箕楓軒 9月のお茶会と『明歴々露堂々』

◎9月4日、最初の日曜日。雨の予報が前日から晴れになって、夫は5時起きで8人グループの山行に参加、私は中央学習センター内3階のお茶室、箕楓軒(きふうけん)の9月のお茶会の準備で朝8時45分に到着するよう、半頃に家を出ました。お天気が良くて日傘をさして出かけました。雨だと着物の方達は大変なのでお天気になって本当に良かったと思いながら。

コロナ禍の中のお茶会なので先生も人数は少なく予想されておられたようですが、全部で100人近くだったようです。準備されていたお茶菓子が途中で足りなくなって買い足しに行かれたぐらいです。

襖が開いている準備段階。床の間の見える茶室と襖の手前は準備の間。

先生がお花を活けておられます。始まるとここは締め切られて、左端が出入り口に。

私はお皿の上に二つ折りにした懐紙を輪を手前に置いて、お干菓子の菊の花と葉がセットになってセロハンで包んだものと、ケースに入った生菓子を左に置いたもの15セットを準備しました。3年前は同じお部屋にお客さんは22,3人でしたが、密を避けるため15人に減らしてあります。

今回は珍しく阪大生のお弟子さんも参加。男手前が見られると先生も。

貸衣装だそうですが、袴の後ろがすぐ斜めになるのでNさんが直しているところ)

今回は、戻ってきたお茶碗を洗って棚に伏せて水切りをする作業のお手伝いをしました。お菓子担当ですが、今回はコロナ対策でお菓子の包装のカバーを付けたまま。戻って来たお皿に二種類のお菓子を15セット準備したら暇なので手伝うことに。お点前をする方がお茶碗とお茶入れを持ってお茶室に入り、お茶を点てて正客さんにお出しすると、こちらで泡立てたお茶をお運びさんが3人目のお客さんから次々とお茶を運びます。飲み干されたお茶碗が次々戻ってきたら忙しくなります。

毎月のお稽古でも使ったことのない上等なお茶碗がたくさんあったので、手を滑らせないよう注意しながら下洗いをして、きれいな水で濯いで水切り棚に並べました。すぐそれを別の方が布巾で拭いて、白いテーブルの上に並べ、茶杓で分量のお抹茶を入れて、ベテランの方達が手際よくお茶を点てて、お運びさんが次々と運んでいきます。

お昼には空いた人から先生が用意されたイカリスーパーのお弁当を頂きます。男子学生さんはパソコンで何やらチェック? さすがにゲームではなかったです。

お菓子のテーブルの半分は茶入れに山高に抹茶を追加したり、茶巾を整えて茶せんと茶杓を仕組む作業をベテランの方が担当されていました。茶入れは棗(なつめ)ではなく、蓋は平たいので、上からつまんで持ち上げるのではなくて、横を持ちます。蓋にはコオロギが螺鈿細工で刻まれていて、青く光るのがとても美しい。胴には秋の七草が金彩で描かれて女郎花(おみなえし)の花の部分のみ赤い色が入っていますので、ここが正面。

2時半ごろに最後の10組が終わって、私たち手伝いの者もお茶を頂けることに。まず控えの間の床の間を。そしてお茶室にも入って掛け軸やお花、道具類を見せていただきました。

お茶会で使う道具類の名前が書かれています。これだけの名品を個人でそろえるのは大変です。お茶室には普段使いの道具類が揃っていますが、この日は全部持ち込みです。

季節によって出されるお道具類を目当てのお客様もいらっしゃるそうです。

さていよいよ襖の向こうのお茶室へ。先生の息子さんのお嫁さんのお点前。

水盤のような水差しの蓋は真ん中に蝶番がついていて半分に。裏には月とススキ。

皆で写真を撮るため、ひっくり返して絵が見えるように置いて・・・

先生の高校生のお孫さん、お運びさんデビューでした。

さて、この日はひょうたん形の籠、お花はムクゲと秋海棠とあといくつかのお花。

掛け軸は、「明歴々露堂々」(めい・れきれき、ろ・どうどう」。書き下し文は「歴々と明らかに、堂々と露わる」となり、意味は「一目で明らかにはっきりと表れている」いう意味。それなのに、なぜ分からないのかと問われることに。「目の前の大切なものを見ることが出来るているか?」「己の目がくもっているのでは?」と問う禅問答だそうです。

たとえば、自民党統一教会の関係は『明歴々露堂々』、「はっきりと表れているではないか、それが見えないとでも?!」というような使い方でいいのかな。

そういえば「露呈」という言葉もありますね。「隠していたものをあからさまにあらわすこと。また,あからさまになること」。また「露見」ということばもありますが、こちらは明らかに悪いことをさしていて、「秘密や悪事などが表に現れること」という意味。