6日の日曜日は、生涯学習センターのお茶室「箕楓軒(きふうけん)」の月釜で、お茶の先生が亭主を務められる日です。その前の日、3階のお茶室前で、折り畳みテーブルを運んで準備中のお二人を見ました。私が、湯沸かし器と講座室の間をバタバタしていた時です。ふと見ると、お茶の先生と娘さんです。「あら!」とお互いに。「明日の準備なの。あした来てよ!」と言われました。そうそう、明日はお茶会の日でした。
日曜日、いつも3人ですが、Nさんは、シンガポールのお孫さんの発表会を見るために、二度目のシンガポール一人旅です。残る二人で参加することになり、待ち合わせの時間に出かけました。
裏と表の流派の先生方が、毎月、順番に月釜を担当されて、1000円で、お茶とお菓子を振る舞っておられます。キチンと和服姿で来られる方々の中で、私たちはスカート姿です。ただし、白足袋を表す白いソックスを履いていくのが礼儀なんだそうです。私は、もう20年以上も前のアンゴラ入りのウールで出来たロングスカートの上下を着ていくことに。捨てずに取っておいて良かったと思います。中にはパンツ姿の方もおられますし、スーツの方もあればセーターの方も。先生も、お茶を楽しむのが目的だから何でもいいのよ…と仰っていますので、要は、正装のお着物でお茶を出して下さる方に失礼のない服装で、お茶を楽しめればいいわけです。
控えの間の床に掛けてある掛け軸と使われているお道具類の箱書きと香合を見せていただきました。その内、前のグループの方たちが出て来られて、私たち20人ほどが入れ替えでお部屋に入ります。紺色の毛氈が敷いてあるところに、座りましたが、床の間の前の正客さんの場所に誰が座るかで、しばらく時間がかかりました。着物姿の先生らしき方が数人おられて、「お願いします」という声に促されて、その中のお一人が出られて、お正客さんの位置が埋まりました。
一番弟子の方が手を怪我されてからは、先生のお嫁さんか娘さんがお点前をされます。昨日はお嫁さんでした。先生が出て来られてご挨拶され、正客さんが代表でお話されます。掛け軸からお花、使われているお道具など質問しながら先生の説明を上手に引き出して行かれます。
掛け軸は、スッキリと「本来無一物」。読んで字のごとくなんだとか。
お花は、黄葉した葉をつけた蝋梅の枝と、先生のお庭の椿で、白の硬い蕾とピンクのふっくらとした蕾で紅白を表してみましたとのこと。
主菓子を入れた喰籠と干菓子(口にすると洋菓子のクッキーでした)を入れた菓子鉢が運ばれました。5人分づつくらいで4つ、等間隔に置いて行かれます。
深い筒形のお茶碗を使ってお茶を点てて正客さんに出されるのと同時に、お運びさんがお茶を運んでこられます。出されるお茶碗はどれも変わったものでした。ぼってりした志野の黒い釉薬がたっぷりかかったものは、荒川豊蔵の長男さんのものとか。
Wikipediaによると「(あらかわ とよぞう、1894〜1985年)は、昭和を代表する美濃焼の陶芸家。岐阜県多治見市出身。桃山時代の志野に陶芸の原点を求め、古志野の筍絵陶片を発見した牟田洞古窯跡のある大萱に桃山時代の古窯を模した半地上式穴窯を築き、古志野の再現を目指して作陶を重ねた。終には「荒川志野」と呼ばれる独自の境地を確立した。」
底が丸くて口の部分は角の丸い正方形になっていて、くすんだ極彩色の絵と模様でビッシリ埋まっている大ぶりのお茶碗は、色合いから九谷かなと遠目で見ていたら、やはり、九谷の骨董品と先生が。能登のモノだという、濃い茶色に黒くて丸い模様が入ったお茶碗は初めて聞く窯のもので、初めて見る珍しいお茶碗でした。以前、お正月の初釜で見たことがあるサーモンピンクに白や灰色の釉薬がかかった楽のお茶碗が私の前に。二服戴いて、お仕舞。
終わった後で、お道具の拝見。この時はカメラで写しても良いと以前言われたのですが、ヒヤヒヤものです。今回はもうお一人カメラを使っている方がいましたが、手がぶれてピント外れの写真になっていました。
棚の中段に飾られている器はオーストラリアのアボリジニの器だそうです。写真では分りませんが、近づいてみるとアボリジニ特有のカラフルな点々模様で埋められていました。指を合わせる形で「ラグビーの五郎丸さんにかけて遊んでみました」と正客さんと先生との会話の中で耳にしたのですが、この器の事なのか、上の段の蓋置の事なのか解らずじまいでした。
お茶は、格式が高く、若いころには縁のない世界だと思っていましたが、ひょんなことから習いだして、もう5年にも。いっこうに身につかないものの、美味しい和菓子とお茶を戴き、お道具を見たり、蘊蓄を聞いたり、取り合わせを見たりするのは楽しいものです。お茶や着物に詳しい山口のWさんに、「若い頃より、年を取ってから習う方が楽しいかも」と言われた事がありました。アルバイトに忙しく遊ぶ暇?がなく、子供の教育費がかからなくなってからはアルバイト代を個人年金の積み立てにしていたおかげで、まだしばらくはお稽古代資金、大丈夫のようです。