安倍首相と憲法について(保坂正康氏と河野洋平氏)


◎5月の3日の安倍総理憲法改正メッセージを読売新聞は安倍首相の肩書で、そっくり掲載。自民党憲法草案とも異なる安倍首相の考え。何のための憲法改正なのか。自分の手で、憲法を「改変」することだけが目的なのか。異様で執拗な安倍首相への改憲執着について、保坂正康氏の記事(毎日)と、河野洋平氏の講演(産経)をメモしておきます:

内田樹さんがリツイート
デモクラシーな言葉‏ @whatsdemocracy 5月25日

安倍首相は従来の日本とは全く異なる国家をつくろうとしている重大局面を迎えているにもかかわらず、なぜ日本のメディアは問題提起せず議論を展開しないのか国民が選択しようにも、メディアが沈黙していては選択肢は見えてこない。(ニューヨーク・タイムズ東京支局長マーティン・ファクラー)

内田樹さんがリツイート
buu‏ @buu34 5月25日
憲法審査会 民進山尾総理は、自衛隊を合憲化することが私の使命と合憲化するとは、すなわち、現在安倍総理は、自衛隊違憲論に立ったということであります自衛隊違憲論に立たない限り、合憲化する必要はありません合憲の自衛隊を合憲化すると言うことは、論理的に成り立ち得ません。


内田樹さんがリツイート
田崎 基(神奈川新聞 記者)‏ @tasaki_kanagawa 5月22日
一線の憲法学者ら声を上げています。「首相改憲提言に警鐘」http://www.kanaloco.jp/article/252766 批判を受けると『代案を示せ』と言い募る安倍首相の憲法に対する不真面目さ」「浅はかな考えで政治や社会の基本原則に手を付けるべきではない」 #安倍首相改憲


▼冨永 格‏ @tanutinn 5月23日
「期限を切るには理由が必要だが、安倍首相は何も説明していない。五輪があるからとにかく憲法を変えたいというのは、個人的願望を主権者である国民に押し付けるもので、憲法の私物化だと長谷部恭男氏。(http://www.asahi.com/articles/DA3S12950869.html


 5月3日の安倍晋三首相の改憲メッセージをめぐり、法学などの専門家でつくる「立憲デモクラシーの会」は22日、東京都内で記者会見し、「改憲自体が目的であるかのように、憲法を軽んじる言辞を繰り返すことは、責任ある政治家のとるべき態度ではない」と批判する見解を発表した。


 長谷部恭男・早大教授(憲法は「合理的な安全保障論抜きで、もっぱら情緒に訴えて憲法9条を変えようとするのは本末転倒」と語った。西谷修・立教大特任教授(哲学)は「96条の改正や緊急事態条項の新設など、政権側がご都合主義的に手を替え品を替え出してくる改憲の提案に国民が振り回される」。山口二郎・法政大教授(政治学)は「野党から質問されて『新聞を読め』と答える安倍首相に憲法を論じる資格はない」と述べた。

◎歴代の首相31人の中でも、戦後の新憲法下の政治の在り方そのものを肯定的に捕らえないで改憲を唱える首相は安倍首相以外にいないと保坂氏:

山崎 雅弘‏ 
@mas__yamazaki
保阪正康現在の憲法が制定されて以来、首相は吉田茂から安倍現首相まで31人に及ぶが、これほど改正のみを叫ぶ人物はこの31人の中に、安倍首相以外ひとりもいなかった」(毎日)https://mainichi.jp/articles/20170513/ddm/005/070/006000c …「確かに、岸信介中曽根康弘らは改正を口にしたが、それでもそこに

昭和史のかたち 歴代首相と憲法保阪正康会員限定有料記事 毎日新聞2017年5月13日 東京朝刊



戦後日本肯定する施政方針演説  


安倍晋三首相はこの5月3日にも、憲法改正の意志をあらわにし、それも2020年という時間を設定しての覚悟を示した近代日本の首相の中で、これほど改正それ自体を強調し、どこをどのように変えるかの論点を明確にしない首相も珍しい。まず「改正ありき」では、論戦そのものが逆立ちしているように思えるほどだ


