お茶のお稽古

月曜日は12月、師走、今年最後のお茶のお稽古でした。
先生のお宅につくと丁度車庫に車が。Nさんが一人で運転席から出てこられて、Naさんが風邪でお休みとのこと。

二人でお部屋に入ると、床の間には「無事是貴人」のお軸がかかって、ツボミの蝋梅の枝とこれまた椿のツボミが活けてありました。
写真は撮ったものの、パソコンに取り込む段階で12月1日以降の写真が取り込めなくなったまま。今回、写真なしでお茶のお稽古の記事が書けるかわかりませんが、メモ代わりに書いてみようと思っています。
ご挨拶して、先生が一寸と奥へ下がられて、Nさんがご実家での介護の様子を話し始めました。福井県大野の御主人の実家は、お兄さんが母親と奥さんの面倒を一人で見ておられるそうです。Nさんは、空いた日が連続して3日ほど取れると、車でご主人と一緒にお手伝いに行くとか。行動力のあるNさんだからこそと思って感心して聞いていました。そこへ、先生が黒塗りの箱膳に乗せて、お善哉をもって出てこられました。思いがけないおもてなし。小豆のほのかな甘みに焼き色のついた柔らかなお餅がいい具合です。さらさらとおなかに収まって体もほっこり。葉つき蕪の形の小皿にゆずの香りのする大根の香の物が入っていました。そしてお煎茶。三人で戴きながらしばし雑談。
今日は立礼式でと言われ、私が先に。ここしばらく正座して炉の前に座っていましたので、立礼は出来るかな…と思いながら、水屋で支度。夜学という11月12月の冬(1月からは春)の夜の長い時期にしか使わないという蓋置を選びました。
お茶碗は、ぼってりとした温かみのある志野と大胆な柄の入った厚手の織部を選びました。
扇形のテーブルの右端に水差しがおいてあり、左には電熱の上に鉄釜が据えてあります。
主(おも)菓子を運んで、いよいよお茶のお点前(てまえ)に入ります。最近は、少し教えていただくと割にすらすら進めるようになりました。10年の7月に始めて6年半になりました。

Nさんの番になって、私はお菓子と熱いお茶を戴きました。そのあと、先生と私は、ひとしきり、Nさんのお話を聞くことに。
三人で老いることの大変さを身に染みて感じて今年のお開きとなりました。
◎ネットで「無事是貴人(ぶじこれきにん」の掛け軸の写真をお借りしました。
この言葉は臨済宗の宗祖である義玄禅師の言葉だそうです。
「無事」というと、何事もなくよかったねという言葉のように思いますが、禅ではもっと深い意味があるそうです。
「『無事』とはいわば、求めなくてもよいことに気づいた安らぎの境地」「 "悟り" "ほとけ" "救い" "しあわせ" などといったものを頭に描いて、それを自分の外に追い求める愚かしさ、それらは求めて得られるどころか、求めれば求めるほど遠くへ 逃げていってしまうもの」「求める心を捨てて、ああしたいこうなりたいといった欲を捨てて限りなく純真無垢な自分と出会う時、無限にして偉大なるものに生かされている自分に気づくことができる」ということだそうです。「『無事是貴人』とは、そういった安らぎの境地を心の底から実感した人こそ、老若男女・貧富地位の別を超えて本当に貴い尊ぶべき人であるということなのです。」(引用元:http://www.daruma.or.jp/zen/detail.html?zen_id=14
◎5時ごろ、もう外は暗く、車のところまで送って出てこられた先生と、前夜は遅くまでフィギュアスケートの羽生君の4連覇の様子を見ていたという話で一致。マルセイユのグランプリファイナルに出場した3人の日本人選手が、羽生弓弦・金、宮原知子・銀、宇野昌磨・銅とそれぞれがメダル獲得。若い人たちの大活躍とすそ野の広さ。足や腕の長さとスタイルも、もう外国人選手と全く変わりませんね。私たちの世代とは人種が違う感じです。