インドネシアでの戦時性暴力(報道特集)と中曽根氏


25日(土)の「報道特集」は、「安保法制と尖閣防衛部隊」と「インドネシアでの戦時性暴力」でした。TBSのサイトの案内では「安保関連法案が衆議院を通過した今月16日、 日本で唯一の水陸両用部隊の訓練の一部が公開された。 尖閣諸島有事で投入される可能性もあるという部隊に迫る。」私は途中から見出したので、村山元総理が若い人たちの戦争法案反対デモに出かけて、檄を飛ばしている姿を見て、お元気だし、この年齢の方たちの已むに已まれぬ思いを思ったりしました。
2つ目の”慰安婦問題”では、金平キャスターがインドネシアの現地の女性にヴォランティアで世話をする外国人女性を介してインタビューをしていましたが、見るに堪えず聞くに堪えないお話が沢山ありました。サイトの案内では「戦時中、日本軍が占領していたインドネシアでは現地の女性が「慰安婦」にされた。また、強姦されたケースもある。 今なお、心の傷が癒えない戦時性暴力の被害者を取材した。」  
●メモする余裕もなく慌てて写真を撮りましたので、並べてみたいと思いますが、この番組については、「shuueiのメモ」さんに、すぐリテラの記事が紹介されました。(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20150726/1437859823)
報道特集』 がついに中曽根元首相の「土人女を集め慰安所開設」文書を報道! 息子の弘文が慰安婦否定の責任者ってなんの冗談?  2015.07.25. リテラ

主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設


 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。


タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。


三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである



 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。


 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

 
 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

中曽根氏が慰安所設立の事実を書いたという手記、『終りなき海軍』については蛙ブログのコチラ:「ローマ法王の胸に黄色い蝶のバッジ(慰安婦問題と中曽根元総理)」http://d.hatena.ne.jp/cangael/20140901/1409524878
◆元の記事、『終りなき海軍』については、「shuueiのメモ」さんのコチラ「中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が/Business Journal 2014.08.29」(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20140830/1409342078
★「報道特集」が紹介した『新資料』(リテラ去年の記事とビジネスジャーナル)には「主計局長(=中曽根氏)の取り計らいで土人女を集め慰安所を開設」と書かれていた。番組では中曽根氏に質問書(6月8日)を送っているが中曽根氏側は、「日本外国特派員協会での発言通りでそれ以上でもそれ以下でもない」とのこと。

◎リテラが今回の報道特集の報道を評価しています。(上記のBusiness Journalの記事も、元の記事はリテラだったのかもしれません)

 本サイト(=リテラ)は、朝日新聞慰安婦問題でバッシングにさらされていた最中の昨年7月にこの問題を記事にしていた。中曽根元首相は海軍時代の回想録で自ら「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書きながら、外国人特派員協会で追及されると、一転して否定。


 しかし、本サイトは防衛省シンクタンク防衛研究所で中曽根が当時、主計長として統括していた「海軍航空基地第2設営班」の資料を入手。そこに中曽根主計長の取り計らいで、「土人女を集め慰安所を開設」という記載があることをスクープしたのだ。


 慰安婦への軍の関与と強制徴用を証明する明らかな客観的証拠だったが、当時はどの新聞、テレビも一切無視。いつもの「反日勢力のデマ」ということで片付けられてしまった。


 それを今回、『報道特集』が追及したのである。中曽根の手記や第2設営班の記録はもちろん、元慰安婦や元日本兵の証言もまじえつつ、徹底取材で軍の関与や強制の事実に肉薄するものだった。案の定、報道後はネトウヨの攻撃で炎上状態になっているが、そうしたリアクションが予想されるなかで、あえて踏み込んだ『報道特集』の勇気には拍手を送りたい。


 しかも、『報道特集』がこの時期に、この問題を取り上げたことにはもうひとつ大きな意味がある。それは、安倍政権が慰安婦問題をなかったことにするために立ち上げた自民党のプロジェクト「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」の委員長に中曽根の息子である中曽根弘文が就任したからだ。

★☆リテラの7月25日の記事:<『報道特集』 がついに中曽根元首相の「土人女を集め慰安所開設」文書を報道! 息子の弘文が慰安婦否定の責任者ってなんの冗談?>の全文はコチラで:http://lite-ra.com/2015/07/post-1323.html

★2007年の外国特派員協会の記者会見では中曽根氏は「自分が作ったのは慰安所ではなくて休憩と娯楽の施設だった」と答えていますが、同時にこんなことも発言しています。


◎手記を読めば普通に「慰安所をつくってやった」と読めます。中曽根氏も、もう戦後70年、最後のご奉公、お国のために、本当のことを言って、慰安婦問題に決着をつけてほしいですね。誤魔化したりしないで、「たじろがず」本当のことを言ってほしいと思います。
報道特集」はたくさんの人たちにインタビューをしています。この人たちの言葉こそ、まぎれもなく本当にあったことをありのままに話しています。それは確かに今聞けば受け入れがたいほどの内容ですが、これが本当だったのだと思います。
明日出撃を控えてお金を渡されて思う存分遊んで来いと言われた人もいます。当時の女の人権なんて、選挙権もなく、そういう境遇に身を落とせば、蔑まれたり、今では考えられないほどだったということです。
男たちの慰み者にされた日本の女の、そのまた下に、土人女と呼ばれた現地調達の女たちがいたということです。男の人たちの言葉は今では許されるものではありませんが、こういう意識であったからこそ、こういう酷いことが出来たという事です。『戦争では人道も人権も道理もくそもないですよ』。だから、戦争だけはしてはいけないと学んだはずです。
一方、現地でひどい目にあった女たちの言葉。こちらの悲劇はまた涙なしには聞けないし、聞くに堪えないお話ばかりです。写真の女性は、当時13歳でした。日本兵が自宅に押し寄せ?たとき、お姉さん二人は天井裏に隠れていました。まだ13歳の女の子だったこの女性にまで日本兵は手を付けたのだとか。こういう事実に、日本の男たちは、否、女たちも、中曽根さんが言うように『たじろがずに』受け止めなければならないと思います。受け入れがたいからと嘘をついたり誤魔化したりするのではなくて、認めて、謝罪して、悔い改めるほかにないのでは・・・その先頭に、中曽根康弘氏が立つべきです。