「『琉球独立』は夢物語ではない」松島泰勝・龍谷大教授


◎父の圧迫骨折からそろそろ3か月近く、その間に百寿の会もあって、それどころではなかった「文藝春秋」誌が、2冊、我が家に。父もやっと少し普通の生活に戻った証です。母が毎月発売される日に本屋さんへ行って買い求め父に届けています。読み終わった本が我が家にひと月遅れで届きます。今回は一度に、二月分。その中から、7月号の「大型企画・2020年『日本の姿』」30本の記事から「琉球独立」についての記事を書き移すことに。母が、これまた読み終えた讀賣夕刊をすぐわが家に届けてくれますが、ちょうど、著者の松島泰勝さんが「ええやん!」というコラムに取り上げられていましたので、これも一緒に。まず、「文藝春秋」の「独立論」から:

琉球独立」は夢物語ではない
松島泰勝 龍谷大学経済学部教授


 1996年の米軍普天間飛行場返還合意を後押ししたのは、前年の米兵による少女暴行事件だった。だが以来20年、返還は実現せず、またも若い女性が米軍関係者の餌食になった。抜本的な解決策はもはやこれしかないのか。『琉球独立宣言』(講談社文庫)などの著書がある石垣島出身の経済学者が、専門とする島嶼経済の観点から、独立への道筋を説く。

 
 普天間だけでなく、沖縄県内にあるすべての米軍基地が無条件で返還され、辺野古にもほかのどこにも代替施設を造らずに済む方法があります。すなわち、琉球国として独立することです。日本でなくなれば、日米安保条約日米地位協定の適用を受けませんから、米軍基地が存在する根拠がなくなります。
 1972年の復帰から44年、琉球アメリカとの交渉を日本政府に委ね、期待を裏切られ続けてきました。しかし琉球国として独立すれば、一対一でアメリカとの交渉を行う立場を得ます。
 琉球新報が2015年5月に行った「独立に関する県民世論調査」では、「日本の中の一県のままでいい」が66.6%。「日本国内の特別自治州などにすべき」は21.0%。「独立すべき」は8.4%でした。独立支持派は11年11月の同じ調査で4.7%でしたから、まだまだ少数とはいえ、少しずつ増えています。

 
 基地問題で不満や失望を抱えてはいるものの、独立するといわれると経済がうまくいくか心配ーーこれが多くの県民意識だと思われます
 しかし、その心配は要らないばかりか、むしろ独立したほうが発展します。その論拠を示しましょう。


 沖縄県は今年度予算について、「歳入面では、県税等の自主財源の割合が低く、国の地方財政制度に大きく依存した脆弱な構造である」と指摘しています。しかし独立すれば、まず財源不足が解消されます。たとえば72年の返還から現在までに使われた沖縄振興予算の9割は公共事業ですが、うち半分は東京などに本社を持つ大手建設会社が受注しています。米軍基地内の工事を請け負うには100億円の補償金を積む必要があるので、現実的に大手ゼネコンしか受注できず、県内企業は排除されているのです。ほかの産業でも、同じことが起こっています。こうした植民地経済から、独立によって脱却できるのです。


 また世間には、「沖縄は米軍基地への経済依存度が高い。他県より多くのお金を日本政府からもらっている」という勘違いもあるようです。しかし基地関連の収入は現在、県民総所得の5%まで下がっています。13年度の国からの財政移転(国庫支出金+地方交付税交付金)は全国14位沖縄振興予算という名前が誤解を与えているようですが、これは上乗せではなく、他県ももらう国庫支出金と国直轄事業の合計のことです。


 今年度の沖縄振興予算は3350億円。地方交付税交付金が2066億円。独立すれば、この合計約5400億円はもらえません。その代り、県内徴収分の国税所得税法人税、消費税など)と地方税等の県の自主財源が琉球国の税収となります。13年度の実績では、合わせて4654億円です。金額は減るものの、振興予算の使い道が限定されているのに対して、こちらは自由に使えることが大きな意味をもちます。


 基地の跡地利用の経済効果からは、 前記の減額分を補う数字が出ています。米軍の牧港住宅地区は、返還後に那覇新都心として再開発され、県立博物館や美術館、ショッピングモールなどができてにぎわっています。沖縄県が昨年発表した調査結果によれば、地代収入や軍雇用者所得などによる米軍住宅当時の経済効果は52億円でしたが、現在は32倍に及ぶ1634億円とのことです普天間飛行場についても、返還されれば3866億円の経済効果をもたらすと、沖縄県と関係市町村は試算しています。現在の120億円に比べ、やはり32倍に達する大幅な増加です。