 現在の憲法が制定されて以来、首相は吉田茂から安倍現首相まで31人に及ぶが、これほど改正のみを叫ぶ人物はこの31人の中に、安倍首相以外ひとりもいなかった確かに、岸信介中曽根康弘らは改正を口にしたが、それでもそこには自制が感じられた。私自身そのことに関心を持ち、特に憲法制定以来、昭和という時代に首相の座にあった15人(吉田茂から竹下登)の施政方針、所信表明の演説文を丹念に読んでみた。社会党片山哲を除いてすべてが自民党とそれに連なる保守系ということになるが、しかしそこには微妙な違いがいくつもあると気づいた。つまり戦後日本の歩んだ道は、この憲法によってつくられてきたとの強い認識を持った。


 たとえば田中角栄は、1972年10月28日の所信表明演説において、「戦後四半世紀にわたりわが国は、平和憲法のもとに、一貫して平和国家としてのあり方を堅持し、国際社会との協調融和のなかで、発展の道を求めてまいりました。わたくしは、外においては、あらゆる国との平和維持に努力し、内にあっては、国民福祉の向上に、最善を尽くすことを政治の目標としてまいります」と語っている。福田赳夫にしても、77年1月31日の施政方針演説で外交・経済政策を訴えたのち、その末尾で憲法には直接触れないにしても、国民の皆様も「いたずらな物欲と、自己本位の欲望に流されがちの世相から訣別(けつべつ)」しようと呼びかけて、次のように断じている。
 「この日本の国土の上に、世界中の国々から信頼と敬意をかち得るように、真に安定した文明社会をつくり上げようではありませんか」



 このように自民党の首相演説を読んでも、憲法がつくりあげた戦後日本という空間そのものを肯定的に捉えていることがわかる。


 中曽根康弘は83年1月24日の施政方針演説のなかで、「わが国の戦後の発展は、何よりも新憲法のもたらした民主主義と自由主義によって、日本国民の自由闊達(かったつ)な進取の個性が開放され、経済社会のあらゆる面に発揮されたことによるものであります」と極めて明快に説いている。


 吉田茂は現憲法制定を直接に進めた首相だが、第1次内閣組閣時の46年6月21日の議会(このときはまだ帝国議会だったが)で、民主主義と平和主義の実現を目指し、「憲法ノ改正ヲ待ツマデモナク、軍国主義ト極端ナル国家主義トノ色彩ヲ完全ニ払拭(ふっしょく)シ、其(そ)ノ将来ニ於(お)ケル再生ヲ防止スル為(ため)」に努力することを約束している。片山哲芦田均らもその方向を明確にしている。つまり憲法制定時の首相たちは積極的に自らも関わりをもち、この憲法を守ること、そして憲法の精神を生かすこと、軍国主義復活を許さないこと、を憲法を論じるときの姿勢に据えていることがわかってくる。

 ともすれば改正論者の中には、「押しつけ憲法」とか「占領憲法」と平気でレッテルを貼る者も見られるが、それが吉田茂をはじめ先達たちをいかに愚弄(ぐろう)しているかを知るべきであろう。どこをどう変えるかではなく、改正のみを主張するのもまたこうした愚を犯しているといっていいのではないかと私には思えるのである。


 昭和30年代の、いわゆる55年体制成立後しばらくの首相演説は確かに憲法の精神にそれほど触れていない。鳩山一郎は自主憲法の制定を主張したが、55年体制成立直前の同年1月22日の施政方針演説では、その改正には慎重を期すべきであると前置きをして断じている。
 「政府といたしましては、国民各層の意見を十分に徴して、子細にその内容を検討し、平和主義、民主主義の原則を堅持しつつ、最もわが国情に適するごとく改善の方途を講じなければならない
 改正するにしても国民総意のもと、その方向は前向きにということである。



