「国会前緊急大行動」と加藤典洋「自力の民主化」と内田樹と想田和弘「全く新しい”受け皿”」

◎金曜デモのルポは「特別な1日」さんお休みのため前日木曜日のルポを。タイトルは「共謀罪強行採決』と読書『テロルの真犯人 日本を変えようとするものの正体』、それに『共謀罪法案強行採決に反対する国会前緊急大抗議』です。共謀罪が、委員会を省略して強行採決されようとしていた15日の木曜日の国会前の集会の様子がよく分かります。ぜひブログを訪ねて読んでみてください。

と言うことで、木曜日は共謀罪成立に抗議するために国会へ『共謀罪法案強行採決に反対する国会前緊急大抗議行動』。 #国会前緊急大抗議 #国会前に押し寄せよう

前半は例の社民・共産系の団体が合同した『総がかり行動』の抗議です。参加者5500人。
予定を15分を過ぎて、『未来のための公共』。コチラの参加者は7000人!

〇「読書『テロルの真犯人 日本を変えようとするものの正体』」は、「昨年亡くなった加藤紘一自民党幹事長」の本で2007年に出版されたもの。この感想がとてもよかったです。SPYBOYさんが共感したこと2つ:1つは『日本がきちんと論争ができる社会ができるようになるには2つの総括が必要である。一つは戦争の総括。もう一つは左翼側の社会主義を理想視したことへの総括』。もう1つは『日本の外交は日・米・中のトライアングルでなければならない』。詳しくは是非こちらのブログで!(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20170616/1497601199


◎さて内田氏のツィッターで見つけた加藤典洋氏の言葉。日本の宿題「自力による民主化」についてです。戦争に負けて、国内300万の戦死者の命と引き換えに戦後の日本国民は民主主義を得た、と、言ってもそれは、戦争に負けたことによって与えられたもの。戦後の私たちが自分のものにする戦いを私たちは闘っていないのではないか・・・「それは、今でしょ!」かな。(唯一、例外は、沖縄ですね。昨日のキャスト、沖縄県知事を2期8年務めた大田昌秀氏追悼番組を見ていてそう思いました。沖縄は今も闘っています)

内田樹さんがリツイート
加藤典洋‏ @ten_kato 7時間
・6月15日、樺美智子の死んだ日に国会で共謀罪成立14日夜国会前を歩きながら考えた。思えば1960年の安保以来国民規模の反政府運動は日本に起こっていない。韓国も台湾も国を揺るがす民主化運動によって自力で前時代的な独裁政治を打倒してきた。→


戦後、日本はいち早く民主国家となり、韓国の李承晩、朴正熙、台湾の蒋介石らの政権を独裁国家として見下してきた。オレ達は違うとしかし、それは自力でなされたのではない。空気を読んでなされた民主化米国頼りの民主化だ。隣国の政治経験にいつの間にか日本は追い抜かれていたのだ。→


中国もまだ民主化こそできていないが自力共産革命は経験している。89年の天安門では千人を越える学生が死んだ。香港でも政府を揺るがす反政府運動がこの間あった。日本だけが戦後、自力での民主化の経験がない。戦争体験者の退場と相まって、声を上げる若者は孤立。そのツケが来ている。


◎私が毎日のように覗いている内田樹氏のツィッターですが、お世話になっている内田樹氏ご本人の記事の紹介です。内田氏は、兵庫県知事選で立候補されている津田ともひささんの応援に駆けつけて連日奮闘中のご様子ですが、ここ2日ほど記事の更新が続いています。お忙しい中いつもよくフォローされているな〜と感心していますが、心身の鍛え方が違うようですね。今回は9年前から6年半前に書かれたものの文庫化に際してあとがきを書かれたときの感想です。(「内田樹の大市民講座・直感はわりと正しい」文庫版あとがき:「文庫版のためのあとがき」http://blog.tatsuru.com/2017/06/16_0753.php
◎「政治についての未来予測は困難」ということですが、「読み返してみて」のところから少し引用です:


今回ゲラを読み返してみて一番経年変化が激しいのは「政治についての話」だということがわかりました。扱われている事件がどんな出来事だったのか書いた本人にも思い出せないというようなトピックさえ散見されます。それだけ主役の交代がめまぐるしかったということでしょう。この時評を書いていた時期の政局のキープレイヤーだったのは、麻生太郎鳩山由紀夫菅直人小沢一郎福田康夫与謝野馨安倍晋三橋下徹石原慎太郎といった人々でした。いまだに当時と同じくらいの政治的プレゼンスを保持しているのはもうその半数にも及びません。鬼籍に入った方もおられます。それだけでも、政治プロセスの変化がいかにめまぐるしいものかわかります。
そのせいもあって、この時評の中で僕が書いた政治についての未来予測は「これから日本の政治プロセスはますます劣化するだろう」ということ以外はほとんど外れました政治についての未来予測のむずかしさが改めて身にしみます。


