蜷川作品と柄谷行人の「憲法の無意識」


昨日は蜷川幸雄さんの告別式でした。蜷川さんが見出して育てた俳優さんの何と大勢だったこと、と改めて。私が初めて蜷川演出の舞台を見たのは、あの1987年の「NINAGAWAマクベス」のイギリスでの成功の後の凱旋公演でした。仏壇の枠の中で演じられるシェイクスピ劇に度肝を抜かれました。当時、積み立て金でお芝居を見るグループ(主に子ども会の母親仲間)があって、多い時は6,7人で。そこで、皆で一緒に観だしたのが蜷川さんのお芝居でした。蜷川作品の大阪公演の度に、案内の葉書が来て、優先予約できるようになり、その後の作品も見ることに。私が行けなかった「近松心中物語」は、皆さんから興奮気味の観劇後の感激談を聞きました。どの作品も鮮やかに舞台が甦って来るのはサスガです。
思い出の中の蜷川作品を並べて追悼したいと思います。


 ・NINAGAWAマクベス栗原小巻平幹二郎

 ・身毒丸藤原竜也白石加代子

 ・リチャード三世(市村正親

 ・卒塔婆小町(白石加代子

 ・三人姉妹(原田美枝子・荻野目慶子)

 ・ヘンリー六世(上川隆也大竹しのぶ)(蛙ブログ2010年4月)

◎「蜷川幸雄さん告別式 俳優5人の弔辞全文」(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160516/k10010523131000.html


いつも母が読み終わった読売新聞の夕刊を廻してくれます。「解題新書」というコラムがあり、昨日のタイトルが「『国のかたち』と憲法論議」。
5月3日は憲法記念日である。例年、この時期に憲法関連の本が多数刊行されるが、今年はやや雰囲気が違う。安倍晋三首相が改めて憲法改正への意欲を語るなか、はたして憲法改正参院選の論点となるのか、緊迫の度を増しているからだ。」という書き出し。
紹介されている三冊の新書は、樋口陽一小林節『「憲法改正」の真実』(集英社新書)、柄谷行人憲法の無意識』(岩波新書)、平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書)です。2冊目の思想家柄谷行人の「憲法の無意識」は、丁度、読み始めたところです。
このコラムで紹介されている記事では:「異色の憲法論を展開している。戦後70年を経てもなお、なぜ改憲は実現しないのか。自衛隊があり、米軍基地も多数存在するにもかかわらず、憲法第9条はなぜ残っているのか。このことを「無意識」という心理学の概念を用いて分析するのが本書の特色である

 意外なことに、柄谷は江戸時代まで歴史を遡る。徳川の体制は、それ以前の400年の戦乱に終止符を打つものであった。その意味で、同じ戦後の体制であった第2次大戦後の日本と共通していると柄谷はいう。一例をあげれば、兵士であるが兵士でないという点で、現在の自衛隊と徳川体制の武士とはどこか似ていた。 
 明治維新以降の日本は徳川体制を否定したが、敗戦に至ったとき、日本人が無意識のうちに思い出したのは「徳川の平和」であった。己の攻撃衝動を自ら抑制する憲法9条を受け入れたのも、このような無意識に基づくものであったと柄谷は主張する。」

 私はまだ半分も読めていないのですが、とても面白い本だと思って楽しみにしています。ところで、このコラムの筆者は宇野重規(東大教授・政治学)という方。これが、讀賣?と一寸意外でした。
写真は白花のツユクサ、瑠璃トウワタ、山アジサイ、そして黄色い花は父が若いころに手に入れたという山野草

PS:昨日は母の俳句の日、2句を・・・


      目薬の的が外れて玉すだれ

      石あれば座して一息五月の杜