金色に輝く菜の花と母のお供でデパートへ


昨日はヨーガの日、父は午後からリハビリの日です。
朝のコーヒータイムの時に、母から、午後、千里阪急の買い物のお供を頼まれました。
母が以前から指輪がグサグサになって抜けて飛んで行くと言ってたの知っていましたが、数日前、とうとう抜けて無くしたとか。新聞広告のチラシで、その日から特設会場で指輪を売っているとのこと。父も買ったらいいと言ってるので、一緒に行ってと言われました。夫も、車を出してあげるからと約束が出来ました。
それにしてもスゴイな〜、と私は感心。私も90代になっても指輪が買いたいと思えるだろうか…なんて、つい口に出したら、「幾つになってもお母さんみたいにオシャレで若い気持ちでないとダメだ」とサンルームから夫が言っています。
ところで、今朝、ヨーガに行くとき、サンデイの隣りの菜の花畑が朝日を受けて金色に輝いていました。
これは!…と、バッグからカメラを取り出して覗いていたら、何方かが近づいてきて、「綺麗やな〜」。幼馴染のIくんです(今はYさんですが)。二人して「キレイやな〜」「キレイよね〜」と言ってると、彼の方から、「同窓会の案内、来た。今度は行くから。ありがとう」と言われました。
男三人兄弟の次男で養子結婚。それなのに、親をみるために箕面に帰って来て同居。同じクラスになったことはなく、母親同士が仲良しでした。子供会の世話役をしていたYくんと親同士で話すようになり、夫が通勤の電車で一緒だったとか、その内、入院してたとか、定年になったとか。彼のお母さんが亡くなった時、最期の様子を母に伝えに来てくれました。母が、「よくお世話したね。お母さんも喜んではる。今度は、同窓会にも顔を出さなあかんよ」と言っていました。地元に帰って来てからも一度も同窓会には顔を出したことが無かったのです。

何度か誘ったのですが、その気でなく、その気になった時には、案内が来ないということも。私から、幹事さんに案内を出すように頼んだ時には丁度奥さんの父親のお葬式と重なったり。去年の同窓会で今年の幹事役が決まった時、その幹事さんに、もう一度案内を必ず出すように頼んだのを思い出しました。
「そう! 良かった。じゃ、4月18日は、久しぶりに又いろんな人に会えるね」。彼の方も、また、「ありがとう」と。[じゃぁ」、「じゃぁね」と言って別れました。
菜の花の黄色が金色に輝いて見えたのはこんなこともあったから・・・・同窓会、出なきゃならないもんではありませんが、出てみようかと思えるようになれるというのは幸せなことです。母がきっと喜ぶ、お供の時に報告しようと思いました。そして、案の定、母は、”そうか〜、それは良かった〜!”と喜んでくれました。

あんなに素晴らしいお天気だったのに、ヨーガの帰りにパラパラと降り出して、父のリハビリのお迎えのころには大雨。小止みの雨の中を車で千里中央まで送ってもらって、千里阪急百貨店へ。母はお目当ての指輪を買うと、私を紳士服売り場の奥にある喫茶店に誘いました。紅茶とチーズケーキを頼んだのですが、いつもウェッジウッドの苺の食器が出てくるのに、今回は真っ白です。両隣はストロベリーなのに、新柄なのかな〜と、写真に撮ってみました。対の柄のお皿をひっくり返して確認。ウェッジウッドに間違いなし。ポットの形がなかなか素敵です。
ところで、Y君とは小学校の同窓生ですが、中学校も一緒でした。火曜日、歩きがてら、坊の島のリサイクルショップ”ぶらぼう”の帰り、桜の木を撤去していた二中の工事はどうなったか見てみようと寄ってみました。北小を卒業した私たちの学年から新しく出来た二中に行くことになりました。放課後、先生も生徒も一緒になって一列に並び、北の端から南に向かってしゃがみながら石ころを拾った運動場です。60年間、変わらない運動場の景色が一変していました。

被昇天学院から南下する道路は、二中の運動場の西北に沿って曲がっていましたが、拡張されて直進に近くなっていました。ここは三叉路どころか五叉路。中学生だけでなくて萱野小学校の小学生も通りますが、大人でも横切るときに怖い思いをするぐらいです。傾斜地に立っている校舎は南側で、北側にある運動場は校舎より高い処にあり、道路は西北の角では崖の上です。西北側の運動場の端を道路と同じ高さに土を積む工事をやっていました。削られた運動場には真新しい背の高いネットが張り巡らされていました。曲がり池から小学校への道の反対側には、住宅街に入る道と、唐池公園に向かう小さな道、その間の三角の小さな駐車場、そう、あのザクロの木はどうなった?と、見ると、随分隅っこの方に残っていました(3枚目の写真)。それだけ、道が広くなったという事です。年度末の突貫工事だとしても、これは値打ちがありそうです。
帰る途中、ご近所の満開のユキヤナギと、これも満開のミモザ