◎ちょうど私がブログを始めた頃からの年月と重なりますので、私の実感とも一致します。日本もそうですが、世界の情勢の変化も予測不能ですね。
それで、内田氏は、いいろいろ「お門違い」なことを書いているが、「大筋において変わっていない現実もあるということがわかります。僕はそれを強い現実というふうに呼んでいます」として、次のように続きます:「強い現実」というのは、ある分岐点にさしかかって、右に行くか左に行くか迷ったとき、どちらの道を選んでも変わらない現実のことです。一連の時評を通じて、僕がまったくぶれずに言い続けていることがありますそれは日本はアメリカの属国であり、主権国家ではない、ということです。主権国家でない国でありながら、主権を有していて、すべての政策を自己決定しているような「ふり」をしている。そいせいで、「国家主権の回復」という最優先の国家的課題は隠蔽され、果たされぬままに放置されている。これは集団的な自己欺瞞という他にありません」。


◎内田氏の持論ですね:『日本社会が罹患しているさまざまな病は「抑圧されたものの効果」なのです』。ところが、この記事はそれの繰り返しでは終わらないのです。最後のところを引用です:

でも、それでもそろそろ日本の病態にも僕は飽きてきました。みなさんもけっこううんざりしてきているんではないでしょうか。そろそろ「新しいもの」が出てきてもいい頃です。「新しいもの」は、つねに思いがけないところから、それまでとはまったく違う文脈の上に登場する。これは大瀧詠一さんが音楽について述べた言葉ですけれども、政治でも、経済でも、社会現象でも、文化的な創造でも、同じことが言えると僕は思います。
まさか、こんなものが、こんなところから出てくるとは思わなかったよ」という言葉を(できれば喜びにあふれた)嘆息と共に発することができますように。読者のみなさんと共に祈りたいと思います。

ツィッターでお世話になっているもうお一人、想田和弘氏が偶然にも同じ内容をマガジン9で発表されています。

想田和弘さんがリツイート
マガジン9‏ @magazine9 6月15日
新しい受け皿があれば、「一強」にあぐらをかいた安倍政権など簡単に倒せるのではないか憂慮する私たちには、根本的な発想の転換が必要だ。→映画作家想田和弘の観察する日々第53回:左右の既成政治から離れた新しい「受け皿」 (http://maga9.jp/soda170614/)


 このように見てくると、「安倍一強」と言われ磐石に見える安倍政権も、決して安泰ではない。要は代わりの受け皿さえ出てくれば、簡単に崩れる可能性が高いのではないか。


 ただし直視しなければならないのは、その受け皿には民進・共産・自由・社民の野党連合はなりえそうにない、ということである。正直、僕も最近まで、受け皿として野党連合に期待を寄せていたのだが、残念ながらそれは僕の見込み違いだったと思う。それはこれまでの国政選挙で野党が与党に負け続けていることや、今回の世論調査民進支持者の34.7%が都民ファーストに流れている事実からも明白であろう。


 であるならば、安倍政権の暴走を本気で止めようとするのなら、左右の既成政治から離れた、まったく新しい受け皿を作るしかないのではないか逆に新しい受け皿を作りさえすれば、「一強」にあぐらをかいた安倍政権など簡単に倒せるのではないか。


 安倍政権を憂慮する私たちには、根本的な発想の転換が必要だと思う


(←写真↑の紫陽花は、火曜日の唐池公園の紫陽花たちと、最後↑は、途中の住宅の垣根越しにのぞく2色の紫陽花)

◎SPYBOYさんのこの日のブログの最後、ここにも、もう一つ、「全く新しいもの」「まったく新しい受け皿」に共通する「新しいもの」を感じます。SPYBOYさんが引用されているステートメントの結語部分を:☆「未来のための公共」(http://public4future.official.jp/)より

そして、この国・社会で生活し、未来に新しい世代を待つ世界に生きる一人として、自民党改憲草案を止めましょう。これ以上の国家の私物化を許す道理はありません。なるほど、元はといえば、安倍政権を選択したのも私たち自身です。それなら、私たち自身の手で、安倍政権を終わらせましょう。この時代、この場所から改めて、上から一方的に押し付けられる「公」なんかじゃない、今、私たち自身の足元から未来のための「公共」を、私たちで立ち上げましょう。
これは新しい「始まり」です
2017年6月15日
共謀罪法案が成立した日に