 石橋湛山は特に憲法に触れていない。その施政方針演説(57年2月4日)は、石橋が病で倒れたために岸信介首相臨時代理が原稿を代読する形になっている。ハト派の演説をタカ派が代読したわけだ。石橋退陣後に、岸内閣が成立するが、同年2月27日の所信表明演説では、石橋内閣の施政方針を引き継ぐと言っている。憲法観では石橋と異なっていたので、就任時にはあえて触れなかったのであろう。


 保守系内閣の中でもっとも明確な憲法観を打ち出した首相は鈴木善幸で、80年10月3日の所信表明演説では、「私は、今後とも、憲法の定める平和と民主主義、基本的人権尊重の理念を堅持し、国民の優れた力を結集して、わが国の将来を確かなものにしてまいりたい」と宣言している。こういう演説に触れると、月並みな護憲派改憲派という分け方に改めて疑問がわいてくるのである。

産経新聞の5月31日の記事(msnニュース)のタイトル<「安倍という不思議な政権」河野洋平衆院議長が首相を呼び捨て猛批判 外交も「中国の嫌がることばかり」「9条は触るべきでない」 講演詳報> から、憲法についてのところを引用です:


憲法改正 


憲法問題は私もいろんな思いがあって、まず9条についての前に。私は昭和42年に初めて議員になった。2期目か3期目かに自民党が立党20周年を迎えるに当たり、党の政策綱領を見直すということになった。当時は三木武夫内閣、松野頼三政調会長中曽根康弘幹事長だった。松野氏に呼ばれ、たたき台を作る小委員会の委員長をやれと言われてびっくりした。まだ当選2回か3回目の議員に政策綱領を見直す小委員長なんて、なんかの間違いじゃないかと思った。でも、できるだけ委員の人選をしろと。オレが見てやると。とにかく急いでやれと。私はできないと言ったが、そんなこと言っている場合じゃないと。私はじゃあやりますと返事し、腹の中は、やるからには憲法問題、いくつかやりたいことを書き込んでやろうと思った」


 「まず憲法について、自民党という政党は、安倍さんは一貫して改憲を主張し、目指している政党だという。新聞にもやや勘違いがあるんじゃないかと思うが、自民党改憲の党だと書いているところがあるが、これは間違いだと私は思う
 というのは、自由民主党という政党は、自由党民主党が合併してできた党だ。自由党は吉田(茂)さんがリーダーで、いわば護憲政党だ。民主党は鳩山(一郎)さんがリーダーで、改憲を主張する人が多く集まっていた。改憲を主張する人が多い民主党と、護憲を主張する人が多い、しかも長い間政権をとってきた吉田さんたちの勢力が一緒になり、改憲党になるはずがないじゃないか。護憲党と改憲党が一緒になって。改憲党になるとは到底思えない。それは大体、足して2で割りますよ。だからやったって2分の1の改憲か、2分の1の護憲かと私は思う。それが合併してできた自民党は一貫して改憲を主張する政党だなんて明らかにスタートは間違っている。認識が



「おそらく、保守合同を熱心にやって三木武吉さんは憲法についてはほとんどコメントがない。保守が一方になって、きちっとした日本を作っていかないといけないと言っているんで、改憲のために保守合同をやったとは私は思えない自民党ができたときに5つの文書があって、立党の精神とか文書があり、そのうちの3つの文書の中には改憲なんて1カ所もない。後の2つの文書の最後に、憲法問題について記されている。これは自主憲法の制定ですか。自主的改正でしたか。ということが書いてあるのは、文書の一番最後に書いてあるだけだ」


