「新しい戦前」回避のために(吉永X姜対談)と米退役軍人の高江決議とNHKスペシャル

◎いつも貴重なニュースを紹介してくださっている「No Nukes 原発ゼロ」(http://no-nukes.blog.jp/archives/8659828.html)さんのサイトから吉永小百合さんと姜尚中さんの対談です。吉永小百合さんは終戦の年生まれ、私の一つ年下です。吉永さんの言葉は、現憲法のもと戦後民主主義を生きてきた私たち世代の感じ方や思いと重なります。
3・11以後の動き、特定秘密保護法や安保関連法などのアブナイ法律が国民多数の反対にもかかわらず次々と荒っぽい方法で成立する政治の大きな動きの中で、ともすると打ち負かされそうになって、どうしてよいかわからなくなります。でも、大きな流れに抗して生まれた新しい動き、姜さんが指摘されている新しい流れに目を向けなければなりませんね。

2016/08/16

吉永小百合姜尚中が緊急対談「新しい戦前」回避するために

女性自身 8月15日(月)6時1分配信


――吉永小百合さん(71)と姜尚中さん(65)はラジオの番組などで折に触れて意見の交換を重ねてきた。そんなふたりが緊急対談。いまこの対談を通して、訴えたいこととは。



吉永小百合(以下、吉永) 初めてお話したのは07年。私のラジオ番組に来ていただきました。そのとき私、姜先生に、こう質問しました。「『憲法9条を守ってほしい』と友人に言ったら『よその国が攻めてきたらどうするのか』と言われて、言葉に詰まってしまいました。なんと返せばよかったのでしょうか」って。

姜先生は、「あの天文学的な軍事力を持っているアメリカでも、9.11のテロを防げなかった。だから日本も、アメリカ以上の軍事力を持たないと、武力で抑止するのはむずかしいし、それは不可能。憲法9条を持っていることのほうが、より安全を守れるんですよ」と答えてくださったんです。


姜尚中(以下、姜) あぁ、そんな話をしましたね。吉永さんも、この間さらに、憲法9条を守ってほしいというお気持ちが強くなったのではないですか。昨年は、安保関連法も成立してしまいましたからね。


吉永 大混乱のなか強行採決されてしまって。あきらめかけている方も多いのではないでしょうか。私自身もそういう思いになることがあります。私は若いころ、母に「なぜ戦争は起こったの?反対はできなかったの?」と質問したことがあるのです。

そしたら母は、ひとこと「言えなかったのよ……」って。言えないって、どういうことなんだろうと、そのときは理解ができなかった。けれど最近、母の言っていた意味がわかります。今の世の中を見ていると、息苦しい感じがして。


 そうですね。私も、この年齢になって、実際、日本が「新しい戦前」に向かうのではないか、という気持ちがないわけではありません。以前は「やっぱり戦争はダメ」という最低限度の暗黙の了解がありましたが、最近は、そのタガが急に外れつつあると感じます。


吉永 はい。こんな時代だからこそ、私たちも、思っていたら言わなきゃいけないと、今改めて思っています。


 たとえ感情的だと思われても、戦争は嫌だと言い続けなければなりませんね。


吉永 はい。日本は核廃絶に関する会議があっても、政府として明確に核廃絶を訴えませんよね唯一の被ばく国だから、核や核兵器は絶対やめようと言ってほしいのに言わない被爆者の団体の方たちも、どんなにガッカリしていらっしゃるかと思います。それはシンプルに言わなきゃいけないことなのに。


 今、こうして僕たちが話をしている間も、沖縄の高江という集落では米軍のヘリパット建設に反対する住民たちに対して政府の荒っぽい弾圧が行われています。けどこうした問題を中央のメディアは、あまり伝えません。


吉永 ええ。そんなに必要なら海兵隊を東京に持って来たらどうかと思うくらい、申し訳ない気持ちがあります。言葉では言い表せないほどつらい経験をしてきた沖縄の人たちに、もっと人間らしい対応をしてほしいと思うんですね。


けど、なかなかそういう思いは政治に反映されません。私自身、どういう形で政治をチェックし、参加していけばいいのだろうと、思い悩んでしまうんです。


 けど、僕は今回、日本の市民社会の成熟はたいしたものだと思いました.「シールズ」のような若い人たちが声をあげ、全国にはお母さんたちの「安保関連法に反対するママの会」ができました。

またこれに一般市民や学者が加わり、市民連合ができたその後押しで、参院選野党共闘が実現し、すべての一人区で統一候補が立てられました。吉永さんも関西の市民連合にメッセージを寄せておられましたね。


吉永 はい。こういう市民の活動は、ほんとうに素晴らしいと思います。みなさんが、自分が思っていることを声に出して、意志表示しておられる。その中でも意見はたぶん違うのだと思うのですが、いろんな場所で、つながって行動する力強さを感じました。ただ、これを継続していかないといけませんよね。


――未来への不安、老後の不安を抱えている人が多い日本。こんな時代を、どう乗り切っていけばいいのか。おふたりにお聞きした。


 市民連合やママの会などもそうですが、やはり「つながっていく」ことです。むずかしい言葉でいうと、「社会関係資本」と言うんです。つまり、お金では買えない関係ですね。社会関係資本が成り立っていれば「お金を貯めないと」と考えて、将来や老後を不安に思う必要はありません


吉永 人と人が手を携えて、思っていることを声に出していくことですね。今年は戦後71年ですが、私はここからが大事だと思うのです。先の戦争を反省し、2度と戦争をしないという憲法9条を大切にして、戦後が80年、100年と続くように、みんなの思いで平和をつなげていきたいです。