独立への五つの手順


基地は観光産業にとってもマイナスです。そもそも、沖縄の観光産業は大きく伸びています。昨年度、沖縄県を訪れた観光客は、過去最高の約794万人でした。国内客が79%を占めていますが、大型クルーズ船による中国本土などからの外国人は167万人に達し、前年比69.4%の大幅増となりました。ところが過去のデータを見ると、アメリカが中東で戦争を始めたり、テロが起こると、米軍基地を抱える琉球の観光客数は落ち込むのです。


 このように、基地の存在が経済の発展を阻害している現実を、一人でも多くの県民に認識してもらい、世論の喚起を促すことが、独立への第一歩となります。


 実際に独立するには、次の五つの手順が必要です。
1)沖縄県会議員のうち、独立支持派を過半数まで増やす。
2)県議会が、国連脱植民地化特別委員会の「非自治地域」リストに琉球を加えるよう、決議する。
3)「非自治地域」と認められた琉球は、国連や各国際機関からの協力を受けながら、脱植民地化の活動を行う。
4)国連の監視下で住民投票を実施し、独立支持が過半数を占めれば、世界に独立を宣言。独自の政府を作り、国連に加盟申請する。
5)国際法に基づき、平和的に独立する。日米をはじめとする他国と外交関係を結び、対等な交渉によって米軍基地、自衛隊基地を撤去させる。

 この”国連型”の独立なら、日本政府の承認は必要ありません。


 もう一つは、”スコットランド型”です。かねてから独立運動の盛んなスコットランドでは、14年9月にイギリス連邦からの独立を問う住民投票が行われました。このときイギリス政府との間に、賛成が過半数を占めれば独立を認める合意が、あらかじめなされました。しかし日本政府がこうした合意に応じるとは思えませんから、我々は”国連型”が現実的だと考えています。



 スコットランドの投票結果は賛成45%、反対55%で独立はかないませんでしたが、賛成票の多くが若い世代だったことは印象的でした。また独立を支持する大きな理由に、イギリスが国内唯一の核ミサイル潜水艦基地を押し付けていることへの反発や、かつて独立国だった点があげられるのは琉球とよく似ています。

  
 琉球が日本に統治された時期は、1879年の琉球処分から1945年の終戦までと、1972年の復帰から現在までの、合わせて110年余にすぎません。そして、日本の統治下にはいることも、20万人の戦没者を出した沖縄戦も、戦後のアメリカ統治も、すべて琉球人の意思ではありませんでした。独立を決める住民投票で、琉球人は初めて自己決定権を行使し、自ら将来を決めるのです


 独立を回復した琉球連邦共和国は人口140万人、有人島約50日本国憲法の九条に倣い、非武装中立国家となります。これまでは日本との格差是正を求めてきましたが、今後は地の利を生かし、アジア近隣諸国との連携強化を広く図ります。

 参院選を経て憲法改正の動きが加速すれば、在日米軍基地の74%を押し付けられている琉球は、再び戦場になる危険が高まります。そうなれば、独立運動は活発化するでしょう。県民の意識次第では、2020年の東京五輪琉球国代表選手団を送り込むことも、決して夢物語ではないはずです。

◎…と「琉球独立論」を語る松島泰勝さんは、1963年、石垣島生まれの53歳。
どうやって「琉球独立論」を唱えるようになったのかを、讀賣新聞の記事から:
昔、英語の教科書で、ウエールズイングランド支配下に入り、19世紀中ごろには、英語を話すよう強制され、禁じられたウエールズ語を話すと見せしめに「WELSH」と書いた板切れを首から下げさせられたという話を読んだ覚えがあります。あれと同じことが復帰後の沖縄であったということには驚きました。それでは、8月24日(水)の読売新聞夕刊の”ええやん!”「語る・聞く」の頁を書き移しました:

琉球人 島の未来思う
沖縄出身の竜谷大教授 松島泰勝さん  53


 もともとは、何の疑問も持たずに自分は日本人だと思っていたという。


 父親は気象台職員で、一家は石垣島南大東島与那国島と移り、那覇市へ引っ越した小学3年の時、沖縄は日本に復帰した。
 「復帰したから君たちは共通語を話しなさい、と担任に言われた。島言葉(しまくとうば)を話すと『方言札』を首から掛けられた。日本の教科書を一生懸命に勉強しました」。


