金曜デモと約束の金曜日

11月11日は金曜デモの日でしたが、昨日は特別。

ということで、今週も官邸前へ。今週は政治家や大学教授など大勢のスピーカーを呼んだ拡大版だそうです。

★1111再稼働反対!首相官邸前抗議 | 首都圏反原発連合

SPYBOYさんの声です「今日の参加者は主催者発表で3000人。フクシマの事故から約5年半経っても、相変わらず多くの人が粘り強く反対の声を挙げ続けています。寒い〜(笑)。」
「特別な1日」さんのブログ、今回のタイトルは「『アメリカン・ブリクジット』(終わったら、始めるだけ)と『1111再稼働反対!首相官邸前抗議』」(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20161111/1478870609
アメリカの大統領選の結果を受けて書いておられます。ぜひブログを訪ねて読んでみてください。
タイトルになっている『アメリカン・ブリクジット』というのはマイケル・ムーアさんの次の言葉から:                      

映画監督のマイケル・ムーアが今回の選挙の事を『アメリカン・ブリクジット(EU離脱)』と言ってます。アメリカ人は、自ら(本来の)アメリカを離脱することを選択した、と言うのです。確かに(言葉は悪いけど、良く言われる)『負け組労働者がヤケクソになって、自分で自分の首を絞める選択をした』という点では両者は共通しています。これをポピュリズムと呼べば良いのか、反知性主義と呼べば良いのか。

マイケル・ムーアさんといえば、いち早くトランプ氏の勝利を予測した人でした。ハフィントンポスト紙には次のような記事が:
マイケル・ムーアが投稿した「選挙に負けた今やるべき5つのこと」、16万人以上がシェア」http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/09/michael-moores-5-point-morning-after-to-do-list_n_12891776.html
■「60年代のような反対運動を立ち上げろ」マイケル・ムーア、選挙後2日目にやるべきことを訴える」(http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/10/post-election-to-do-list_n_12907580.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001)
民主党クリントンさんと大統領候補を争って善戦したバーニー・サンダースの声明が。(引用元「晴耕雨読」さん)

■トランプ当選後のバーニー・サンダースの声明


1)ドナルド・トランプエスタブリッシュメントにコントロールされた経済、政治、メディアへの中流階級の怒りを引き出したhttps://t.co/RuwrFouTXU


2)人々は低賃金長時間労働や、いい給料の仕事が中国や他の低賃金労働の国へ流れるのにうんざりし、所得税を払わない大金持ちや、子供を大学へやる学費が払えないことにうんざりしている。その間、金持ちはさらに金を儲けている。


3)トランプがこの国で働く家族の生活を向上させるための政策を真摯に実行する限り、私も他の進歩的な人々も彼と共に働く用意があるしかし民族差別性差別、外国人排斥、反環境保護的な政策を推し進めるなら激しくそれに反対する


◎昨日の金曜日は、隣の母から2,3か月も前から父を山荘の「風の杜」へ連れて行ってほしいと頼まれていました。父の会社の経営計算課という課員の方たちの同窓会です。いつもは大阪の街の真ん中で集まりがあるのですが、今回は父の住む箕面でということに。母は父が会いたいだろうからと早くからこの日を約束していました。
あいにく夫も私もひどい風邪。私は唾を飲み込んでも喉が痛むくらいですが、そんなことは言ってられません。なにしろ、最後かもしれません。百歳にもなると全てのことがひょっとすると最後かも…と思って生きています。12名ほどの参加者に、母は心ばかりのお土産を早くから千里中央の阪急で買い求めていました。父は、経営計算を大阪で初めて(あるいは日本で初めて?)機械化したのだそうです。IBMのコンピューターを導入したのです。当日はクレーン車が来て、会社の二階か三階かの窓から入れたそうです。ちょうど私が一回生の時(1963,4年ぐらい?だと思う?)で、マニュアルの翻訳をやれと渡されました。機械のことなんか何にもわからないのに…と押し付けられた英文マニュアルを前に困ってしまいました。outputとかinput、feedなんて言葉はそのままでいいからと言われて、何とか間に合ったのでしょう。父から何がいいといわれ、木製の本棚を頼みました。何回かの引っ越しにもついてきた今も現役の本棚です。

その時、一緒に苦労した人たちが、父が退職してからも声をかけてくださって集まっています。その中に一人、私の中学校の同窓生がいます。彼女が一番の若手だと思います。昨日も、ロビーで彼女を見つけてわかりました。会社は合併吸収されたので、この集まりも減っていく一方だとか。
父は、名前も人の顔もよく覚えていて、世話役の方に、あの人は? この人は?と消息を確かめていました。皆さん、亡くなられているか病気です。阪急の宝塚線で珍しく人身事故があって集合が遅れていましたが、12時にお一人を残して、車椅子を押して外へ。そこへタクシーを乗り付けた方が。皆さんのお話では父が一番可愛がった方だとか。「いえいえ、みんな可愛がってもらいましたよ」とフォローする方も。夫の車に乗り込むとき、どなたかが、握手を求められて、父も皆さんと力強い握手を交わして、手を振って、車に乗り込みました。
母は父の思いを叶えさせてやりたい一心でしたので、ほっとして、赤く染まった紅葉をめでていました。「お父さん、よかったね〜、みんなと会えて、それに、モミジがこんなにきれいで、Xさん(夫の名前)、ほんとにありがとう」と。私は、これでまたひょっとすると最後になる出会いが無事終わったと思いながら…声が満足に出ないで皆さんにきちんとご挨拶できなかったのが心残りですが、集合写真のカメラのボタン押しぐらいはできました。そうそう、自分のカメラを持っていくのを忘れてしまいました。先月末、ここで小学校の同窓会があったのですが、モミジの紅葉が進んでいました。もう一度、紅葉を見る機会を作らないと・・・