映画「ハクソー・リッジ」


木曜日、蒸し暑い梅雨の晴れ間になりました。
6月の「特別な1日」さんのブログで取り上げられた沖縄戦を舞台にした映画「ハクソー・リッジ」を観に行くことに。
一人で行くつもりでしたが、前々日に、山の予定のない夫も誘うことに。映画の題名を言っても何?それ? 沖縄戦アメリカ映画といっても乗ってこないので、11日(日経新聞)の「明日への話題」を薦めてみました。読み終えて、行こう.ということになりました。
母が朝になってパーマに行くというので駅前のビルまで夫が車で送りました。さて、父が一人になるので、どうするか? 母は鍵を開けたまま出かけています。ブランチの用意は母が済ませていますし、お昼近くまで寝ているので、二人で出かけても大丈夫? 母の甥たちからお中元が届くか書留が届いたりするとややこしくなりますが…鍵をかけて、いつものところに置いて出かけることに。車の中で”何事もありませんように…明日にすればよかったかな〜”なんてチラッと思いながら、映画館に着いたら忘れよう?なんて。映画が終わってすぐの1時ごろ家に電話。父が出て、母もお昼前には戻ったようで一安心。ポスターの写真をいつものように入口で・・・

さて、映画は2時間20分ほど。緊張しっぱなし。余りのすさまじいシーンに何故か目じりが濡れて仕方がありませんでした。それは、二人の結ばれるまでの場面がとても自然で女優さんがとっても綺麗だから・・・ 父親の家庭内暴力のシーンが痛ましいから・・・母親が何もかもわかって耐えているから・・・
戦争がお父さんを変えたのよ、戦争前のお父さんを見せたかった…という母親。それでもデズモンドは戦争に行きます。銃を触らないと誓ってはいるけれど、真珠湾攻撃は許せないから戦争に行って仲間を助けたいんだと。鉄炮に触らないで戦争に行く、ことが迷惑だと上官も周りの者も除隊を強制します。そして、とうとう軍法会議に。第1次大戦で戦った父親は過酷な体験からPTSDに。家族につらく当たっていた彼ですが、息子への愛情は本物でした。父親の働きもあって、良心的兵役拒否憲法で認められているとして無罪放免。晴れて青年は鉄炮を握らない衛生兵として従軍、行先は沖縄です。
ここから後半、日本兵アメリカ兵も血みどろの肉弾戦が描かれます。CGを使わないリアルな戦闘シーン。150メートルの断崖の上の高地での凄まじい殺し合い。果ては、海上からの艦砲射撃や火炎放射器までが使われます。日本軍は壕の中に立てこもっての抵抗。兵隊仲間も次々と負傷し、ドスは次々と助け出して、崖の上から”もやい結び”で体を吊り下げて絶壁を下ろします。「あともう一人助けさせてください、もう一人・・・」と祈りながら。臆病者と蔑まれた青年の勇敢な救出で助けられた数は75人、2人の日本兵も入っていたそうです。

(左から)サム・ワーシントン、(父親役)ヒューゴ・ウィービング、ビンス・ボーン

この行為がたたえられて後に勲章を授けられます。ドラマが終わって最終場面は晩年のデズモンド・ドス氏がインタビューに答えるシーンが出てきます。彼の信念は宗教的なものでもありますが、映画は、幼少期のエピソードや親子の関係を描いて、銃をとらないという決意の裏付けが丁寧に語られます。また、彼の信念が、最初は迷惑で疎ましさしか感じなかった同僚や上官にとっても、憲法が認める基本的人権であり、何より、彼の個性?だと受け止められていく過程も描かれていきます。

彼のような異端を許容できる組織とか、社会とか、国は強いと思いました。理念が素晴らしいとかいう前に、銃をとりたくない、戦場で殺すのではなく命を助けることで貢献したいという、異質の考えを受け入れる軍隊であったから、結局、75人が生還できたわけです。殺すことが勝つことだという考えの者だけだったら生き延びられなかった命が、異端者の存在で助かったわけですから、サバイバルの力は多様性にあるといえます。

Wikipediaの映画紹介を:

