「集まれ!4.14東京&大阪」と春の花


☆☆☆14日土曜日、東京でも大阪でも、大勢の市民が集まりますように!


日曜日、夫は山の会の仲間と中山道を歩きに出かけました。日帰りで青春18きっぷを使って10人ほどの人たちと月一度?数か月?かけて中山道を歩いています。朝早くから出て夜8時過ぎに大阪駅着ですので、今日は父と二人で過ごすことにして母の病院もお休みにしました。ヘルパーさんの訪問があったら、後はお昼過ぎに買い物に出て、戻ったら父を誘ってコーヒータイム。夜も二人分だけで済みました。

先週の土曜日は4月最初の土曜日。午後からの平家物語はお休みにしました。代わりに頼んでおいたお味噌を買ってくださったSさんが2時過ぎに。二人で久しぶりにお茶の時間を過ごしました。母が入院してから初めてのお客さんです。母の病室にでも飾ってと得意のパッチワークの作品をいただきました。そして、例のあのデイトのお話です。小学生の時、学校で飛ばした風船が新潟の小学生に届いて、それから文通が始まって、昨年の御主人を亡くされたという喪中はがきに返事を書いたことから、お返事が来て、54年ぶりに大阪で会うことになったという話。29日がその日だったとか。

一週間前、Sさんのご主人が誘って、新大阪駅から、大阪城公園、そしてホテル、レストランと、予定のコースをの下見だったそうです。服装を事前に連絡して無事、新大阪駅で会うことができた。イメージとお互いあまり違わなくって、ご主人の話を聞いてみると、お互いよく似ているのにビックリ、その上、子どもたちの出産年まで一緒だったとか。
Sさんは私より8歳年下だから65歳かな。同い年の彼女は、60歳まで小学校の先生で、その後5年間は学童(放課後の小学生の面倒を見る)の先生をしていた。ご主人は公務員で定年後、74歳の去年、大腸破裂で1日で急変、亡くなった。その夫の人となりを考えるとあの喪中の文言になったとか。その言葉に心動かされたSさんが、手紙を書く気になり、その手紙を読んだ新潟の彼女が会いたくなったというわけ。
ご主人のあっけない亡くなり方に、新潟の彼女は、いつ何時、命を絶たれるかもしれない、気になることは生きているうちに実行してしまおうと思われたみたいで、”会いたい”となった・・・そうです。
飛ばした風船が54年後の二人の人生の接点をプレゼントしてくれたという素敵なお話です。これからまたSさんが、いつか新潟を訪ねて、ということにもつながりそうです。

さて、久しぶりに、ゆっくり歩いて買い物に出ると、
桜並木の八重のボタン桜が満開でした。
それに、団地のハナミズキの並木も赤く色づいています。
団地の道路わきの花壇には、釣り鐘型の花と芝桜。
出がけに、我が家のリラ(ライラック)の花が咲いているのを見たのですが、
団地の金網越しには、ミニリラの花が咲いていました。

土、日は、3月初めごろの寒い日でしたが、日差しは春そのもの。