(完全版は『女性自身8月23日・30日合併号』で)

◎対談の中でも触れられている沖縄・高江について、アメリカの退役軍人が日本政府のやり方を恥ずべき行為と批判しています。前回紹介した決議に続く続報です。

内田樹さんがリツイート


西脇秀之 ‏@kaikisenCompany · 12時間12時間前

《「日本政府が沖縄を植民地と捉えている」などと厳しく批判。工事強行を「恥ずべき反民主的で差別的な行為」と非難し、米政府に同計画の放棄を日本側に伝達するよう要請》【沖縄タイムス】高江ヘリパッド中止求め決議 最大規模の退役軍人の会(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/57506)

辺野古中止決議と合わせ米国における沖縄支援の輪が広がりそうだ


 【平安名純代・米国特約記者】米市民団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」は13日、米カリフォルニア大学バークレー校で開いた第31回年次総会で、東村高江周辺のヘリパッド建設工事の中止を求める緊急非難決議案を可決した。米国で同計画をめぐる非難決議が採択されるのは初めて名護市辺野古の新基地建設中止やオスプレイの全機撤収などを盛り込んだ決議案とあわせ、全米で最大規模の退役軍人の会が、沖縄関連の2本の決議を採択したことで、米国内における新たな沖縄支援の流れを形成しそうだ


(東村高江周辺のヘリパッド建設工事の中止を求める緊急非難決議が可決され、喜ぶ琉球沖縄国際支部メンバーら=13日、米カリフォルニア大学バークレー校で)




 2本の決議案を提案したのは、琉球沖縄国際支部ダグラス・ラミス会長)。高江ヘリパッド建設計画を巡る緊急非難決議では、新基地建設計画に反対する候補者が勝利した参院選の翌日に約800人の機動隊員を動員され、抗議する住民らが排除されたことに、「日本政府が沖縄を植民地と捉えている」などと厳しく批判。工事強行を「恥ずべき反民主的で差別的な行為」と非難し、米政府に同計画の放棄を日本側に伝達するよう要請した。 


新基地建設の中止を求めた決議は、第1海兵航空団の沖縄県からの撤去や辺野古における新基地建設工事中止と建設計画の撤回、オスプレイ沖縄県からの全機撤収などを盛り込んだVFPの各支部に対、それぞれの地元自治体で同決議の採択を呼び掛けるよう求めている。


 沖縄関連決議の採択に、VFPのバリー・ラデンドルフ会長は「米軍基地を巡る強制的な工事着工は、日米両政府が現在も沖縄の人々を差別的な支配下に置いていることを示している」と認識を示し、「こうした状況を恥じる琉球沖縄国際支部のメンバーらが強い怒りを感じるとともに、当事者としての自らの責任を果たそうと提案し、採択された。われわれもできることに全力で取り組んでいきたいと積極的に協力する意向を示した

◎かつて海兵隊員として沖縄にいたことがある退役軍人のありがたい意思表示です。本来何の関わりも持たず普通に生きていた者同士が、国の政策によって敵として憎しみ合い殺しあう戦争。「終戦(敗戦)の日」の昨日15日、NHKスペシャルで放送されたのは「ふたりの贖罪(しょくざい)〜日本とアメリカ・憎しみを越えて〜」。一人は日本の敗戦間際に捕虜になり非人間的な扱いを受けたアメリカ人。日本人が差し入れた聖書に救われ宣教師となって戦後の日本へも。もう一人は、真珠湾攻撃に加わった日本人。戦後悔い改めアメリカで反戦平和を訴えることに。NHKの番組内容から:

 憎悪が、世界を覆い尽くしている。どうすれば、憎しみの連鎖を断ち切ることができるのか。その手がかりを与えてくれる2人の人物がいる。70年前、殺戮の最前線にいた日米2人の兵士である。
「トラトラトラ」を打電した真珠湾攻撃隊の総指揮官、淵田美津雄。その後もラバウル、ミッドウェーを戦い、戦場の修羅場をくぐってきた淵田だが、1951年、キリスト教の洗礼を受け、アメリカに渡り、伝道者となった。
淵田が回心したのは、ある人物との出会いがきっかけだった。元米陸軍の爆撃手、ジェイコブ・ディシェイザー真珠湾への復讐心に燃え、日本本土への初空襲を志願、名古屋に300発近くの焼夷弾を投下した。そのディシェイザーもまた戦後キリスト教の宣教師となり、日本に戻り、自分が爆撃した名古屋を拠点に全国で伝道活動を行った。
戦争から4年後の冬、ふたりは運命の出会いを果たす。ディシェイザーの書いた布教活動の小冊子「私は日本の捕虜だった」を淵田が渋谷駅で偶然受け取ったのだ。以来ふたりは、人生をかけて贖罪と自省の旅を続ける。淵田はアメリカで、ディシェイザーは日本で。
ふたりの物語は、「憎しみと報復の連鎖」に覆われた今の世界に、確かなメッセージとなるはずである。

◎「天天日記」(http://d.hatena.ne.jp/mm3493/20160815#1471270709)さんも、番組の感想ブログに、「無知は無理解を生み、憎悪を生む。憎悪は戦争を生む」という淵田氏の言葉を挙げておられます。この言葉がキーワードだと私も思いました。そして、天天さんと同じように、今年のNHKの番組(ETV特集の「加藤周一 その青春と戦争」を加えて)には、やっと少し安心しました。