ハクソー・リッジ』(Hacksaw Ridge)は、2016年公開のアメリカ映画。監督はメル・ギブソン。出演はアンドリュー・ガーフィールドヴィンス・ヴォーンサム・ワーシントンら。太平洋戦争の沖縄戦衛生兵(Combat Medic)として従軍したデズモンド・T・ドスの実体験を描いた戦争映画。デズモンドはセブンスデー・アドベンチスト教会の敬虔なキリスト教徒であり、沖縄戦で多くの人命を救ったことから、「良心的兵役拒否者(Conscientious objector)」として初めて名誉勲章が与えられた人物である。
ハクソー・リッジ」とは、沖縄戦において、浦添城址の南東にある「前田高地」と呼ばれた日本軍陣地。北側が急峻な崖地となっており、日米両軍の激戦地となったことから、米軍がこの崖につけた呼称(Hacksaw=弓鋸)である。
2017年の第89回アカデミー賞において録音賞と編集賞を受賞した。


【備考】前述のように沖縄戦を舞台にしているが、日本版の予告編では沖縄を舞台にしていることは全く紹介されず、日本兵の姿もあまり映らないなど巧妙に隠されている。理由は沖縄県民を考慮してとのこと[★]。

沖縄県民感情を忖度?してといいますが、SPYBOYさんがブログで紹介されていた浦添市は大変好意的にこの映画を受けとめてホームページを開設し、激戦地となった前田高地と断崖を詳しく紹介しています。本当に恐れたのは何だったのか…[★]リテラのこの記事を:沖縄戦を描いた映画『ハクソー・リッジ』が“沖縄”を隠して宣伝…背景にはネトウヨの“反日”攻撃への恐怖http://lite-ra.com/2017/06/post-3276_2.html

アンジェリーナ・ジョリー監督作品『不屈の男 アンブロークン』(2014年アメリカ公開、日本公開は2016年)は、ネット上で公開中止を求める運動が起き、大手の東宝東和が公開を断念。独立系の配給会社が小規模で公開せざるを得なくなった。おそらく、そういう状況になることを懸念したのだろう。

◆映画については映画のエキスパートのブログ仲間SPYBOYさんの解説がこちらに:http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20170626/1498469917
◇SPYBOYさんが「グッジョブ」と誉めておられる浦添市のHPは本当にわかりやすい。映画を見る前、見た後に覗くとよいと思います:(米軍の動きが地図で解説されています、写真↓崖の上に立つ人はデズモンド・ドス氏だそうです)


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 この地図をご覧いただくとよく解るのですが、北谷町から宜野湾市の嘉数高地、浦添市の前田高地と直線的に進む南には、当時の日本軍の指令本部があった「首里城」が位置しています。
 つまり、米軍が沖縄戦で勝利をするための必然のルート上に、嘉数高地や前田高地が位置していたということです。
 浦添市はそういう背景があり、激しい戦闘の舞台とならざるを得なかったのです。

◎最後に、夫が読んだ後、行く気になったコラムの記事を書き移しておきます:


 あすへの話題   星を投げる人

2017. 7.11   社会学者  橋爪 大三郎


 「星を投げる人」の話をしよう。
 この話を最初に聞いたのは、アメリカのある教会の説教でのこと。もう何年も前である。牧師はこんなふうに話した。 
 《朝、いつものように海岸を散歩していると、ひとりの少年が何やら、海に向かって投げている。「何してるんだい?」「ヒトデを投げているのさ」。見ると、見渡す限り無数のヒトデが打ち上げられている。やがて死んでしまうだろう。「こんなにたくさんいるのに、何の足しにもならないよ。」「少年は、ヒトデをもうひとつ拾いあげた。「でもこのヒトデには、大きな違いだと思うよ」。そう言って、そのヒトデを海に向かって投げたのである。》


 この話は耳に残った。足しにならない、は no difference。違いがある、は make a difference。「違い」とはなんだろう。 調べてみるとこの話は、ローレン・アイズリーという作家の『星を投げる人』が元になっている。それをいろいろな人が語り直し、子ども向けもでき、いくつものヴァージョンがある。でも話の急所は、少年が言う「違い」とは何かということだ


 ヒトデはこんなにたくさんで、全部は助けられない。徒労に思える。でも少年は言う、「この」ヒトデは確実に助かるよ。そして、ひとつずつヒトデを投げ続ける。それならできるから。「ハクソー・リッジ負傷兵を助け続けたデズモンドのように。そして、ささやかな「違い」のために、悪戦苦闘している誰でものように
 「違いがわかる」コーヒーのコマーシャルがあった。「違い」は、消費社会の高級品を味わう能力のことではない。自分の生きる意味を理解できる知恵のことだ

(映画の写真はどれも「映画.com」からお借りしました)