那須与一

先週土曜日は10月最初の土曜日、平家物語でした。
9月の新年度から巻十一に入って、この日は、扇の的を射た那須与一
九郎判官義経の平家追討に、海へ追いやられる平家。大嵐の中、逃げ支度を許さぬイケイケどんどんの義経の船団は通常の何倍もの速さで四国、阿波の国へ。ここで、平家に背いて源氏を待っていた者共が連れ立ち寄って、義経の軍勢は300余騎にもなった。

陸の源氏と海の平家。日が暮れて、戦闘中止の時刻、一艘の船に紅(くれない)のはかま姿の美しく着飾った18,9歳の美女が、赤い地色の真ん中に金色の日の丸を描いた扇を立てて、陸にいる源氏勢に向かって手招きする。「射よ」ということかと、弓の上手な、下野(しもつけ・今の栃木県)の那須与一が選ばれる。このころ20歳ぐらい。
意外にも(自信満々名乗り出たのかと思っていました)、「射おほせ候はむ事、不定(ふじょう)に候。(うまく射切ることができるかどうかわかりません)」『射そこなったら、長く味方の疵となります。確実に射切れそうな人に・・・』と辞退すると、義経は怒って「鎌倉をたって西国へおもむかん殿原は、義経が命をそむくべからず。そこしも子細を存ぜん人は、とうとう是よりかへらるべし」。
これ以上逆らってはまずいと思った与一は「うまく射抜くことができるかどうかわかりませんが、お言葉ですので、やってみましょう」と・・・
距離にして、7,8段。1段は11メートルだそうです。太くたくましい黒い馬に乗って、一段海へ乗り入れて間合いを詰めて・・・
時は、旧暦の2月18日(今の3月)、午後6時ごろ、北風が吹き、磯に打ち寄せる波も高かった。扇も竿に固定せず、ひらひらとひらめいている。
与一は心の中で神頼み、「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光権現、宇都宮、那須の湯全大明神、願はくはあの扇の真ん中射させてたばせ給へ。・・・」
与一は鏑矢(かぶらや)をとって弓につがい、十分引き絞ってひゅうっと射放した。
「弓は、浦ひびくほど長鳴りして、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりおいて、ひィふっとぞ射きったる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞあがりける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさっとぞ散ったりける。
夕日のかがやいたるに、みな紅(くれない)の扇の日いだしたるが、白浪の上にただよい、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には、平家、船端をたたいて感じたり。陸(くが)には、源氏、箙(えびら・矢筒)をたたいてどよめきけり。」
色彩や音声、映像が浮かぶような描き方です。この日は、階段の下で、2年前一緒に世話係を務めたMさんに会って、そのまま、隣り合って座りました。「戦争してるのに、エライ優雅なことやね〜」と。「ホントね〜」と私も。先が気になって、ちょっと次を読んでみましたら、優雅な場面は一瞬だったようです。
写真は、先生が講義のあと回覧で回された安野光雅の「平家物語」の那須与一の場面です。