吉田拓郎の「風に吹かれて」とボブ・ディランの受賞スピーチ

内田樹さんがリツイート
杉原こうじ(NAJAT・緑の党) ‏@kojiskojis 12月27日
真珠湾にて安倍晋三「憎悪の連鎖が続いています。世界には寛容の心、和解の力が必要です」 「侵略」を認めず、沖縄を痛めつけ、核兵器禁止条約に敵対し、南スーダンへの武器禁輸決議を妨害する、あなたにだけは言われたくない12月28日朝、まるで政府広報のようなNHKニュース。


◎今年、意外だったことは、悪い意味でアメリカ大統領選の結果、良い意味ではボブ・ディランさんのノーベル文学賞受賞。
先週の金曜日の夜のこと、片手間に?NHK「SONGS」を見ていました。吉田拓郎がギターを抱えて歌っていました。ガンを患っていると聞いていましたが、痛々しい感じで70歳を迎えた記念のツアーとかのライブだそうです。吉田拓郎といえば、フォークの生々しいメッセージソングとは異質のフォーク歌手で、森進一に提供した歌「襟裳岬」がヒットした…などがそれまでの知識。それまで、というのは、キンキキッズのデビューのころのことです。その後、キンキキッズのフジテレビの音楽バラエティ番組「LOVE LOVE あいしてる」でキンキの二人と一緒に、先生役のような立場で吉田拓郎さんが登場。そのころキンキキッズを通して彼らがあこがれと尊敬のまなざしで見る吉田拓郎とその音楽を見直したような感じでした。
その吉田拓郎さんが、やつれた姿でテレビに映って、いきなり(何か他の作業をしながら画面を見ていた私には)、いきなり、ボブ・ディランの”風に吹かれて”を歌い始めました。そして最後に、あの番組で吉田拓郎キンキキッズの二人にプレゼントした曲で主題歌ともなった”全部だきしめて”を歌いました。これが私にはとてもよかったです。懐かしいし、私にとっての吉田拓郎の音楽はコレかもしれません。(歌詞はこちら:http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=65060)当時もユニークなキャラクターの篠原ともえさん、今もマルチな文字通りのタレントとして美しいママとしても活躍中。そして当時、あの番組で吉田拓郎さんが特に堂本光一さんの音楽性を引き出し育てた功績だと思いますが、数年前、貴重なチケットを譲ってもらってあの帝劇で大評判の「SHOCK」の大阪公演をステージ真近で体験、光一さんの歌とダンスとお芝居のとび切りゴージャスな時間を過ごしました。吉田拓郎さんが育てた人と勝手に思っています。
◎ところで23日(金)の番組のタイトルは「SONGSスペシャ吉田拓郎  〜風のように...なんて考えた事があったなぁー〜」ですが、どうも9月に元の番組があって、それにサプライズ演奏のボブ・ディランを加えた内容になっています。9月の番組はこちら「吉田拓郎NHK『SONGS』に初登場! 2年ぶりのライブリハに密着!」(http://ro69.jp/news/detail/147957
吉田拓郎さんが歌を作る原点はボブ・ディランの「風に吹かれて」だった、これを意識し、これに影響を受けたと自ら語り、ステージで歌ったシーンが流されていました。(12月23日放送分のNHKのホームページ:http://www6.nhk.or.jp/songs/archive/archive.html?fid=161223
◎それでは、ボブ・ディランさんのノーベル賞受賞スピーチの全文を。先約があるからと授賞式の出席を断ったディランさんですが、授賞式に寄せたスピーチの内容はとても素晴らしいものでした。ディランさんを選んだスウェーデン・アカデミーも快挙!だったと思います。

ディランさん「創造的努力、シェークスピアのように」
ノーベル賞受賞スピーチ(日本語訳全文)
2016/12/11 16:27(http://www.nikkei.com/article/DGXLAS0040006_R11C16A2000000/



 皆さん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーと、今晩ご臨席の素晴らしいゲストの皆さまに心からのごあいさつを申し上げます。
 出席できずに申し訳ありません。しかし私の心は皆さんと共にあり、名誉ある賞を光栄に感じていることをご理解ください。ノーベル文学賞の受賞を、想像したり予想したりすることはできませんでした。私は幼い頃から、このような栄誉に値すると見なされた人たちの作品に親しみ、愛読し、吸収してきました。キプリングや(バーナード・)ショー、トーマス・マンパール・バックアルベール・カミュ、ヘミングウェーなどです。作品が教材となり、世界中の図書館に置かれ、恭しい口調で語られる文学界の巨人たちには、常に深い感銘を受けてきました。このリストに私の名前が連ねられることに、本当に言葉を失ってしまいます。


