星条旗新聞の山城博治氏と前川氏と沖縄戦映画「ハクソー・リッジ」


◎米軍の準機関紙「星条旗新聞(スターズ&ストライプス)」が沖縄の基地反対闘争の先頭に立つリーダーの山城博治氏のインタビュー記事を掲載。山城氏は今月の16日、国連の人権委員会でスピーチをしました(6月18日の蛙ブログ)。 このインタビューは、それより以前、5月に沖縄県那覇市で行われたようです。「米軍の人たちと沖縄住民は必ず理解し合える、それは戦争のない平和な世界を求めているから」という山城氏の最後の言葉がお互いの胸に響くような丁寧なインタビュー記事になっています。

山崎 雅弘さんがリツイート
渡瀬夏彦‏ @natsuhikowatase 6月26日

米軍準機関紙の「星条旗新聞」が、山城博治さんにフェアな姿勢でインタビューしたことを評価しよう不正確な記述があるが、揚げ足を取ることは控えよう)。産経や読売は、星条旗新聞の爪の垢でも煎じて飲むべきだろうね。(http://activeny.blogspot.jp/2017/06/blog-post_26.html?m=1)

2017年6月26日月曜日
星条旗新聞が ヒロジさんをインタビュー June 25, 2017


6月22日付けのStars & Stripes 紙に山城博治さんのインタビュー記事(Anti-USbase protest leader has become symbol of resistance on Okinawa)が大きく出た。ちょっとびっくり。Stars & Stripes 紙は、米軍の新聞だからだ。軍メンバーに関する事柄にフォーカスして報道する新聞として国防総省内で運営されている。ただし、編集の独立性は言論の自由を保障する米憲法修正第一条によって守られているという。編集部も単なる上意下達の機関紙ではなく、読者の興味に応える報道を謳っている。


Stars and Stripes, "Anti-US base protest leader has become symbol of resistance on Okinawa."
June 22, 2017


ヒロジさんの記事も、まさにその独立性躍如の一例。もちろん、完璧な記事ではない。特に米軍の所行に関してはつっこみが足りない点が多々あるし、騒音はじめいまも続く基地被害にもふれていない。異論はいろいろあるだろう。それでも、辺野古にノーをつきつける沖縄人・ヒロジさんに正面から向き合い、そのことばに耳を傾ける真摯な姿勢は、評価できると私は思う安倍政権下ですくみまくりにみえるNHK(がんばってる少数の人たちの涙ぐましい努力をのぞき)や多くの日本の主流メディアがかき消している声の一部を、ここで見つけた気がした。ざっと訳してみました。(翻訳・文責=大竹秀子)
 
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米軍基地反対抵抗運動のリーダー 沖縄の抵抗のシンボルに
By Matthew M. Burke & Chiyomi Sumida


掛け声をあげ、叫ぶ反対運動の人たち。交通を遮断し、手にするサインには、海兵隊員は「テロリスト」で「殺人者」と書かれている。— キャンプ・シュワブや沖縄のその他の基地に駐留する軍人が毎日のように出くわす現実だ。


反対グループはおおむね少人数で、20〜30人から数百人規模だ。だが、米軍兵士による犯罪事件が起きると数千人に膨れ上がることもある。抗議の声をあげている人たちは明らかに非暴力で市民の支持を得ているだが、参加者の中には興奮のあまり、アメリカ人の子供たちに罵声を浴びせたり、車をたたいたり、通行人を押したり衝いたりする人たちもいる彼らといつも相似形の対をなしているのが日本の警察で、警察はしょっちゅうドラマチックな逮捕をおこなっている。


運動のリーダーのひとり、山城博治(64歳)は、この抵抗運動のシンボルのひとりだ温かい人柄、物柔らかな口調、心和ませる笑顔の持ち主だ。抗議行動に関して逮捕され、5か月間の勾留の末、3月に日本の拘置所から釈放された


釈放以来、山城は日本各地を回り、抗議運動について講演している。今月には、運動について、そして日本政府が体制批判者をいかに弾圧しているかについて国連の場で語った



よく誤解されるのですが、私たちの活動は、反米ではありませんアメリカ人は、いつでも沖縄の人たちの暮らしの一部になっています」、山城は、5月24日、那覇の担当弁護士の事務所で、スターズ&ストライプス紙にそう語った。


