こどもの日と「みかづき」

今日は”こどもの日”
我が家にあるこいのぼりは10年以上も前
高齢者サロンのお手伝いをしていたとき
指導者の折り紙作家さんに教えてもらって
色紙で作った鯉のぼり

甍の波とはいかないですが
五月のさわやかな風に
泳がせてみました
東京の長男から先週の月曜日の夜電話がありました。勤務体制が変わって日月が休みになったとかで、用件はといえば直木賞作家の森絵都の「みかづき」という小説を読んでよかったので送るとか。直木賞本屋大賞のダブル受賞の「蜜蜂と遠雷」は?と聞くと、「読んだ、良かった。音楽知ってる人が読めばもっと良いと思う」「そっちは?」と問うと「人にやった」とのこと。なんだ〜でしたが、電話自体が珍しいことですし、本を薦められるのもめずらしいことなので、「ありがとう、読んでみる」と言って、仕事のことなど少し話して電話を切りました。
丁度一週間前に、分厚い本「みかづき」が届きました。読み始めてみると、これがとても読みやすくて面白い。戦後教育を塾の創設者の3世代にわたる家族史と絡めて描かれています。著者は1968年生まれですから息子より2年ほど年長さん。この世代の人がこんな内容の話を書くのですね〜。

公教育と私塾の戦後教育をめぐる物語、「太陽と月」と吾郎さんは言っていますが。数年の国民学校体験者の千明さん、戦後、塾の開設を目指して奔走します。私はといえば、戦後民主主義教育をうけ、そのご息子たち世代の学校を通して聞き知るのみの塾でしたが。その後の「ゆとり教育」など教育をめぐる戦後の変遷とも取れます。その大きな流れを果敢に生きる女三代の家族と吾郎さん、千明と吾郎の夫婦の物語でもあり、補習塾から進学塾、理想と現実の葛藤でもあり、教育とはでもあり、娘三人と親の葛藤の物語でもあり、また、孫の一郎の成長記でもあり、3世代にわたる大河小説になっています。

章が変わるたびに5年、7年と時間が飛び、意外な展開に思わず息をのむことも。読み進むにつれて物語りが終わるのが淋しくなります。いつまでもこの家族の物語を読み続けていたいような気持になってきます。強さ、もろさ、優しさ、寂しさ…人への温かいまなざしが基調にあってどの人物も魅力的です。息子がこんな小説を読んで親に薦めるというのも考えさせられました。去年父の100歳のお祝いに来て感じるところあったらしくて、東京に帰ってから家族史について珍しく感想を電話で伝えてきたことがありました。息子も年を取ったということかも。公教育と塾との対立から最後は補完しあう関係にというところも歴史を感じます。教育にかかわり続ける一家の家族史と教育の戦後史とを見事に描いたとても魅力ある物語りでした。もうフィクションは読めないかな〜と思っていましたが、思いがけない切っ掛けでよい機会が得られたと喜んでいます。そうだ、息子にお礼を言わなくっちゃ。
◎5月1日は月曜日、母の俳句の教室の日でもありました。


   耳たぶの ほてりやすくて かぜ五月


   それ以上 聞けないことも 母子草




◎「みかづき」を読んで、前日の内田樹氏の最後のところを思い出していました:

だがそうした危機的現状にあって、冷静なまなざしで現実を眺め、自分たちが生き残るために、自分たちが受け継ぐはずの国民資源を今ここで食い散らすことに対して「ノー」を告げる人たちが若い世代からきっと出てくると私は思っている。

『新しい若い世代』、この小説の中の一郎たち、吾郎や千明の孫世代の若者たちや、この小説の著者もそうですが、新しい世代の若者たちにとって今の戦いは「撤退戦」であるはずがないとも思いました。私たち戦後70年を生きてきた世代、あるいは定年で年金暮らしに入った、東京五輪大阪万博、経済成長やバブルを体験した者たちには「撤退戦」かもしれませんが、若い世代にとっては、やはり、いつだって新たな挑戦であるはずですね。そんなこともこの本を読んで考えたことでした。