真夏日の日曜デモとお茶会

◎今朝の「shuueiのメモ」さんで知りました。昨日東京で1万人参加のデモがありました。

官邸、国会前で「原発やめろ」=川内などの再稼働反対集会−東京


首相官邸前で、原発再稼働を進める方針の政府などに抗議する参加者ら=1日午後、東京都千代田区


 九州電力川内原発(鹿児島県)などの再稼働に反対する集会が1日、東京都千代田区首相官邸や国会議事堂の前で開かれた。強い日差しの中、集まった市民らはのぼりやプラカードを掲げ、汗を拭いながら「原発やめろ」「再稼働反対」と声を合わせた。

 主催した「首都圏反原発連合」によると、参加者は約1万人に上った。(2014/06/01-20:12 時事通信

ひょっとしてと思って「特別な1日」さんを覘いてみたら参加しておられました!
金曜デモと同じくデモの様子をレポート(+興味深い映画も)されていますのでコチラも是非:「川内原発再稼働やめろ! 0601官邸・国会前☆大抗議と映画『ローン・サバイバー』」(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20140602/1401658004)

◎昨日は京都では36℃の猛暑日(35℃以上)でしたが、大阪でも午後から32℃を超える真夏日(30℃以上)の日曜日、お茶の先生がお当番の箕楓軒(中央学習センター)のお茶会に出かけました。
風邪の状態がそのままで、どうしようかと思っていましたが、家に居ても仕方がないか…と早目に昼食を済ませて準備していると、お茶仲間から「今から出る」との電話。丁度、夫が山から帰宅するのと入れ違いに出かけました。今日は同じセンターのメープルホールでコーラスの発表会があり、夫は、山のテントや道具を片付けてシャワーを浴びて一服してから、出番の遅い混声合唱団の発表に備えてその練習に向かう予定です。

3階の箕楓軒の前、受付では着物姿の先生の娘さんのYさんに会って言葉を交わす間もなく、Naさんが私を招いています。奥からNoさんも「お金は払ってあるから早く早く!」
受付のYさんに「名前だけ!」と言われて、あぁ〜筆の練習を・・・と思いながら渡された筆ペンで下手な字を書いて、慌てて荷物を置いてお部屋へ。1時の回のグループに入れて戴きました。(2枚の写真はお茶会の終わった後、入れ替えの前に)
「竹隣新雨後」の掛け軸が。「リン」の字は「こざと偏」には見えず「立心偏」に見えましたが、そんな字ある? 着物姿でご挨拶に出てこられた先生の解説では、竹は雨にしな垂れていても雨が上がれば元通りになるという意味だそうです。
10畳の部屋一杯で、廊下に足の悪い人用の越し掛けが置いてありました。Noさんはそちらに座ることに。私は最後の一人で座れるかなと思ったのですが、足がつってきたので、これはマズイ!とあわてて腰かけに座りました。お部屋一杯。それに腰かけは3人です。

正客さんは男性でした。先生とご挨拶があり、籠に活けてあるお花が話題に。我が家のと比べると大きくて立派な夏椿です。先生は「はい、朝頂いた沙羅双樹の花です」と答えておられました。座っているお客さんの中に古典文学講座の平家物語の先生をお見かけしました。
主(おも)菓子は陶器の蓋のついた菓子鉢に入った淡い緑色の生菓子。椿のツボミの形かな?黄色い餡が入っていて、お干菓子は落雁は鮎、甘いお菓子は波を表して白と青。3,4個も運ばれて出された菓子鉢の中にシックな色合の変わった絵柄のものがありました。どなたかが先生に質問して、「オーストリアのモノで、見立て使いです」と。私たち腰かけ組には、別に、お皿の懐紙の上に三種並べて黒文字を添えて運んでいただけました。
出されたお茶碗は、お稽古では見たことのないような立派なものばかり。最初に正客さんに出されたお茶碗は黒楽の手捻り。講釈が聞こえなかったのですが、今回のメインであったことは確かです。拝見の時、座っている方が後ろで腰かけている者にもわざわざ回して下さいましたが、曲線が浅いご飯茶碗のような形でした。名のあるものなんでしょう。平たい夏茶碗もたくさん使われていました。
私が一服目に戴いたお茶碗は緑色にぼかしの白い縦の曲線が均一に入ったものでした。拝見で、どなたかの手に渡り、丹波篠山の扇窯?のモノと先生が解説しておられました。両手で戴くと掌に丁度良い座り具合のお茶碗でした。


二服目は平茶碗で戴いて、いよいよ最後に、お点前をされた方が小さな三島のツボを棚の上に置いて終わりました。棚は前回のお稽古の時に使った、小卓(こじょく)ですが、溜め塗りが施してあるものでした。この小さな壺は何? 今度のお稽古で聞いてみます。(ネットからの参考写真は「三島焼」:高麗茶碗の一種で、ハンコで押したような独特の丸模様が特徴)置いてある鼠色の壺の口は極端に小さく、丸い胴がこの三島柄で覆われていました。
終わってから、控えの間の掛け軸と床の間に置いてある箱書きを見ました。笹の葉の真ん中あたりに源氏蛍が描かれていました。木蓋の裏の箱書きの中に「竹」という永楽窯のものがありました。これは覚えています。金ぴかの地に鮮やかな緑や青で大ぶりの竹の葉と幹が描かれています。派手でお祝いの席に向きそうだなと思って拝見しました。
さて家に帰ってから気になる丹波の焼き物をネットで探してみました。丹波の立杭は陶器でも全然違います。出石は肌合いは似ていても独特の白なので違うでしょう、どちらかと言うと青磁風でしたので。…… 諦めた頃に、王地山(おうちやま)焼と言うのが出てきました。「おおぎ」と聞き間違ったのでしょう。

王地山焼の歴史

王地山焼は、江戸時代末期の文政年間、当時の篠山藩主であった青山忠裕(あおやまただやす)がこの王地山の地に築いた藩窯です。
三田(さんだ)藩で青磁焼成に成功した京都の名工、欽古堂亀祐(きんこどうかめすけ)を招いて指導させました。
製品は、青磁・染付・赤絵などの中国風の磁器を模したものが多く、手彫りの土型で素地を型押し成形するなど、繊細かつ高度な技術をもって作られて

いました。当時、大名たちの間では、茶器を焼く藩窯を持つことが流行していました。また、藩主の社交や藩内の産業育成などが開窯の背景であったと考えられています。
篠山藩や地元の豪商などの保護もあり、嘉永年間の最盛期には幾多の気品ある作品が焼かれていましたが、明治2年の廃藩とともに廃止される運命となりました。


王地山陶器所
現在の王地山陶器所は、廃窯から120年の時を経た昭和63年に、同じ王地山の麓に復興されました。
独特の緑色の青磁、染付、赤絵などの作品を当時の技法を使って製作しています。併設された展示室での展示・販売のほか、百貨店やギャラリーでの作品展も行っています。復興時に築窯した登り窯も、1年に1度は火を入れ、登り窯ならではの作品作りにも力を注いでいます。

◎写真のバレエの衣装は1階、メープルホールの月替りの飾り窓に飾ってありました。ポスターにある15日のバレエコンサートで使われるものなのか…赤いドレスの胸元の繊細な金の飾り、上の白い衣装の金や銀の凝ったブレードの豪華さに驚きました。
◎昨日のNHKニュース・夕方の関西ローカルで一輪車大会が取り上げられ、子どもから大人まで…と言うので最後にヘルメットの下から白髪が見える男性がインタビューに「楽しかったです〜」。なんと!4月に同窓会で会ったEくん!!きっと最年長だったのでしょう。頑張ってます!