4月16日、春の一日(母の見舞い)

母のお見舞いに月曜日から一泊で妹が来てくれました。駅まで車で迎えに行って病院へ。母からは「来なくていいと言って」と言われていましたが、孫の写真をもって励ましに来てくれました。ブロック注射の効果もわかるのでということでしたが、血糖値の数値が高くて注射は見合わせているとか。痛みは変わらないようです。(利休梅とジューンベリーの白い花)

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夕食のハンバーグを作りながら、いろんな話を。最近、鏡を見るたび、顔が父に似て来て困ってる、というのを聞いて驚きました。私もまったく同じことを思っていました。三人の娘たち、女の子は父親に似ると言われますが、年を取るにつれて父親の顔に似てきます。母に似ればよかったのに・・・といつも思うのですが、高校生の時、顔の骨格が亡くなった父方のお祖母ちゃんと一緒なので、私はお父さん系だと思っていたのが、その通りになってきました。妹は小さいときに見た伯母さんの顔が長かったのを覚えていて、あの顔に近くなってると言っています。(バイモ百合と白雪けし)

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2番目の妹とは2つ違いなので、高校3年の時、妹は1年生。通学する電車の中で、”双子がおる!” という声を何度か聞いたことがありました。妹も聞いていて、そのうえ「黒と白の双子や」と言われた、「色の白い方がお姉さんで、私は色の黒い方」と言うので「へぇ~、それは知らなかった。そんなこと言われたの~?」こんな話をして笑えるのは姉妹ならではです。

夕飯時は3人で、母のこれからのことや、座骨神経痛の話から、妹の持病のこと、家族のこと、夫の山スキー後の体調のことなど話しました。その後、妹が、お風呂を沸かして温まってから寝ると言うので、隣の二階の父の写真の部屋へ。父が全部捨てろと言いそうだったので、私が残しておいた父の作品を見せることに。欲しいのがあったら持って帰ってと言ったら、全部欲しいということでした。取っておいてよかったです。かなり大きな写真ですので、値打?があります。丸めて持って帰るというので紐をかけて筒にして渡しました。(瑠璃色の花とハナニラ

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16日(火曜日)、朝、八百屋さんが来られたので母の入院を伝えて、3人分から2人分で量は減ると思いますが、またよろしくと。妹は、孫へのお土産の煎餅を買いたいのでと、駅へ。夫は治療のため整形外科へでかけたので、その間に洗濯を済ませて、3人そろったところでお昼を木曽路で食べることに。

病院の面会時間の1時に合わせて、妹の2度目のお見舞い。母は、「痛みだけで後は元気、これでは逝けない、こんなに話せて食べられるので、これではまだ無理」と言うので、私たちは返しようがなくて困ります。妹と話し合って、痛みを取り除くことを優先して手術をお願いしようということにしていましたので、母にその話を。母も、車いすに座って食事をしてみようと、やってみたけれど激痛でとても無理だった、こんな状態では困ると。私が、車いすになっても手術で痛みがなくなる方がいい?と聞いたら、その方がよい。このままでは嫌だということでした。夫が先生と相談できないかナースステーションで聞いてくれました。後日、返事をいただくことに。(チューリップと庭の隅の日影が好きなシャガの花)

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さて、この日は、東京の息子が徹夜明け、それに翌日大阪での仕事があるというので、帰ってくることに。妹を新大阪に送ったら、ちょうど息子が到着。車でピックアップして再び病院へ。

母が東京の孫と会うのはお正月以来。すぐ二人で手を取り合って、「元気そう」と母がまず喜んでいます。「足が痛くてね~それさえなければ元気なんだけど」と言いながら又とない偶然の帰阪を喜んでいました。こんなにタイミングよく関西の仕事が入ったのは、母が呼んだのかと思いました。

妹と母の手術のことを話し合えたのは本当に良かった。私たちだけでは迷っていたかもしれません。手術と決めても、腎臓の片方が機能していない状態では病院で手術は出来ないと言われるかもしれません。まず母の気持ちを伝えることはきちんとしておきたいと思っています。命がけの手術になってもいい?と聞いたら、このまま痛いだけではどうにもならないと。それはそうです、MRIで縊(くび)れた狭窄個所の神経の様子を見ていますので、あれでは起きて普通の生活を送ることは無理です。神経を圧迫している靭帯を削ってもらわないと痛みは除去できません。あとは、先生に相談して手術を受ける病院を決めて・・・と方針が見えてきました。(新聞の写真とネットのバラ窓)

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そして、この日、朝、ノートルダムが焼けているというニュースがあり、午後、息子がスマホで尖塔が焼け落ちる動画を見せてくれました。思わず声が出てしまいます。石造りなのに何が燃えているの?と不思議でしたが、木が多用されていて、あの聖堂が『森』と言われているなど初めて知りました。「ノートルダムの背むし男」、今ではこのタイトルは使えないかもしれませんが、小学生の頃、読んだユゴーの小説が思い出されます。2019年4月16日の春の1日は忘れられない日になりました。