 これらの人々が、ノーベル賞にふさわしいと自ら思っていたかは分かりません。しかし本や詩、戯曲を書く人なら世界中の誰もが、ひそかな夢を心の奥深くに抱いていると思います。恐らくあまりに深く秘められているため、本人でも気付かないほどでしょう。
 私にノーベル賞受賞の可能性がわずかながらあると言われたとしても、月面に立つのと同じくらいの確率と考えなければならなかったでしょう。事実、私が生まれた年とその後の数年間は、世界でこの賞にふさわしいと見なされた人はいませんでした(注・1940〜43年は文学賞受賞者がいなかった)。だから控えめに言っても、私は自分が非常にまれな集団の中にいることを認識しています。


 この驚くべき知らせを受けた時、私はツアー中で、正確に理解するのに数分以上かかりました。私は文豪ウィリアム・シェークスピアのことが頭に浮かびました。彼は自分を劇作家だと考えていたと思います。文学作品を書いているという考えはなかったでしょう。彼の文章は舞台のために書かれました。読まれることではなく、話されることを意図していました。「ハムレット」を書いている時、彼はいろいろなことを考えていたと思います。「ふさわしい役者は誰だろう」「どのように演出すべきか」「本当にデンマークという設定でいいのだろうか」。創造的な構想や大志が彼の思考の中心にあったことに疑いはありません。しかしもっと日常的なことも考え、対処しなければなりませんでした。「資金繰りは大丈夫か」「後援者が座る良い席はあるか」「(小道具の)頭蓋骨をどこで手に入れようか」。シェークスピアの意識から最もかけ離れていたのは「これは『文学』だろうか」という問いだったと確信します。


 歌を作り始めた10代の頃、そして私の能力が認められるようになってからも、私の願望は大したものではありませんでした。カフェやバーで、もしかしたら将来、カーネギーホールやロンドン・パラディウム劇場のような場所で聴いてもらえるようになるかもしれないと考えていました。少し大きな夢を描けば、レコードを発表し、ラジオで自分の歌が聴けるようになるのではと想像したかもしれません。それは私の中で本当に大きな目標でした。レコードを作り、ラジオで歌が流れるというのは、多くの人に聴いてもらえることであり、自分がやりたかったことを今後も続けられるかもしれないということでした。


 私は自分がやりたかったことを長い間続けてきました。多くのレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを開きました。しかし私のしてきたほとんど全てのことの中核にあるのは歌です。私の歌はさまざまな文化の、大勢の人たちの中に居場所を見つけたようで、感謝しています。


 一つだけ言わせてください。これまで演奏家として5万人を前に演奏したこともあれば、50人のために演奏したこともあります。しかし50人に演奏する方がより難しい。5万人は「一つの人格」に見えますが、50人はそうではありません。一人一人が個別のアイデンティティー、いわば自分だけの世界を持っています。物事をより明瞭に理解することができるのです。(演奏家は)誠実さや、それが才能の深さにいかに関係しているかが試されます。ノーベル賞委員会がとても少人数だという事実は、私にとって大切なことです。


 しかしシェークスピアのように私も、創造的な努力とともにあらゆる日常的な物事に追われることばかりです。「これらの歌にうってつけのミュージシャンは」「このスタジオはレコーディングに適しているか」「この歌のキーはこれで正しいか」。400年もの間、何も変わらないことがあるわけです。


 これまで「自分の歌は『文学』なのだろうか」と自問した時は一度もありませんでした。


 そのような問い掛けを考えることに時間をかけ、最終的に素晴らしい答えを出していただいたスウェーデン・アカデミーに感謝します
 皆さまのご多幸をお祈りします。


 ボブ・ディラン
〔共同〕

◎12月10日、ノーベル賞授賞式の日に放送されたNHKスペシャルもとてもよかったです。番組案内を張り付けて:(引用元:http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20161210


ボブ・ディラン
ノーベル賞詩人 魔法の言葉
2016年12月10日(土) 午後9時00分〜9時49分



反戦フォークの旗手、偉大な芸術家、今世紀最高の詩人・・・。1961年、ケネディ大統領誕生に沸くニューヨークに現れた一人のシンガーは、アメリカの時代の精神を歌に刻みながら歩み続け、“生ける伝説”となった。今年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン。これまで、その謎めいた比喩や歌詞は、正確な意味をめぐって研究者の間でも解釈が分かれ、議論を呼び続けてきた。ボブ・ディランとは何者なのか。

そして、詩に込められた真意とはどのようなものなのか。今回、NHKはディランの秘蔵のメモやデモテープ、リハーサルを収めたフィルムなどの未公開資料を独自に入手。ひとつの歌が生まれるまでに、ディランがどんなまなざしで時代と向き合い、切り取り、詩へと凝縮させてきたのかを描いていく。その創作過程は、まさにアメリカの現代史そのものでもある。「受賞式は欠席」と伝えたあと再び沈黙を続けているボブ・ディラン。世界中が注目する授賞式の当日に、ノーベル賞詩人の知られざる素顔に迫っていく。