「選挙(民意)と辺野古は関係なし」と「翁長氏の基地反対の切っ掛けは?」


◎「shuueiのメモ」さんが、琉球新報の14日の社説「安倍首相発言 この国は民主主義国なのか」を取り上げておられます
私も国会中継で聞いていて、これはオカシイと思った答弁でした。
安倍晋三首相が衆院予算委員会で、宜野湾市長選や今夏の参院選、県議選の結果が辺野古新基地建設に影響するか問われたのに対し、「安全保障に関わることは国全体で決めることだ。一地域の選挙で決定するものではない」と述べた。>ことに対して、社説では、「この国は民主主義国なのか」という内容です。
その上、問題なのは、政府のダブルスタンダード二重基準だと。
2014年、米軍普天間基地所属のオスプレイの訓練移転で佐賀県に話をもちかけた時地元から反発の声が上がると、翌年、政府はあっさり断念した。その際、菅義偉官房長官は「知事など地元からの了解を得るのは当然」と述べた。琉球新報社説の最終部分です:。(引用元:http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20160115/1452791392

 だが沖縄での辺野古新基地建設では、知事も地元市長も反対なのに、同じ菅氏が先月、工事の実施を当然」と述べていた。沖縄では41全市町村の首長も知事も反対の署名をし、全市町村議会も県議会も反対決議をしたのにオスプレイ配備は強行された配備どころか単なる訓練移転でも佐賀では地元の了解が「当然」の前提なのに沖縄では常駐配備という最悪の選択何一つ了解なしに強行されるのである


 首相は今回、安全保障沖縄の民意無視の理由にしたが、佐賀では同じ基地絡みなのに民意を受け撤回した。この露骨な二重基準が差別でなくて何であろう

 首相は衆院代表質問で「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら」と述べていた。民意を無視して、どう「寄り添う」つもりだろうか。


◎来月の事ですが、翁長氏を迎えての集会が予定されています。
内田氏のツィート欄から、2月18日の「翁長沖縄と共に闘おう東京集会」の拡散です。講師のメンバーが、変わっています。小沢一郎氏に翁長県知事。憲法学者小林節氏、政治学者の白井聡氏、それに文芸評論家の山崎行太郎氏にジャーナリストの鎌田氏。それに沖縄タイムス琉球新報の編集長と沖縄選出代議士とか。どんな話になるんでしょう。

内田樹さんがリツイート


哲学者=山崎行太郎の『保守論壇亡国論』 ‏@yamazakikoutaro · 1月13日
(拡散希望)

「2/18翁長沖縄と共に闘おう東京大集会。」
2月18日(木)午後6時〜豊島公会堂
講師➖
小沢一郎翁長雄志沖縄県知事小林節憲法学者)白井聡政治学者)山崎行太郎(文藝評論家)鎌田慧(ジャーナリスト)、琉球新報編集長、沖縄タイムス編集長、沖縄選出代議士。

◎「リテラ」の翁長沖縄県知事夫妻についての記事のタイトルは女性週刊誌のようですが、読んでみると、やはり「女性自身」の記事についてでした。
翁長氏が自民党の基地容認派から、何があって、真逆の基地反対派になったのか・・・左からも右からも「変節」と言われる翁長氏の変化のきっかけがひょっとしてこれだったのか、という内容でした。私は、返還された基地の街・那覇市長時代、経済的に成功した結果、基地は沖縄発展の阻害要因と実感されたのが、基地容認から反対に変られた理由だったのではと思っていましたが、樹子夫人のこのお話には、なるほど…と思いました。
(引用元:http://lite-ra.com/2016/01/post-1874.html

<万策尽きたら夫婦二人で辺野古に座り込む! 翁長知事の妻が基地反対の思いを告白、知事は「殺されても…」とも>



「とにかく新基地は造らせない。でも、もし万策尽きたら、その時は2人で座り込もうな」

 沖縄県翁長雄志知事は知事当選を果たした夜、自宅に戻って晩酌を傾けながら妻にこう語ったという。証言したのは、その翁長知事の妻・樹子夫人(60)。

 夫婦二人で辺野古に座り込むというのは、かなり悲壮な覚悟だが、たしかに、辺野古移転を巡る翁長知事と安倍政権の対立は緊迫の度を増している。昨年12月2日には国が翁長知事に対して埋め立て承認取り消し撤回を求めた代行訴訟弁論が始まり、同月25日には、翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消しに対し、石井啓一国交相がその効力を一時停止したのは違法であるとして、県が国を提訴する事態となっている。 

  そんな中、妻の樹子さんが「女性自身」(光文社)1月19日号の連載ルポ「シリーズ人間」に登場し、沖縄が抱える基地問題や平和への想いを語っている。その中でも興味深いのは夫・翁長知事の基地に対する考えの変遷が“妻の目から”語られていることだ


