、手前右端の黒いのは? イノシシというよりブタに見える?でも、目つきはイノシシですね。どっちかな?

母に、ありがとう!と言って、さっそく黒いベークの敷物を食器棚から出して12匹の動物たちを並べてみました。今、玄関のげた箱の上に飾っています。

その母、朝は、食事の時、一緒に朝ドラの「まんぷく」をチラチラ見ています。母はドラマや映画や小説などのフィクションは嫌いなので、自分では見たり読んだりしません。その代わり、新聞やニュース番組、NHKの政治討論(これは我が家ではTBSのサンデーモーニングを見ますので、この時間、我が家にいると見られないことに)、それにワイドショーがお気に入り。

夕食時は、6時から始まって、夫に付き合って小さなお猪口やグラスで日本酒か焼酎のお湯割り、赤か白のワインを少し飲んで30分ほどで食事を終わってしまいます。かなりの早食い。終わると、まだまだ序の口の夫をからかったりして、最後に夫に向かって「それでは、心行くまでごゆっくり」と言って引き揚げます。

先週の日曜日から土曜日まで、沖縄から次男が帰ってきて、4人でテーブルを囲んでにぎやかになりました。それも、6回の夕食のうち我が家で食べたのは1日おきの3回だけ。最終日になった木曜の夕食時。夫が、今日は飲みますか?に、母が、いや~とあいまいな返事。私が、沖縄の泡盛を試してみたいんじゃないの?と言うと、そんな貴重なもの~。夫が大事にしている「御酒(うさき)」という一寸上等の焼酎、次男が帰省する折は必ずお土産に買ってきてくれます。母は最初の日から、どんな味かしら?と興味津々。夫は、貴重な泡盛なので一滴だってもったいないとう感じ。そこで、次男が助け舟。「おばあちゃん、いいから、飲んでみて」に、母も「そ~お、じゃ、物は試し、一寸もらおうか・・・」ということに。

氷を入れて、溶けだしてからと夫が言うのに、待ちきれない母が一口、「きびしい~!味ね~」と一言。みんなびっくりして、次男も「おばあちゃん、それは、そのまま飲むもんじゃない。そのまま飲む人はいないよ」。しばらくして、氷で薄まったのを口にして「これは、おいしい!」と。母の好奇心旺盛なのには、いつもながら感心です。

さて「御酒(うさき)」という名の泡盛には、こんな話が。

1935年、発酵学の世界的権威・故坂口謹一郎東大名誉教授が、こうじや桶の周囲の土を採取。この時、坂口博士は沖縄で68の酒造所を回って約620株の黒こうじ菌を研究採取し、東京に持ち帰ったそうです。

1939年、第二次世界大戦。1944年、東京の空襲激化、坂口博士は黒こうじ菌株の「疎開」を決意。研究室の床板をはがして箱を作り、博士のふるさと新潟県高田(現上越市)などに分散。

1945年、沖縄戦終結、県内の黒こうじ菌全滅。

3か月以上に及ぶ地上戦で、酒造所が集中する首里は地形も変わる壊滅状態に。酒屋ごとに長年伝えられてきた個性豊かな味わいの菌はすべて絶えた。

8月終戦、そして長い眠り

物資が底をついた終戦直前,黒こうじ菌はその強い糖化力からアルコール生産原料として期待され、東大でも実験も行われた。幸い研究中に終戦。沖縄の菌は戦争にかかわることなく保存棚に戻り、そっと忘れられて行く。

坂口博士の沖縄採取菌は、戦後何度か処分の対象になりながらも、奇跡的に東大分子細胞生物学研究所のコレクションに残されていた。14工場の19株、採取時のわずか3%。14の禁酒のうち酒造りを続けていたのは、瑞泉酒造(株)を含む2社だけ。他の酒屋は沖縄戦以後に廃業しており、それらの菌は帰る先がないまま。

この年、11月、瑞泉酒造が戦前の味の復活を決断。

1999年2月5日~5月26日「関係指導機関の完全な技術指導と熟練杜氏の昼夜問わず赤子を看るごとき情熱の中、すべての困難は、奇跡のように次々と覆ってゆく。今となれば菌自身が復活を熱望した故の結果かと思われる」復活を遂げました。

6月1日 蒸留。「幻の酒」復活

取材陣約50名が見守る中、戦前の味を知る瑞泉酒造の前会長が、生まれたての一番酒を口に含んだ。蒸留直後にあるはずの、鼻をつく匂いの代わりに果実香が漂う。「昔の酒よりうまい」。父祖の酒に余計な名づけは無用と、銘は「御酒(うさき)」とする。

(「よみがえる泡盛の源流 御酒(うさき) 瑞泉(平成11年)」パンフレットより)