山城の話では、彼が子供のころ、父親は米軍基地で働いており、アメリカ人たちをよく自宅に招いた。客が、たたみにぎこちなくすわりビールを飲んでいるのをながめるのは、楽しかったという。中には、一家の親友になったものもいた。


 「そのうちの多くがベトナムにいきました」、山城はしみじみと語った。「誰かの訃報が届くたびに、私たちは悲しみにくれました。父はいまなお、額縁にいれた彼らの写真を居間にかざっています」。


山城は1952年、具志川市(現うるま市)で、農家の次男として生まれた
         

戦争の悲惨をたくさん聞いて育ちました。戦後の混沌で、人々が生きていくのに必死な時代でした。我が家は米軍支給のパラシュート素材で作った掘っ立て小屋だったんですよ」。


こうした戦争の悲惨の物語が、後に抵抗運動の指導者を生むことになった。山城の少年時代から十代を通してベトナム戦争が激化し、沖縄は米軍のハブになった。


沖縄では米兵による交通事故、殺人、レイプ、そのほか、さまざまな犯罪が相次ぎました」と、山城。


1968年、B-52が近所で墜落した。もし、核弾頭がつまれていたらと思い、トラウマにとりつかれたと言う。

1970年には、通っていた高校の女生徒が、米兵に襲われ、レイプされそうになった。なんとか逃れたが、数か所を刺され傷つけられた。


もう、怒り狂ってね。マイクを手にして高校生の抗議グループを作って、犯人が所属していた米陸軍通信部隊までデモをし、フェンスの外で集会を開きました。



活動は1971年も続いた。沖縄返還が望んだような形で行われなかったからだ。自校をバリケード封鎖し、退学を余儀なくされた
大学卒業後、沖縄県庁の職員となり、税務などを担当した。また、全日本自治団体労働組合の沖縄支部の副委員長も務めた。2000年には、沖縄平和運動センターに参加し、あっというまにかけがえのないリーダーになった。山城と抗議運動参加者たちは、いくつもの理由から普天間海兵隊飛行場のキャンプ・シュワブへの移転に反対している。最新鋭の軍用飛行場を備えて増強される基地は、地域に戦争が勃発した際に敵の標的にされるという思いもある。


沖縄で軍の存在を強化すれば、中国との軍拡競争をあおるだけです。いますでにある軍事力をもとに、アメリカと中国は現状維持を話し合えるはずです。アメリカと中国には、それができると確信しています」と山城は、言う。


理想をいえば、抗議運動をおこなっている人たちは、沖縄を米軍も日本の自衛隊もいない、軍隊のいない島にしたいと願っている。だが、その実現はありそうにないと、山城は見る。だから、抗議運動は、拡張とみられるあらゆることに反対して展開されている。 


抑止力の必要に異を唱えているわけではありません。でも、抑止力を、武力の行使にエスカレートさせてはなりません。戦争がだんだんと近づいているという強い予感がしています。この島がまたしても、戦場になると考えると、身の毛もよだつ思いがします」。


反対運動の人たちは、環境問題にも懸念していて、大浦湾に建設される新しい滑走路を、環境を破壊する大災厄とみている。山城と反対運動の人たちは、思わぬ場所から支援を得た。セントルイスを拠点とする「平和を求める元軍人の会(VFP)」だ。



VFPは、元軍人と現役の米軍人がメンバーだVFP全米理事会メンバーで1959年から1962年まで第101空挺部隊に所属した元軍人のタラク・カウフは、「VFPのミッションは、戦争の廃絶ならびに、平和の文化の構築だ」と語る。VFPはこれまで反対運動の人たちを支援して、沖縄に数回、メンバーたちによる派遣団を送った。カウフもこれに参加した。


沖縄で広く支持を得ている市民運動独立やほんとうの民主主義と求める運動、米軍による沖縄の占領を止める運動は、大勢のアメリカの元軍人と現役の軍人、特にVFPのメンバーの間で共感を呼んでいます私たちは、米国の戦争と軍事主義による不毛と恐怖を目にしてきたからです。沖縄では、住民の7割から8割が、米軍基地の存在を望んでいません。そして、知事も含めて住民の9割近くが、辺野古と大浦湾の環境破壊に反対しています。そんな状況で、我々が守っていると称する民主主義とは、いったい何なのか」と、カウフは言う。カウフは、山城に同志を見いだしたのだ。