 「私は、小委員長を務めたとき、憲法問題を書く必要はないと。憲法問題は切っちゃおう、取っちゃおうと当初思っていたくらいだ。そんなことはできなかったが。もう一つは自民党の政策綱領に非核三原則をきちんと書いてやろうとも思った。そんな野心的なこともちらっと考えたものだから、小委員長を受けた。それは私の大間違いで、政治人生がそこで狂っちゃった。ちらっと書いたばかりに、自民党から猛烈な非難を受けた。お前は自民党にいるべき人物じゃない、とまで言われた。私はこの党には私の座る席はないと自民党を離党したくらいだが、まあ引き金はロッキード事件だが、その下地はそういう憲法問題があったくらい、憲法には関わってきた」


 「その時にも憲法問題はとても書かないどころか、一番最初に書けと言われて、粘っていたが、結局書けということになり、自主憲法制定を目指してうんぬんと最後は書かされるが、それでもなんとかならんかなと思い、私が総裁になったときに、自民党が野に下っているときに一時期なるが、総裁の時にやった仕事の一つは、政策綱領を変えて、国民とともに議論をしようというふうに変えて、改正という言葉を使わない、消したのが仕事の一つだった。後藤田正晴さんのリードでやった」



 「そんな歴史があり、最近の9条問題について、安倍さんの突如としてああいうことを仰る言い方には私は全く驚いている。理解のしようもないというのが私の気持ちだ。いろいろと議論やご批判もあるだろうが、私の個人的な主張を言えば、9条は触るべきでない。このままでも国民の皆さんは納得しているんだからこのままでよいと私は思う。人によっては、自衛隊を、軍隊と言うべき自衛隊の存在がある以上、書くべきだと仰る方もあるが、私はそれは間違っている。つまり、憲法はいつでも現実に合わせて変えていくんじゃなくて、現実を憲法に合わせる努力をまずしてみるというのが先じゃないのか」


 「いや、もちろん世界情勢の変化とかいろいろあるから、そんなこと言ってたら日本を潰すよと仰るかもしれない。しかし、何でも憲法が事実自体がこうなんだから憲法をこう変えましょうと。実情がこうだから憲法をこう変えましょう。憲法が現実を追いかけて歩いているなんてのは、憲法にはひとかけらの理想がないのかと私は言いたくなる。やはり憲法というのは一つの理想が込められてなきゃならんと思っているもんですから、私はこの憲法問題については全く合意できない」


 「しかも、安倍政権のもと、憲法問題をやるなんてことは、あり得ないことだと思っているこれはおそらく最近の日本の政治の中で、最も方向のこれまでと違う方向を指している政治の中で憲法を変えるのは、こんな方向で日本が歴代内閣がやってきた方向じゃない。それを安倍という不思議な政権ができて、その人が指さす方向に憲法を変えていくなんて、私は到底納得できないし、仮に国民投票に付されれば、全く認められるものではないと思っている。そんなことをやるくらいなら、それに費やす政治的エネルギーはほかにもっと使わなきゃならんことはたくさんあるだろうと思う。これについては合意できない」


 「自民党の中で小委員長をやって憲法問題をやや軽視したような文書を書いたと大変怒られたが、その時に自民党のベテラン議員の中には、オレがあの憲法マッカーサーから預かってきたんだと。オレがやったんだ、怒られたり、憲法をつくるまでにどれくらい関わり合っていたかとか、嫌というほど聞かされている。それはよく分かるが、最終的に日本の議会で議論し、修正すべきところを修正して作ったものじゃないから、それを、ただただ借り物だと言って憲法を非難するのではなく、憲法を70年近く持って平和な国を作りあげてきたという国民の理解、合意をやはり考える必要があると思う。憲法を日本人が本当に日本人としてこなしきっているというか、完全に咀嚼(そしゃく)して使っていると私は見ていて、いろいろ意見は分かるが、依然として私は現行憲法は良いものだ、大事にすべきものだという私の気持ちに変わりはない」