「日本は世界の放射能のゴミ箱(最終処分場)に?」と”小林節氏遂に立つ”

(<「アーニーガンダーセン「隠され続けるフクシマの現実・・・」>に次いで二つ目です)
PS
◎昨日、昼間、一人でいる時、電話がありました。世論調査の電話アンケートでした。支持政党のところで、「ナシ」と答えたのですが、今朝、内田樹氏のツィート欄でビッグニュース。憲法学者小林節氏が新たな政党を作って、ご本人も参院選出馬とのこと。
記事によると、「野党共闘の先頭に立つべき民進党の動きが遅く、このままでは時間切れになる。既成政党に不信を抱く無党派層に関心を持ってもらうため、旗を立てたい」ということです。

内田樹 ‏@levinassien · 2時間2時間前

小林節先生、ご自身で政党を立ち上げて参院選に出ることにされたそうです。偉いなあ。ほんとに偉い。応援せねば

朝日新聞社会部 ‏@Asahi_Shakai · 1 時間1 時間前


きょう、会見へ

小林節氏ら参院選出馬へ 「安保法廃止」で政治団体設立
朝日新聞デジタル


 安全保障法制を「違憲」として廃止を訴える憲法学者小林節慶応大名誉教授(67)らが政治団体を設立し、夏の参院選比例区から立候補する意向を固めた。「反安倍政権」を旗印に候補者をインターネットなどで募り、小林氏も含めて選挙運動が認められる10人以上を擁立する方針。9日に記者会見して発表する。


(以下コチラで:http://www.asahi.com/articles/ASJ584SQTJ58UTFK001.html
※写真はネットの画像をお借りしました



◎[苫小牧福音教会 水草牧師のメモ帳」さん5月5日のブログ「わが国は世界の放射能のゴミ箱に」で教えてもらって記事の紹介です。
いつだったか、「日本はアメリカの核のゴミ捨て場になる」という言葉を読んだことがありましたが、現実的な話として、フランスが考えているというニュースです。基準値を甘くすれば、全世界で困っている低レベル放射性廃棄物を引き寄せるようにゴミ捨場の役割を日本が果たすことになります。地震津波や火山で大変な国土なのに、その上放射能廃棄物で埋まって空気も大地も川も海も汚染され、子々孫々受け継がれてきた山紫水明の日本は、私たち世代で失われてしまうこと・・・。誰がそんなこと決めたの? 知らなきゃ分からないニュースです。
では、記事、コピーです。(引用元:http://natureflow1.blog.fc2.com/blog-entry-468.html

核ゴミは日本へ送れ
- 日本が放射性廃棄物最終処分場になる -



ヴェオリア、日本で低レベル放射性廃棄物処理
日本経済新聞 2016/4/16
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM15H7E_V10C16A4MM8000/
転載開始

【パリ=竹内康雄】水処理世界最大手、仏ヴェオリアのアントワーヌ・フレロ最高経営責任者(CEO)は日本経済新聞記者と会い、放射線量が低いごみの処理事業を日本で始める計画を明らかにした。多くの原子力発電所廃炉になるため需要は旺盛だと判断した。
−−−−−−転載終了

なぜ日本で?
環境省は、3月30日、東京電力福島第1原発事故後の除染で出た汚染土に関し、8,000ベクレル/kg以下の汚染土を、全国の公共事業で利用できる方針を決定



日本では8000ベクレル/1kg 以下の放射性廃棄物を、公共事業で再利用できる。
日本に運ぶだけで、処理しなくても、放射性廃棄物が再利用できる。
そんな国は福島原発事故を起こした日本だけ
核ゴミは全部日本へ送れ - 日本が放射性廃棄物最終処分場になる


他国から見ると 8000ベクレル/kg 以下の放射性廃棄物の処理費用=タダ同然!
はるばるヨーロッパから船で運んで捨てても安過ぎるわけです


日本は、福島原発事故の汚染を全国に拡散するだけではなく世界の原発廃炉放射性廃棄物の、最終処分場になるのでしょうか?

◎久しぶりに「みんな楽しくHappy♡がいい♪ 2011年3月11日。その後私は変わりました。」さんを訪ねたら、同じ問題を取り上げておられます。
1.環境省「8000ベクレル/kg以下の除染土を全国の公共事業で再利用する」について(文字起こし)満田さん〜おしどりマコケン」http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4627.html
◎赤いバラが蕾から1日で花が開きます。次々切り花にして、あと2,3個の蕾がまだついていますので、あと少し楽しめます。開くとかなりの大きさで、顔を近づけると香水のようないい香りがします。5月の初めはバラの季節です。前々日と前日に切った花が、活けてからでも一回り大きく花開きます。ビロードのような赤がとても美しい。ビロードの深い赤は、私の子どもの頃の懐かしい思い出の色です。写真館で写した家族写真の中で、妹が着ていた白い襟のついたワンピースの赤い色、そして母が余所行きに着た着物の肩掛けの黒く見えるほどの深い色です。