相次ぐお知らせと母の俳句

◎先週はショッキングなお知らせが相次ぎました。水曜日午前、ヨーガの日でしたが9時前、電話があり、横浜のIさんだと。何事?と思ったら、年賀状が書けなかったので順番に電話で賀状の返事をしているのだとか。年末の2か月で、原因不明の体調不良で何もできずと聞いて私と一緒! 「強いて言えば家を触った、屋根を直すついでにいろいろ」と聞いて私も自分の8月末から2か月間の体調不良の話を。私は体重が40キロを切ったのですが、Iさんは50キロ台の体重が40キロ台になったと。

Iさんは、私が小学校時代の遊び友達。Iさんの家は駅向こう。駅向こうの友達と下校後遊んだのはこのIさんだけ。山を歩くのが好きでした。駅向こうの山は山と言うより丘。駅のこちら側、小学校の裏の山は起伏が激しく急坂が多いので崖を急登してドライブウエイぞいの防空壕跡や池をまわったり、被昇天学園の裏山を渡り歩くというより走っていました。登りは時間がかかっても帰りはの山に降る雨水が削った跡の小さな谷みたいなところを駆け降りるので体が弾んで勢いがついてあっという間に下れました。懐かしいあの頃の二人だけが知る遊びです。その彼女が時を同じくして同じような症状でダウンしていたと知って、二人でこれが年を取るということ、これが後期高齢者なのね。気持ちは60代と変わらなくても体はついてこないということね~と。

この電話で私は小学校の恩師の様子を尋ねました。去年、毎年欠かさずやっていた同窓会ですが初めて案内が来なくて不思議でした。年明けて、先生の年賀状に入院していてやっと歩けるようになったと書いてありました。そのことが気になっていたのでIさんに聞いてみたら、つい先日電話で話してお元気になっておられるということでした。

それを聞いて電話することに。母の丁度一回り下なので86歳の先生ですが、何年か前に脊柱管狭窄症になり、やっと歩けるようになったら昨年圧迫骨折になり4か月入院、退院後少しウツ症状が出て最近やっと普通になったというお話でした。母の話もして、春過ぎ暖かくなったら一度みんなに連絡してみますとお約束しました。先生も白内障の手術があるのでそれが終わったころ楽しみにしていると仰ってくださいました。

そのあとは、私の一番下の妹のこと。年末に癌がみつかり、年明けから放射線治療を受けているということを真ん中の妹からメールで報告がありました。これは本当にショックでした。5つ年下の妹で連れ合いが5年前脳梗塞。99歳の父がお見舞いに行きたいというので4人で神奈川まで出かけとことがありました。あれから5年、母が愚痴一つこぼさない妹をいつも感心して偉いとほめているぐらいでした。すぐには電話も出来なくて、1,2日置いてやっと電話で直接話を。やはり後遺症のある夫のことが心配で先には逝けない、でも、両親みたいに長生きは出来ないかもと弱気になっていました。治療の結果がうまくいくかもしれないので身体優先、今度は自分優先でと。母にはしばらく内緒ということに。

そして今週に入って、学生時代の友人が脳内出血で入院したという電話。今週の木曜日、実は在阪の学生時代の仲間4人で我が家で会いましょうということになっていました。そのことで連絡した奈良のWさんとは、年賀状に「74年生きてきて初めてわかることもある」と書いてあったことを話してもらう約束をしました。Wさんは早生まれなので私より1つ年下。私以外の3人、東京の1人も加えると4人が早生まれで私は4月生まれなので1つ違いになります。電話で知らせてくれた京都のmwengeさんと23日は中止にしてお見舞いに行けるようになるまで待とうということに。

つくづくそういう年齢になったのだな~と思いますし、誰しもみな何か病を抱えながら生きているというのが高齢者なんだな~と思います。

◎写俳人の伊丹三樹彦氏の追悼句集『東西心景』から、母の句友、千葉の正成一行氏選で母の俳句を並べてみます。

   迷うこと一つもなくて 西瓜わる

  うなずくも言葉の一つ 蝉しぐれ

  思い出があるから耐える そぞろ寒

  只今は自由不自由 ももさくら

  自動ドアすんなり開き 春ですね