2つの短編映画、沖縄と慰安婦


日曜日、学生時代の友人の誘いで、隣町の豊中で2つの短編映画を見てきました。シニア女性映画祭という「シニアの女性映画監督作品、シニア女性が描かれた作品を上映する」というイベントです。チラシには「特集ウーマン・リブ45周年 ”今も、私たちはリブ!”」と書かれています。誘ってくれた京都の友達の先輩女性が関わっているイベントだそうです。私たちは豊中駅で八尾から来た一人を加えて3人で待ち合わせて、駅の近くの会場で見ることに。
最初は沖縄戦を生き延びた二人の女性の証言です。
戦後70年、10代で体験した地上戦。
本土の盾となった沖縄が、その後もずっと
本土の犠牲になり続けて今の辺野古があります。
貰ったチラシの綴りの中に三上智恵監督の映画のチラシが入っていました。
来年、同じ場所で「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」が上映されます。
三上監督の講演もあるそうです。
後ほどチラシのコピーを。

2つ目は、「ビルマに消えた慰安婦たち」。作品の取材・構成をなさった森川万智子さんが福岡から参加。上映後、マイクを持って、文玉珠さんとの出会いのお話をされました。会場からは、奈良や、東京から来られた方が発言されていました。どちらの映画も、戦後70年の今こそ多くの人に見てほしい映像作品だと私も思いました。
終わった後、森川万智子さんの「文(ムン)玉珠(オクチュ) ビルマ戦線楯師団の『慰安婦』だった私」<「教科書に書かれなかった戦争 Part22」(梨の木舎>という本を買い求めました。森川さんがお話された内容が「前書き」に書かれているので書き移してみます:


日本政府が「慰安婦は民間業者が連れ歩いたもの」といっていた1992年1月、私は友人たちと韓国挺身隊問題対策協議会に「元慰安婦と協議会のメンバーを招きたい」と手紙を書きました。日本政府は事実を認めようとしないけれど、少なくとも市民は、少女たちを強制連行した事実を認めているのだということをキャンペーンしたいと思ったからです。 招きに応じてムン・オクチュ(文玉珠)さんが来られることになりました。
 集会準備をする中で、ある雑誌に載った記事を読んだ私は、思わず声をあげてしまいました。ムン・オクチュさんが「ビルマで軍事郵便貯金をしていた。その貯金の本社は下関郵便局だった」と語っていたからです。私はその下関郵便局で16年間働いていたことがあり、元日本兵への軍事郵便支払いに携わった経験もあったのです。 


  ムン・オクチュさんが来日し、私たちは郵政省に対して貯金支払いを求める運動を開始しました。郵政省は日韓条約を理由に支払いを拒否しました。彼女は三度も四度も来日して郵政省と交渉し、私たちは署名運動を展開しました。こうした中で、私は、郵政省に対して貯金支払いを求めるムン・オクチュさんのきっぱりした態度や、ポツリポツリと語る慰安婦時代のアレコレに、強くひきこまれていったのでした
 防衛庁戦史室が編纂した公式な戦史と言える『戦史叢書』のビルマ関連の数冊をめくってみると、ムン・オクチュさんが話したのとまったく同じに楯師団が転戦している記述に出会い、驚いてしまいました。でも、そこは慰安婦は一人も登場していませんでした。これは私が書くしかないと思いました。93年9月、彼女にそのことを申し出ました。
 ムン・オクチュさんは「森川さんの好きなように書きなさい」といってくれました。
 それから2年余りテープレコーダーをまわしては少しずつ書き進めた本書です。
     1996年1月                   森川 万智子


主催者の方が、森川さんを紹介する挨拶の中で、映画を見ながら、こんなにハッキリとした慰安婦の証言があるのに、どうして今慰安婦問題をうやむやにしてしまう政治の動きがあるのか腹が立って仕方がなかったと言われました。「ムン・オクチュさんは慰安婦として従軍し、軍隊内部で日本軍の本質を、鋭く、正確に見抜いていた。そうであるから彼女は、19年後の現在の日本の状況をこのように言いきっている」と森川さんは、最後にムン・オクチュさんの次の言葉を読み上げました:

 私は、日本政府はこの問題をきちんと解決することはない、と見てますよ。なぜなら、慰安婦は韓国人だけではなかったのだからね。もしも、私たち韓国人に賠償することになれば、中国にも、台湾にも、ビルマにも、それからまだまだほかの国の女たちにも賠償しなければならなくなってしまう。それはたいへんなことで、そんなことを日本政府がするはずがない くにというものはそんなものですよ。 だけどわたしたちは、日本人には大和魂というものがあって、それはたいそうきっぱりとして潔いものだ、と聞いています。大和魂はどうしたのですか。

◎「重慶爆撃とは何だったのか もうひとつの日中戦争」を読んでいますが、無差別テロとも呼べる都市爆撃の報いが東京大空襲であり広島・長崎に繋がっています。重慶爆撃の日本政府による謝罪もまだです。慰安婦問題も日本の戦争責任の問題として残っています。福岡の森川さんが20年も前に一個人として活動を始められたことの素晴らしさに頭が下がります。この本を一人でも多くの方に勧めてみようと思っています。
◎最後に「戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)」のチラシを:

”戦場ぬ止み”上映三上智恵監督講演
2016年1月16日(土)
上映(1)14:00〜、上映(2)18:00〜三上智恵監督講演 16:30〜
会場:すてっぷホール(阪急豊中駅西側「エトレ豊中」五階)
料金(前売り)1000円、(当日)1200円
主催:脱原発で生きたい女たち・豊中
    放射能から豊中の市民・子どもを守る会
共催:とよなか「市民力」フェスタ実行委員会


◎チラシの右下カメラを手にした三上監督のチラシの言葉:「この映画は、沖縄の負担を減らしてほしいなどという生やさしいものを描いていません。知事を先頭に、国と全面対決してでも沖縄が止めたいものは、日本という国で息を吹き返そうとしている「戦争」そのものです。
 それが見えているから沖縄は屈しません。辺野古のゲートや会場で彼らに襲い掛かってくる権力は、警察、防衛局、海上保安庁にその姿を変え、素手の県民を押さえつけます。でも、いくら押さえられても、その口は歌を唄う。怒りの絶頂を瞬時に笑いに変え、気力を盛り返す。撮影しながら、私は確かに地鳴りを聞きました。揺り起こされた「島ぐるみの闘争」の振動は、やがて激震となって本土に到着するでしょう。