全群馬教職員組合と「いとし子よ」(永井隆)と「道徳的スタミナ」

◎先月末のことですが、群馬県の教職員組合が「教え子を再び戦場に送るな」の決意を新たにしました。

教職員は『安全保障関連法案』を拒否する



主権者はあなただと 教えてきた
日本は戦争をしないと 教えてきた
幸せになる権利をみんなが持つと 教えてきた


人を傷つける言動はやめようと 教えてきた
争いは話し合いで解決しようと 教えてきた
意見のちがいを大切にしようと 教えてきた


平和であること 人が人として大切にされることの大切さを 教えてきた
教師として 教えてきたことを嘘にはできない


国民はそのうち忘れるなどとうそぶく 権力者が
戦争はしないとウソをつく 権力者が
命を道具としてしかみない 権力者が


子どもたちが人を殺すことを 求めている
子どもたちが殺されることを 求めている
子どもたちに嘘を教えることを 求めている


教え子を再び戦場に送るな 古めかしささえ感じていた言葉が目の前にある
教師として 嘘を教えることはできない
まして 子どもたちに死ぬことを教えることはできない



日本国憲法を尊重し擁護する義務を負う公務員として
子どもたちの未来に責任を負う教職員として


わたしたち教職員は
子どもたちを人殺しにさせない 子どもたちを殺させない


そのために
わたしたちは声をあげる
わたしたちは行動する


2015年7月29日
全群馬教職員組合

◎先週NHKで放送された「あの子を訪ねて―長崎・山里小学校被害児童の70年」は、永井隆博士の『原子雲の下に生きて』という手記をもとにしていました。被爆後4年から6年目に書かれた長崎の子どもたち37人の作文が集められたものです。戦争に、風化なんてない。その傷口は何時までもしくしくと傷み続けていることがわかりました。
☆ところで、永井博士と言えば、昨年取り上げた「いとし子よ」。永井博士が、あの時警戒していた世の中になってしまいました。そして我が子に、その時は「どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと”戦争絶対反対”を叫び続け、叫び通しておくれ」と呼びかけた”そんな日”を迎えています。
それでは、永井隆博士の「いとし子よ」(1949年10月)より、一部をコピーです:


「戦争が長びくうちには、はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝ったほうも負けたほうも、なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。
そうして、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて、――戦争はもうこりごりだ。
これっきり戦争を永久にやめることにしよう!

そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、なんとなくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。
どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?


私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。…

わが子よ!

憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、

日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねば

ならぬ。自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。これこそ、戦争の惨禍に目

覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。



「しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、

と叫ぶ声が出ないとも限らない。そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて

世論を日本再武装に引きつけるかもしれない


「もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一よ、カヤノよ

たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと◆戦争絶対反対◆を叫び続け、叫び通しておくれ!

たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても
◆戦争絶対反対◆の叫びを守っておくれ!

★全文は昨年の蛙ブログのコチラで:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20140811/1407711050
◎「小海キリスト教会牧師所感」さんは、憲法問題についていつも貴重な記事を書いておられて、私も大変教えられることが沢山あります。8月7日の「戦後七十年」と題する記事では、マッカーサー幣原喜重郎首相との印象深いエピソードを紹介しておられます。


戦後七十年


 日清戦争が始まった1894年から先の太平洋戦争敗戦の1945年までのわずか51年間に、わが国は日清、日露、第一次大戦、日中・太平洋戦争と絶えず戦争をしてきた前の三つの戦争で失われた日本兵士の生命は13万人。日中・太平洋戦争で失われた兵士は230万人。一般国民の死者は80万人であり、アジア諸国の戦争の死者は2000万人に上るこれがある人々によって「美しい日本」と妄想されている大日本帝国時代の現実であった


 先の大戦後70年間、わが国は、少なくとも直接的な戦闘行為によって一人も殺し殺されずに歩んで来ることができたのは、実に偉大なことである。「それは米軍の傘の下にいたからだ」と主張する人々がいるが、そうではない。世界の警察を自任する米国は、大戦後も、朝鮮戦争ベトナム戦争イラク戦争をはじめ、絶えず戦争をしてきた。日本と同じく、米軍の傘の下にいた韓国はベトナム戦争に32万人の青年が狩り出され5000人の戦死者を出し9000人のベトナム人を殺したとされる。


 では、同じように、わが国も戦後70年間、米国の傘の下に置かれていながら、米国の戦争に巻き込まれなかったのはなぜか。憲法九条「戦争放棄条項」があったからである。実際、朝鮮戦争のとき、米国議会にはアジアの戦争にまたも米軍の青年たちを派遣することを嫌って、日本の兵隊を使えという主張が強かった。だが、その時、九条のせいで日本には出兵を求められないことが判明した。1951年5月5日、マッカーサーは米国上院軍事・外交合同委員会聴聞会に召喚され、日本国憲法に九条が入れられた説明を求められた。


 1946年1月24日、幣原喜重郎首相はマッカーサーを訪問した。この会談で、幣原首相は驚くべき提案をした。以下、マッカーサーの証言。


 「日本の首相幣原氏が私の所にやって来て、言ったのです。『私は長い間熟慮して、この問題の唯一の解決は、戦争をなくすことだという確信に至りました』と。彼は言いました。『私は非常にためらいながら、軍人であるあなたのもとにこの問題の相談にきました。なぜならあなたは私の提案を受け入れないだろうと思っているからです。しかし、私は今起草している憲法の中に、そういう条項を入れる努力をしたいのです。』と。 


 それで私は思わず立ち上がり、この老人の両手を握って、それは取られ得る最高に建設的な考え方の一つだと思う、と言いました。世界があなたをあざ笑うことは十分にありうることです。(中略)その考えはあざけりの的となることでしょう。その考えを押し通すにはたいへんな道徳的スタミナを要することでしょう


 そして最終的には彼らは現状を守ることはできないでしょう。こうして私は彼を励まし、日本人はこの条項を憲法に書き入れたのですそしてその憲法の中に何か一つでも日本の民衆の一般的な感情に訴える条項があったとすれば、それはこの条項でした。


 戦後70年間、わが国は米国の傘下にありながらも九条を持っていたので、ぎりぎりの所で、自衛隊は米国の戦争に狩り出されることを免れてきた。とはいえ、沖縄の基地から出撃したB52が北ベトナム爆撃に向かって多くの犠牲者を出したことは事実である。北ベトナムの戦死者 117万7千人人、行方不明者 60万4千人、民間人死者 300万人。イラク戦争でも、自衛隊機が多くの米兵を運んだ後、民間人の死者数が跳ね上がっていることが今国会で指摘されていた。私たちもこれらの戦争犠牲者に関して無罪とはいえない


 今、さらに、九条が、常軌を逸した解釈変更によって、有名無実化されようとしている私たちに求められているのは、マッカーサーの言った「道徳的スタミナ」なのだろう

★引用元:◎http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20150807/p3