山はしろがね〜♪ とプリンス?遠方より来る

春の雪山訓練で痛ましい事故が、そして終業式の日、一人の女子児童が命を奪われて。失われていく若い命に春の惨さを感じます。
夫が先週出かけた奥伊吹スキー場(標高1200m)から見た湖北の山並み(↓)

輝く横山岳と手前はおそらく金糞(かなくそ)岳(↓)

福井・石川・岐阜県境の山並み。右最奥が白山(↓)

◎いつもならお彼岸を境に室内のマットやのれん類をブルー系に変えてしまうのですが、いつまでも寒いのでそのままにしていました。ところが、水曜日の昼下がり、さすがに春らしい気温、一週間遅れで入れ替えることに。まずマット類に掃除機をかけてしまいこむ準備。夏用の布類を取り出して、アイロンがけ。居間の丸テーブルのパッチワークをレースに変え、キッチンのシンクの前は水玉のカフェカーテンに。サンルームのテーブルクロスも赤いのからブルー系のものに。4時過ぎ。バタバタしているところへ電話が。従弟の”(石川県)小松のプリンス”からです。
「出張で大阪に出てきたけど仕事が早く済んだので…」「おいでよ、今、どこにいるの?」「堺」「泊ってもいいよ」「ホテルをとっているから」「そうなの」「1時間ほどで行きます」ということでした。
ちょうど父もリハビリから帰ってくる頃、スキー用のリュックを買いに大阪へ出た夫も帰ってくるでしょう。まず、隣の母に連絡して、夕飯は3人分にしてと忙しくなりました。5時半ごろ夫が戻ってきて、プリンス来宅を伝えました。千里まで車で迎えに行けると夫は携帯で連絡を取っていますが繋がりません。そのうち、本人が到着。隣はもう夕飯を食べ始めていました。まず隣へ挨拶。私は急いで解凍したカツオのたたきを若い人だからとカルパッチョ風にしてみました。
これが大間違い。二人でビールやワインを出して飲み始めたので盛り付けたお皿を出したら、なんと、玉ねぎが苦手、トマトが苦手、とか。これじゃ、そのまま普通の食べ方にしたほうが良かったんだ〜と大失敗。慌てて冷蔵庫から薩摩揚げ一人分を出し直し。もう一品は、白菜とたっぷりのネギとエノキと豚の薄切りにお酒とだし汁と味醂でキッチリ蓋をして蒸し焼きに。こちらは何とか柚子ポン酢で食べられたようです。食後に、「ヨーグルトは大丈夫?」ときいてから、パイナップルの残りを刻んでヨーグルトをかけて出しました。この出来立ての自家製ヨーグルトのデザートはOKでした。

従弟は、小松のプリンスと言うだけあって、皇太子さまと年齢が同じ、奥さんの彼女も雅子さまと同い年、一人娘も愛子さまと同い年。それで、最近、愛子さまの卒業が話題になったことから、そういえば従弟の一人娘のメグちゃんも今年高校受験だったんだと。そのことも聞きたかったし、いいところに来てくれました。スマホのラインとかで留守宅のメグちゃんと話もできて合格のお祝いも言えました。夫の高校の後輩になります。小学校を卒業した年の家族会で鳴門に行ったとき、トランペット持参で演奏を披露してくれましたが、吹奏楽のできる高校ということで頑張ったようです。夫の後輩になります。お母さんは留守で耳が不自由な高齢の叔母さん(父の妹)の元気な姿も見えました。
若い子がいると新しい機器の習得が早くていいですね。その場でテレビ電話の会話ができました。3年ぶりの成長したメグちゃんを見ることができ、トランペットでロンドンデリーの演奏も聞かせてもらい、お祝いも直に伝えることができました。従弟もスマホは娘に教えてもらったということで、その場で夫もラインで写真を撮って送る方法を教えてもらっていました。私も息子が家にいるときにブログを教えてもらったので、やはり、若い世代と一緒だと良いことがありますね。

明日は仕事で堺の取引先へ行くことになっているからと、9時前、家を出て、バスと電車でまた堺のホテルへ向かいました。食事の時、母もやってきてメグちゃんの高校進学や、家族の消息を訪ねてひとしきり話が弾みました。学生時代は大阪だったので、息子たちが小学生だったころ、ふらりと訪ねてきて、我が家の籐の長椅子をベッド代わりにして泊っていました。あのころから30年以上。「もう定年まで4年を切った」というので驚きました。顔だけ見てると若いのですが、もうそんな〜〜!でした。父の百寿の会以来です。友、遠方より来る、じゃありませんが、そんな感じの春の宵でした。
(写真は団地の傍の花壇のハナニラとヒヤシンス)