秋日和に波打つ黄金の稲穂と米山氏当選と「厳然とある沖縄差別」(香山リカ)


サッカーはガンバ大阪PK戦までいきましたが残念。でもこうやって最後まで残ってくれるのがうれしいです。そして、日本ハムの大谷くん、打っても投げてもスゴイですね。165キロ、すごかったです。そして、そして、気が気じゃなかった新潟。県民の皆さんの思いが新人候補の米山さん当選にまで。おめでとうございます。泉田知事が頑張ってこられたことが報われましたね。ホッとされていることと思います。昨日、NHKのニュースで、政府関係者(誰だったかな〜?)「県民の皆さんが示された民意ですので、よく聞いて尊重してやっていきたい」というような殊勝なコメント、聞いてた私、「同じことを沖縄県でも言ってほしい」。夫も「そうやな〜」と。そして、沖縄の話になりました。その日、「shuueiのメモ」さんが精神科医香山リカさんの記事を取り上げておられ、沖縄は差別されている。警察による人権無視が行われても、本土で報道されることは無いというものです。なぜ沖縄は捨て置かれるのか・・・香山さんのレポートです。
◎今お昼のニュースで、安倍総理まで言っています:「民意が示されたのですから協力していくのは当然です」。沖縄の翁長知事だってオール沖縄の民意の代表じゃない! それなのに、協力どころか話も聞かず、高圧的な態度で・・・高江では本土から機動隊を寄せ集めて人権侵害してるじゃない!

<高江を訪ねて>厳然とある「沖縄差別」 香山リカ精神科医
2016年10月15日 琉球新報

<前略>


私は精神科医だが、障害者への差別の問題にかかわってきた身として、日本の特定の地域に向けられている差別を看過することはできないと考え、“高江の現実”を見るために短期間であったがヘリパッド建設が進められている地区に赴いた。
 私が想像していたのとは違い、高江での抗議には「国会正門前の広場」といった拠点があるわけではなく、広大な米軍北部演習場を囲むフェンスのいくつかのゲート前や工事車両が通る道路などに市民が小グループを作って分かれ、それぞれの立場で抗議活動をしていた。座り込みをする人たち、ひとりプラカードを掲げる人、工事関係者の出入りをチェックする人などがいたが、いずれも組織だって行動しているわけではない。しかもその多くが高齢者で、ネットでしばしば伝えられるような暴力的行動はいっさいなかった。

 驚いたのは、彼らを取り囲む警察官や機動隊員の多さだ。「全国から500人」とも伝えられている屈強な隊員を乗せてきた車両のナンバープレートには、東京や大阪、愛知などの地名が書かれている
 機動隊員は、座り込みをする市民をいわゆる“ゴボウ抜き”とやり方で、強制的に排除していた。ひとりが脇に手を入れ、別の隊員が足を持ち、まるで荷物を運ぶようにその場から道端に移動させる。暴れるなどして強く抵抗する人はいないが、みな悔しそうな顔をしていた。



圧倒的な力に恐怖


 そして東京に戻る朝、私自身も強烈な経験をすることになった。砂利を運搬するトラックを監視する自家用車の隊列に加わっていたところ、機動隊に突然、停車を命じられて車の前輪に車輪止めをつけられ、3時間にわたってその場から一歩たりとも動くことを許されない、という拘束状態に置かれたのだ。そこから動けない理由を尋ねても、仕事の都合があると言っても、いっさいの答えはない。同じように移動を禁じられた高齢女性が「トイレに行きたい」と訴えたが、それでも「動かないで」と同じ言葉が繰り返された。どんどん気温が上がり、車内に座っていて体調を崩し外に出て座り込んだ若い女性は、涙ながらに「おかしいじゃないですか。どうしてトイレにも行かせてもらえないのですか」とつぶやいていたが、それにも答えはない。私も「飛行機の時間が迫っている」と言ってみたが、「何時の便ですか?」といった人間らしい会話が始まることはついになかった。

 私自身、恥ずかしい話だが、ここまで顔や名前を持つ「個人」として扱われなかった経験はなく、圧倒的な力の前に言葉さえ通じないことの恐怖を身をもって味わうことになったのだ

 その後、抗議する人たちの逮捕が続き、現在も演習場内で伐採が進められている森に入って防衛局員と対峙していた男性が「傷害」の容疑で逮捕され、
名護署での勾留が続いている。彼と行動を共にしていた人に直接、話を聴く機会があったが、容疑に相当するような暴力的な行為などはなかったという。


 もし、これが東京で起きていたらどうだろう。突然、自動車を止められて動かぬように拘束させられたり抗議活動中の接触などで逮捕されたりしたら、「人権侵害だ」「権力による弾圧だ」と大騒ぎになるはずだ。それがなぜ、本土の人たちは「沖縄なら仕方ない」「抗議する側にも問題がある」といった雰囲気となり、目を背けようとするのか。これは紛れもなく差別であろう日本国内にこれほど厳然とした特定地域への差別があることのおかしさを本土の多くの人たちに知ってもらうのが私の役割だ、といま強く思っている
香山リカ 立教大教授・精神科医

(全文はコチラ:http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20161016/1476559955


◎16日(日)は、午後からお天気が下り坂という予報でしたので、母との10時のコーヒータイムを済ませた後、カメラとお茶をもって稲刈りの田んぼを写しに出かけることに。小さいリュックで歩いて出かけるつもりでしたが、そうそう、寄せ植えの鉢のベゴニアがもう駄目になってきたので、ガーデンシクラメンビオラの苗を買ってこないと、ということで自転車で出かけることに。いつものコースで坊(の)島の田んぼを目指しました。
住宅街のはずれから一面黄金(こがね)色の田んぼが見えました。稲刈りはまだだったか。それにしても、秋の日にキラキラと黄金色に輝く稲穂の美しいこと! これはすばらしい。三本糸杉を過ぎたあたりで稲刈りをしているところもありました。田んぼを出て住宅街へ。さて、これから自転車で国道171号線を横切って苗屋さんを目指します。
当対池公園を抜けて真っすぐ下ると国道の信号、それを渡って南へ行くと見えてきました。この辺りは萱野三平さんのお屋敷の南東あたり。帰りは一筋西の信号から部落に入りました。自治会館前にお祭りの提灯が。今日は箕面も天狗祭りの日です。人権センター(ライトピア)前を通ると曲り池へ。池の手前の田んぼが稲刈りを済ませて稲架に刈り取った稲がかかっていました。

曲り池の向こうに銀色に輝いて見えるのはススキの穂!
そういえば曲り池の向こう側へ行ったことがありません。
今日は初めてのことをしてみようと、池の南側へ歩いて行き、
小屋の横に自転車を置いて、ススキを見るため畦を南へ歩きました。
刈り取った田んぼと稲穂が輝く田んぼが同居しています。
刈られた田んぼの東側は、お墓でした。それで、分かりました。
この辺りは中学校の頃見た景色そのままです。どうして変わっていないのか不思議でした。
あの頃は、こんなところに墓地があるのはわからなかったのですが、その手前にある小屋の景色まで当時と同じです。

曲り池の周りの斜面に立つと、夏、百歳のお祝いで親戚が集まった山荘が見えました。あれから三か月。ススキの穂が風にそよぐ季節になっています。