あれから1年・・・


父が圧迫骨折になって寝たきりから食事ができなくなって100歳の誕生日を迎えられなくなるのではと心配な夏を過ごしてから丁度1年です。
先月、市の担当の方が介護保険の認定の見直しに来られました。たくさんの質問項目の中に、名前とか年齢とか、何年何月何曜日というのがあり、私はいつも、日付のところで、自分は大丈夫かな・・・と思います。そして、そのあと、「季節はいつですか?」というのがありました。質問を受けて、父が「そうやな〜、初夏かな」と言いました。五月にしては暑い日が続いた頃でしたので、質問された方も、「なるほど」と仰っていました。父の頭も冴えてきたようです。その結果、介護度が3から1になり、今日は、また、お医者さん、リハビリ担当者、ベッドを貸し出している業者さん、看護師さんにケアマネさん,両親と私が、10時10分から集まることに。最近は、月2回の診察やケアマネさんの訪問時にも私は顔を出していませんので、皆さんとお会いするのは久しぶりです。


お医者さんは、大阪万博生まれの長男と同い年、両親からすると孫と同い年の先生です。いつもポロシャツにジーパン。母が、「先生、ジーパンの膝が破けてますよ」と注意したことがあって、「これは、ファッションなんです」と言い返されたということも。最初に、ケアマネのKさんがバイクで見えました。あの時、「かかりつけ医の紹介状なんか後でいいから、訪問医の先生のところに今から行きなさい」と言って、桜井の駅前にあるF先生を教えてくださったのでした。すぐ電動ベッドを入れてもらい、先生の診察を受けて、血液検査の結果、毎日服用していた心不全の薬の成分を全部見直して、薬を替えてもらい、一週間ごとの血液検査で薬の量を加減してもらいました。摂食介助のヘルパーさんも付けてもらいました。百寿の会は何とかお葬式にはならずに済んで、本人は参加できなかったものの、全員がお見舞いに立ち寄って山のホテルで母一人の参加で何とか百寿の会の食事と1泊をやり過ごしました。帰りは、もう一度父の見舞いに寄って我が家でお茶と昼食ということに。高齢の伯父、伯母もそれぞれ健康には問題があってこれが最後かなという覚悟だったようです。秋まで持つか、年を越せるか…という心配な夏を過ごしました。


それが、ひと月経った8月末には母の決断で摂食ヘルパーさんを断って自力で食事を摂ることに、その後は徐々に食べる力がついてきて、半日寝て2食の生活になりました。同時に週一のリハビリの体操に出かけるのを再開、週一のお風呂の介助は続けてもらうということになり、それから、今年を迎えることができました。その間、秋ごろ以降だったか、午後のお茶の時間に誘うと喜んで杖を突いて我が家の茶の間に来るようになりました。今では、歩く力もついてきたのか、母が知らない間にポストまで出て郵便物をとってきたり新聞の夕刊を取りに行ったりもしているようです。夫が始めた週一回のイタリアンパスタも父の分は小分けにして夜のワインと一緒に頂くようにも。食事の質と変化も受け入れるようになり、夕食時のお酒の習慣も戻ってきました。それとともに、受け答えにも張り合いが出てきて、元に戻ってきたようです。


母は嬉しかったのでしょう、饒舌に皆さんの前で父の回復ぶりを自慢しています。F先生は父の声が聞きたくて「お父さん、何か言うことないですか?」と聞いてくださいますが、私が「若いころから、こんなですから」と。「昔からしゃべんないんですか?」と先生も納得。「これからの目標は、二人で百歳ですからね。お父さんが105歳の時お母さんが100歳ですからね」という先生の励ましに父はうなづいているようですが、母は、「私はお父さんが生きているから、頑張らないと。施設に入るより我が家の暮らしの方が良いみたいだから最後まで私が見てあげようと頑張ってるんです」。孫と同い年の医師、看護師、孫より若い、2人の関係者の方々が頷いてくださっています。母がケアマネのKさんに「あなたも孫より若い?」「いいえ〜、つい最近、孫が生まれたとこ」と。母には聞こえていなかったかも。

ケアマネさんのリードで、サービスは今まで通り、ただし、介護度が1だとベッドのマットのサービスは自費になると説明を受け、母がお金がかかっても今の電導のマットが良いのでそれにしてほしいと要望を伝えて、月額7000円かかると説明を受けて了解。お開きになりました。


F先生はご近所の目医者のFさんといとこ同士。長男は目医者のFさんと小学校が同級。F君が我が家に遊びに来ていたことも。F君のお父さんが患者さんなので、これから立ち寄るとのこと。実家の名前を言っても通じなかったけど、私の結婚後の今の名字を言うと、奥さん(元皮膚科の先生)は分かったと。そうなんですね。F先生も、一緒に来られた看護師のSさんも、桜通りの眼科のFくんも万博生まれの長男と同い年。息子(両親にとっては孫)世代が支える社会になっています。

父はあと何年生きられるか分かりませんが、泣いたり、笑ったり、花がきれい、ご飯が美味しいと毎日を過ごしていることが生きていることですね。