 よく知られているように翁長知事は知事出馬以前、自民党に所属する議員であり“基地容認派”で“辺野古移転賛成”でもあった。それが一転、2014年の知事選では辺野古移転反対やオスプレイ配備撤回を求めたことで、保守派から批判される材料ともなったが、そこには翁長家、いや沖縄全体を襲った事件と翁長氏の苦悩が存在した。


 那覇市で生まれた樹子さんが翁長氏と結婚したのは1982年。夫である翁長氏が那覇市議選に初出馬し当選したのはその3年後だった。その後も沖縄県議、那覇市長と歴任した翁長氏だが、その間一貫して自民党からの出馬であり、基地問題辺野古移転に関しても容認、賛成の立場だった。もちろん当時の樹子さんも夫の選挙や政治活動を支えている。

「本当にありがたいことなんですが、選挙がないときも、妻の私もいろんな会合に顔を出さないといけない。選挙中ともなれば、朝、家を飛び出したら、帰宅できるのは毎日夜中です。それでもいろんな人が支えてくれていますから」

 そんな樹子さんが「ああ、もう無理」と衝撃を受ける大事件が起こった。それが95年9月に起きた米軍兵士3人による小学6年生少女集団暴行事件だ。


そのときね、うちの長女は5年生だった。そばにいた長女を見て『この子だったかもしれないんだ』と思ったら、ショックでね……私のなかで、ハッキリ、もう地位協定も基地も無理って思ったのは、この事件がキッカケでした


 この問題は沖縄だけでなく日本全体を震撼させ、その後の日米地位協定の運用改善の契機ともなった事件だ。ショックを受けた樹子さんは、夫の翁長氏へ議論を挑み、激論を交わし詰め寄った。


「あたし、直情型だから。毎晩のように翁長とけんかしてました。『地位協定、おかしいでしょ』『自民党、おかしいでしょ!』って。その時の翁長? 思っていることの半分も出さずにためておける人なんです。胸のなかでは私と同じような怒りを共有していたと思うけど、私が感情的になればなるほど、抑制したというか……でも、彼だって人の親、苦しかったと思います」


 翁長知事の実父・助静氏は保守系の政治家だった。幼いころから周囲には敵対陣営となる革新派が多い中、翁長氏は言いたいことが言えず、多くを溜め込む性格になったのだというのが樹子さんの分析だ。



 とはいえ少女暴行事件が起きてから、基地反対に変わるまで約20年もの年月がかかってしまった。しかし少女暴行事件に端を発した妻・樹子さんの思いに呼応し、翁長知事自身、「長年の怒りや悲しみの感情が積もり積もっていたはず」だと樹子さんは言う。そして、保守の壁を打ち破るために知事選で打ち出したスローガンが「イデオロギーよりもアイデンティティ」だった。


「知事選に出るときに、あの人は『ぼくはピエロになるかもしれない』と言っていたの。一歩間違えれば、保革双方の支持者が離れていくって。でも彼は『自分はそれでも構わない』とも。もっと言うとね、私言ったの。『あなた、殺されちゃうかもしれないよ』って。それでも翁長は『それでもしょうがないと思っている』って」


 現在辺野古のゲート前で声を上げるなど基地反対を叫ぶ樹子さんだが、夫とともに沖縄のため平和のために闘っていく決意をしている。


「裁判の行方はわからない。でも勝とうが負けようが、沖縄のプライドだけは、もう捨てたくない。そして、1人でも多くの子どもたちに、沖縄戦のことを、平和がいかに大切かを、伝え続けていきたい」


 こうした妻や沖縄県民の思いの一方、安倍政権の翁長知事いじめ、訴訟など強行姿勢はますます苛烈さを加速させている。同時に宜野湾のディズニーリゾート誘致、復興予算の増額など、なりふり構わぬ切り崩しに躍起だ。


 安倍政権はこれからもますます、圧力を強め、次々と強行策を繰り出してくるだろう。しかし、今年1月には宜野湾市長選、6月に県議選、そして7月の参院選と、有権者基地問題に意思を表明するチャンスは残されている。翁長知事夫妻が基地前に座り込むような「万策尽きた」事態になる前に、私たちの手で安倍政権の横暴を食い止めなければならない。
(伊勢崎馨)

◎選挙に備えて、アメをタップリ与えて、それでもダメなら、と、国会での安倍首相の答弁につながるわけですね。「選挙の結果は関係ない」と「選挙で負けても、安全保障上の問題は、地方の民意に関係なく、国が決める」という訳です。そんなことを本土で言えるのか、言ってきたか?と沖縄が本土に問いかけています。そんな差別を許していいのか…だれかを犠牲にして得られる豊かさや安全を黙って享受していいのか、問われていますね。