山城の話によると東京の中央政府は、沖縄とその住民に多大な圧力をかけている。力の続く限り、ふんばり、闘い続けると山城は言う。


抗議運動はすっかり定着しているだが、それは、アメリカ人と沖縄の人々が敵対関係にならざるをえないということではない。


「軍の人たちと沖縄の住民が密なコミュニケーションをもつ限り、互いに理解しあえるとかたく信じています。結局のとこころ、私たちは皆、平和を、そして戦争のない世界を求めているのですから」。 

◎沖縄の山城さんに続いて、東京の前川さんについて:

青木 俊‏ 
@AokiTonko
前川さんを「持ち上げ過ぎ」って声もあるけど、こういう証言が次々出て来て、その度に胸が熱くなる。まだまだ持ち上げ足りない人物だ。彼を貶めた菅と読売はみじめになる一方だ。↓朝日26日投書欄「オピニオン」:


★前川さんを含む三人の勇気ある方たちの応援団『正義の味方じじばばの会』が出来ました。活動の内容と左の写真についても詳しくは、「よんばばつれづれ」さんのコチラで:http://yonnbaba.hatenablog.com/entry/2017/06/26/211640
◎金曜デモでお世話になっている「特別な1日」さんが沖縄戦を舞台にした映画「ハクソー・リッジ」を紹介されています。〈ハクソー・リッジとは…〉第2次世界大戦の激戦地・沖縄の前田高地のこと。多くの死者を出した壮絶な戦いの場として知られている。ハクソーとはのこぎりで、リッジとは崖の意味。150メートルの断崖絶壁の崖が、のこぎりのように険しくなっていたことから、最大の苦戦を強いられたアメリカ軍が、“ハクソー・リッジ”と呼んだ(映画のHPより)。


映画『ハクソ―・リッジ』は今年のアカデミー賞でも作品賞、主演男優賞、監督賞候補になり、2部門(編集、録音)を受賞した非常に評価が高い作品です。度々の暴言やDVや奇行でハリウッドで干されていた監督のメル・ギブソンがこれで10年ぶりに復活したと言われています。
映画は沖縄戦中盤の山場 前田高地の激戦を舞台にしています。日米両軍が文字通り血で血を洗ったこの戦いの酷さはボクも昔から聞いていました。20代の頃 沖縄に初めて行った際 どんなところだろうと思って、実際にその崖の下まで現地の人に連れて行ってもらったくらいです。もちろん 今は民家が密集し緑がうっそうと生えていて 当時の面影は全くありません。ただ瞑目だけして帰ってきました。



ボクは残酷なシーンがある映画は苦手なので、肉片が飛び散る戦場の実相をリアルに描いたこの映画はスルーするつもりでした。が、映画を機に公開された浦添市の前田高地の案内を見て、見に行くことに決めました。やっぱり戦場の残酷さを見ておかなければならないだろうと思ったんです。文字通り、おっかなびっくりでしたが。
●これを見て、非常に考えさせられました。浦添市グッジョブです。『ハクソー・リッジ』〜作品の舞台をご案内します〜 | 浦添市http://www.city.urasoe.lg.jp/docs/2017052900033/


ちなみに日本の映画会社はこの映画の舞台は沖縄戦ということを極力避けて宣伝しています。アンジェリーナ・ジョリーが監督した『アンブロークン』のように敵味方の兵士たちの感動秘話なのに反日映画扱いされるのを怖れたからだそうです。この国は救いがたいです。アホかって。

★映画館へ行けそうもない方は是非ブログを訪ねて映画紹介を読んでみてください。映画を観たと同じ?気持ちになれます。また浦添氏のホームページも本当に素晴らしい内容です。コチラもおすすめです。映画を観たくなりますし浦添城跡を訪ねたくなります。
ブログはコチラ:「『沖縄 慰霊の日』と映画『ハクソ―・リッジ』と『おとなの恋の測り方』」(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20170626/1498469917
先日のお茶の先生のお宅でタイブルーの水差しを見て我が家のタイの陶磁器のブルー&ホワイトを思い出しました。左の写真が初めて大久保という輸入陶器店でセットで買った植木鉢カバーです。大きい方は数年前夫が引っかけて割れてしまいました。30年位前から今の定位置にあります。写真上から、象のティーポット、植木鉢カバー、そして指輪を入れているタイのお土産用の小物たち(タイへは行ったことなしですが)、灰皿は植木鉢の水受けに。