6月29日(月)サグラダファミリア(Basilica de la Sagrada Familia)
(▼世界遺産2005年〜 生誕のファサードの部分がアントニ・ガウディの作品群として登録された)
ホテルから近いので歩いて出かける。途中のバルのパラソルで朝食を済ませる。チケットは9時45分の予約。
近づくにつれてその威容が。男性二人はガウディについては、どうも好きにはなれないらしい。どうしてあんなにゴチャゴチャなのかと。私は、日本にだって東照宮もあれば桂離宮もあるんだし…。
でも、近づくにつれて、そんなことは忘れて・・・彫刻群に目が行きます。
サン・ホセ帰依者教会の本堂として1882年に着工。翌1883年には初代建築家ヒリャールからガウディに引き継がれ、晩年をキリスト教徒として生きたガウディは、この教会の建設に後半生のすべてを費やした。
内戦でかなり損傷を受けていたが、日本人彫刻家の外尾悦郎氏によって修復された。2010年には聖堂内部が完成。ローマ法王ベネディクト16世が訪れ、サグラダ・ファミリアは正式にカトリックの教会として認定された。
4本の鐘楼と入り口になっている東側の「生誕のファサード」はガウディが完成させたもの。イエスの降誕が彫刻で表されている。東方の三賢人の姿も。
入り口で並ぶ場所を確かめてから向いにある公園へ。そういえば、池に映るサグラダファミリアが必見と書いてあるのを読んだことがあった…と私。
小さな池が見えてきて、先客に若い日本人女性が二人。真正面に当たるところで、カメラの撮りっこを提案され、夫がカメラを構えると二人は両手で大きな輪を作ってポーズ。「中はどうですか?」「素晴らしいです。たくさん並んでいるので先にエレベーターへ」と助言を頂きました。
入り口に戻って並ぶことに。一歩踏み込むと、そこは別世界でした。
想像以上に天井が高く抜けている感じ、空間の広さ、シンプルさ、巨大な林立する柱、そして満ち溢れる光。キリストの磔刑像に自然に視線が集中するように工夫されている。
エレベーターの時間も決まっていて、並ぶことに。これで尖塔の一つに登ることに。一度に運べる人数は10人程度だったか?
水鏡に逆さサグラダファミリアが映っていた池を見下ろす。
エレベーターを降りてからは人一人がやっと通れる細い階段を上へ上へと。
トウモロコシみたいに見える尖塔には細い隙間が空いていて、ここから建設中の様子も見える。
この窓のような穴は、強風の際の風の抵抗から高さ40m以上もある尖塔を守る風抜けの穴でもあるとか。小さなバルコニーみたいになっている所へ出ることが出来る。カップルの方と写真の撮りっこをする。4人で一杯の狭さ。
ステンドグラスを透過した光は様々な色合いに染まる。外から見たステンドグラス部分。
下りはどうしても内側に目が。らせん階段を上から見ると巻貝みたい。いよいよ地上階へ。
地上階について、もう一度、見る。荘厳で神秘的、かつ光あふれる明るい教会。
出口に近い処に高さ5mの青銅の扉がある。
そこには、聖書の言葉が50か国語で書かれている。
「われらの父よ、日々のパンを与えたまえ」
真中より左、上から2行目に日本語が。
「われらの父」という文字が見えた。
さて、いよいよ外へ。出口の扉がこれ。
森の中の昆虫や虫たち。
柱を支えるカメも。
ガウディの死後に建設された西側の「受難のファサード」。
生誕とはガラッと違って苦痛に満ちた彫刻群が現われる。
想像していた「ガウディのごちゃごちゃ」とは全く違って圧倒的なモダンでスッキリした内部。そして宗教的な祈りの場という機能の素晴らしい実現に、男性二人も参りましたという感じでした。
私は、キリスト教の施設でありながら、自然賛歌であり、生きとし生けるものの賛歌、地球賛歌であり人間賛歌である点に、キリスト教徒以外の私たちでも包み込まれる大きさ、愛とでもいえばいいのか、やさしい強さを感じました。あの光に包まれるとそんな風に感じます。
一頃は300年かかると言われたそうですが、完成予定が2026年とか。あと11年、ヒョッとすると完成をこの目で見ることも可能?なんて話も。