金曜デモとヘイトクライムと「弱者を生かす人間の生存戦略」

(「小池候補とその支援団体」・・・に次いで2つ目です)


◎7月最後の金曜日、都知事選投票日直前でもある金曜日の官邸前デモの様子を「特別な1日」さんのブログで。今回のタイトルは、「『今週の酷いニュース(笑)』と『0729再稼働反対!首相官邸前抗議』」です。

まず、経済について、断末魔のアベノミクスを表す日銀の規制緩和、残るは財政出動のみ。それとて、効果は一時的、国の借金だけは確実に増えていく。もう一つは、選挙前に公表できなかったGRIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の昨年(今年の3月まで)の運用損が5.3兆円であることも発表されました。「今年度末(来年3月)にはアベノミクスの株高の成果が全てパーになっても驚きません。」とのこと。ふかしたエンジン本体がぶっ飛ぶ可能性ありですね。

そして、相模原の大量殺傷事件について:

さて、今週起きた相模原の19人殺傷事件は言うまでもなく、酷い話でした。もちろん、犯人はまともではありません。しかし、まともでないとか、ヤク中とか、犯人を例外扱いしていいのだろうか、と思うのです。ヤク中が綿密な計画通り犯行を実行したり、『激務中 恐縮ですが、安倍晋三さまによろしくお伝えください』なんて衆院議長あての手紙を書けないでしょう。大麻の問題でもなければ精神障害の問題でもない。これはヘイトクライム(特定の国籍・性別・宗教の人への憎しみに基づく犯罪)です。


犯人のtwitterをボクも見てみましたが、彼がフォローしていたのは数稼ぎのトルコ人?の他は、永遠のゼロ点?みたいな特攻隊を商売にする右翼ハゲ(百田尚樹)やネトウヨ系のクズどもが大勢並んでいました。(くだらないので、こういうものはリンクしません)


犯行当時投稿したツイートが『Beatiful Japan!』(『美しい日本』by安倍晋三)だったり、衆院議長への手紙を見ても、犯人がネトウヨ的な思想に毒されていたのは否めません。当人は『ヒトラーの思想が降りてきた』(http://toyokeizai.net/articles/-/129440)と言ってるそうですが、ヒトラーの発想と似たような思想ばかり触れているのですから、降りてくるも何も、元からそういう発想なんだと思います。

この事件は海外でも大きく報じられたそうですが、海外で起きているテロと同じ性格を持っていると思います。他人に対する排他的な思想、独善的な感情が引き起こした大量殺人です

◎こうした考えを生む今の社会を、じゃ、どうすればいいのか・・・「北欧型の自由主義+重福祉経済だとボクは思います」「金儲け万能を見直し効率的な再分配政策によって持続可能な資本主義社会を日本が築いていけたら、それこそ、世界の課題解決先進国として、大きな影響力を持つことが出来る。その種子は日本の中にいくらでもあります」とも。

★詳しくはぜひブログを訪ねて:http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20160729/1469799460


ということで、今週も官邸前抗議へ。今日は同時刻にやっている鳥越氏の街宣へ行ってる人も多いんでしょう。何しろ、こう↓ですからね。参加者は主催者発表で700人。

【首都圏反原発連合】鳥越候補は東京から250キロ以内の原発廃炉を要請すると明言しました!脱原発実現に向け大きく前進するために鳥越都知事を誕生させましょう!#金曜官邸前抗議


☆「東久留米日記」(http://d.hatena.ne.jp/higasi-kurumeda/)さんが、相模原の大量殺傷事件を取り上げて、「ロシアやアメリカ政府からも弔電が届いたり欧米の新聞が問題・の詳細を報じたりしている。官邸からのは通りいっぺんのコメントで、障害や差別やヘイトクライムについては全く言及していない」として、いろいろ紹介されていますが、その中の最後の「Yahoo知恵袋」の質問とベストアンサーのやり取りをソックリ載せてみます。ヘイトクライムに対抗する考え方として立派だと思います。

弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思い...

irie120310さん
2011/6/112:32:25


弱者を抹殺する。


不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。


でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?
文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。


ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。


人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。


閲覧数:1,297,462

ベストアンサーに選ばれた回答
mexicot3さん
2011/6/118:19:42
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え〜っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません

弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です


個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです


種レベルでは「適者生存」です この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意


そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです

必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り



「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです


そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります


「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります


人間の生存戦略は、、、、「社会性」


高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる"弱者"です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です


どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の"弱者"を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました


生物の生存戦略としては大成功でしょう
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)


「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です



遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです


(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)


アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです


その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです


だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです


我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンス生存戦略だということです


ナイス 2758

質問した人からのコメント

2011/6/2 22:50:19

降参 どの回答もよかったですが、貴方様の回答が読んだ際一番面白く、興味深く読み進めることが出来ました。

ありがとうございました。