◎「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長が来日したのとすれ違うようにバルト三国訪問に出かけた安倍首相でしたが、あちらでわざわざ北朝鮮ミサイルの射程距離内だと危機感を煽る発言。大丈夫?と思いました。そのうえ、リトアニアでは、戦争中、政府の方針に反してユダヤ人たちに命のビザを発行し続けた杉原千畝記念館を訪れ「誇りに思います」だって。前川氏の同じような行動に対して官邸から見張りをつけたり脅したりしている現政権トップが、言えること?と思わずニュースに突っ込んでしまいました。
◎ツィッターでも話題になっていて、何と、杉原夫人の新聞投書が読めました。日本の戦後をどんな思いでご夫妻が過ごしたか、これが一番分かり易い証拠です。
内田樹さんがリツィート
HOM55 1月14日
@HON5437リトアニアのカウナスにある杉原千畝記念館を訪問した総理夫妻。リトアニア首相にも外交官杉原千畝の功績を称賛され「同じ日本人として誇りに思う」とまで語った総理。しかし平成28年度に難民認定された人数は28人で、難民認定率は約0.3%という結果。この数字も日本人として誇れますか?
手塚空 Tezuka Sora
@aibery 1月14日
帝国政府に背いて人道的対応した杉原千畝が現代日本の外交官の手本とされるどころか、在釜山総領事が私的な場で政府対応を批判しただけで密告され更迭されてるやん。いつものことながら安倍さん言行不一致すぎるわ。笑笑
★★★これ、この杉原夫人、幸子さんのこの切り抜き。これがすべてです!!
内田樹さんがリツィート
峰村健司
@minemurakenji
★昔の新聞の切り抜き。恐らく1994年3月30日、朝日新聞。このあと和解したと記憶している。
◎これ大切な時系列です。押さえておきましょう!!
!!丹和弘@マリサポ兼記者
@itami_k
杉原千畝が外務省を辞めさせられたのが1947年。戦後の話だ。
そして、名誉回復がなされたのが、なんとそれから半世紀以上経った2000年。
この事実は押さえておきたい。
◎確かに安倍首相からこう言ってほしかったですね:
山崎 雅弘さんがリツイート
立川談四楼
@Dgoutokuji 1月15日
「杉原千畝さんを日本人として誇りに思います」って安倍さん、言葉が足りません。「わが国は杉原さんを外務省から追放し、長くその名誉を回復しませんでした。にも関わらず当地リトアニアではここまで評価してくださる。総理として深く御礼申し上げます」でしょうが。パパやジイジから教わらなかった?
◎「東久留米日記」さんも、安倍首相の「日本の誇り」に違和感を持ったお一人です:
安倍総理がリトアニアの杉原千畝記念館に行って「日本人の誇り」とか言う。すごい矛盾。
@Shu_niwaka
杉原千畝的な権力性から独立した人間が現代にいたら、1000000%安倍政権に疎まれ、前川元文部事務次官のように政権御用達の新聞から醜聞を書き立てられ、文春砲()が何発も撃たれ、ネットで反日連呼が止まらないだろう。「同じ日本人として誇りに思う」って、どっから出るんだろーな。
@buu34
安倍首相がエストニア訪問
fnn-news.com
(link: https://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00381785.html) fnn-news.com/news/headlines…
安倍首相は「北朝鮮は、今や(エストニアの首都)タリンを射程に入れる弾道ミサイルを発射するなど、欧州にとって重大な脅威であります」と述べた。
はぁ???????
中沢けい@kei_nakazawa
これ、また激しく批判されそうな安倍首相の発言。明日あたり批判続出しそう。誇張だもの。
安倍首相「北朝鮮、欧州全体に脅威」=日リトアニア首脳会談(時事通信) - Yahoo!ニュース (link: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180113-00000075-jij-pol) headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180113-… @YahooNewsTopics
◎百田氏、まだ懲りずにこんなことを言ってるんですね。1月から我が家も朝日新聞に変えたので、私も「百田氏の敵」ですね:
山崎 雅弘さんがリツイート
米山 隆一@RyuichiYoneyama 1月16日
百田氏は「中国と日本が軍事衝突をしたら朝日新聞は中国の肩を持つ」という勝手な憶測に基づき、基本朝日新聞とは関係ない「朝日の読者」を「日本の敵」と断罪して、日本人の日本人に対する憎悪を煽っています。この様な行為こそ、日本を分断しその力を弱めるものでしょう。厳に慎むべき事と思います。
山崎雅弘
百田尚樹氏が、勝手に自分を「日本の味方」と定義し、相反する人間を「日本の敵」と主観的に決めつけて罵倒する恫喝は、『「天皇機関説」事件』でも書いた通り、1930年代中盤以降の日本社会で多く使われた手法。当時と同種の罵倒と恫喝が、時の権力者の政策を擁護し、批判を封じる目的で使われている。