 東京で広い世界を見たくて早稲田大へ進んでから、違いに気づいた。
 「いろんな人と会って自己紹介すると、特別な目で見られる。見た目の雰囲気や言葉のイントネーションが違うからでしょうか。どこの国からの留学生ですかときかれたりしました」。

 沖縄出身者向けの学生寮で暮らしていた。他の寮生も同様の違和感を抱いていた。琉球の歴史や文化の本を読みあさり、寮生たちと夜中まで語り合った。


 「自分は何者なのかと思い悩み、自問するうちに『琉球人である』と自覚するようになりました。国籍は日本だけれど、日本人でなく琉球人なんです



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 大学院へ進み、太平洋の島々を回って島の経済を研究した。「差別を乗り越えるには経済力をつけることだと考えたからです」


 仏領ニューカレドニア独立運動の現場を見たりするうち、先住民族問題への関心が高まった。1996年にスイスのジュネーブで開かれた国連人権委員会の先住民作業部会には、アイヌ人と並び、琉球人として参加した。
 その後、日本総領事館の専門調査員としてグアムに2年。「先住民族チャモロ人には実質的な政治決定権がない。観光業は主に日本企業が握っています」
 パラオ日本大使館にも1年。「人口2万人でも自分たちで政策を決め、環境保護と経済主権を大切にしながら、観光を中心に独自の国づくりを進めている。独立するとこんなに違うのか、と目を見開きました」


 現場主義。琉球だった島々をめぐり、島民と車座の語り合いを重ねてきた。


 2008年からは京都の龍谷で教えている。
 「日本の歴史・文化の中心地で、興味深いですね。神社やお寺は沖縄にはあまりなくて、文化が明らかに違う。その実感もあって琉球独立の力になる研究をしようと決心しました」


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 琉球の歴史をたどると、統一国家のないグスク・三山時代が二百数十年、琉球王朝が450年間。明治政府が王朝を滅ぼして沖縄県にしてから敗戦まで66年間、米軍統治が27年間、日本復帰後44年余り。日本の一部になった期間は短い。
 「王朝の後半270年は薩摩の支配下とはいえ、独立国。中国にも朝貢を続け、米・仏・オランダと独自に条約を結んでいました
 沖縄の言語や文化の違いを、日本の多様性の一部とする見方もあった。
 「沖縄のテレビ、ラジオ、新聞は島言葉をよく使い、市役所や県庁も使う。別の民族かどうかは血とかDNAではなく、各人がどう考えるかで決まる。琉球人という意識を持つウチナーンチュは多くなっています」

 「米軍基地の問題は、負担の大小だけでなく、自己決定権の問題翁長知事が『イデオロギーよりアイデンティティー』と言うのはそのことです。もとは独立国だったんですから


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 日本の憲法にも法律にも地域独立の規定はない 「世論が高まれば県議会などで決議して、国連の脱植民地化特別委員会の『非自治地域リスト』に登録を求めます。登録されると、国連の支援の下で住民投票ができます」
 経済は成り立つのか。 「今は米軍基地が広大な土地の利用を妨げている。人口は140万もあり、アジア各地との地の利を生かせば、経済は発展します」

 安全保障はどうか。中国が攻めてきたりはしないか
 「米軍が抑止力というけど、沖縄は現に基地の被害を受けている軍事力を持たず、各国と友好関係を結び、国連アジア本部を誘致して平和の拠点になる。そんな独立国を侵略して国際的非難を浴びる愚かなことを中国がするでしょうか
 力まず、穏やかな口調で説く。しかし独立論は今のところ沖縄でも少数派。本当に実現できますか?  
「居酒屋談義でも机上の空論でもありません。遠い先ではなく、この10年くらいの間に決まるでしょう

取材後記 /   世界遺産首里城を見学すると、琉球が独自に歩んだ歴史の長さがわかる。亜熱帯にある沖縄は自然風土が違うし、料理や音楽も違う。ウタキと呼ばれる信仰の聖地が各地にある。「日本人が行くと、異国情緒を感じるでしょ」と松島さん。


 中国の海洋進出、北朝鮮のミサイル開発などで日本周辺海域の安全保障環境は厳しさを増し、駐留米軍の重要性が高まっているとする声は大きい。一方で、米軍基地の移転問題などをめぐり、沖縄県は日本政府と激しく対立している。


 対立の底流に何があるのか。知っておくべき沖縄の歴史や人々の心情が琉球独立論には込められている

◎リテラ8月25日の記事「沖縄・高江で取材中の琉球新報沖縄タイムス記者を警察が拘束!「報道の自由」侵す暴挙も中央マスコミは一切無視」http://lite-ra.com/2016/08/post-2521.html