旧古河庭園へ


いよいよ来週月曜の退院を控えた木曜日、母の退院の日着る水玉の上着を持って、お昼前に母の病室を訪ねました。母は私の東京行を覚えていて、「忙しいんだから明日から3日間はもう来なくていいから」と言ってくれました。金曜日は第一土曜日の前日でしたので、4月から休んでいる平家物語の購読の世話人さんに電話して欠席届をしようと思っていました。事情をお話しして、年度末の7月7日は必ず行きますので、3か月分の資料をとっておいて欲しいとお願いしたら・・・、突然、誰にも話していないし、だれにも話さないでほしいんだけどと、思いがけないお話に。先生が癌の手術で教室は打ち切り、明日が最終日だということです。80歳代前半の先生で、ほかにも教室を持っておられるので、生徒は延べ100人ほどにもなるかも。あんなにお元気で毎回熱意溢れる講義でしたのに、こんなこともあるのか・・・と本当にびっくり。電話を切ってから、諸行無常…をつくづく感じました。

さて、私の東京行きをブログで読んで、学生時代の友人から東京で会いたいというメールが入り、神奈川のXさんに連絡。以前、ウェルザー・メスト氏のオペラのため上京した折にも三人で会っているので、今回も同じように、土曜日のお昼過ぎ、品川で会って、古河庭園へ一緒に行くということに。以前、朝香邸で会ったときは、Nさんは『両手にババさん』でした。大阪で一人暮らしだったお母さんを90歳の時に東京に引き取って近くのコーポへ住まわせておられて、ご主人のお母さんと二人のお世話をしておられました。去年の夏、100歳と5か月でお母さんが亡くなられ、今は99歳の義母さんと毎日散歩に付き合って喫茶店でコーヒーを飲むのが日課とか。私たち一泊組の二人の荷物を駒込のロッカーに押し込んで、歩いて古河庭園を目指しました。

バラの季節を少し過ぎていますが、良いお天気に恵まれました。大きな石垣が続くお屋敷、これがきっと古河庭園。中に入るとすぐ黒い石造りの洋館が見えました。ガイドの女性が無料ですよと寄ってきてくださったのでお願いすることに。5,6人のグループができて庭園へ。バラは一番花が終わって二番花が咲き始めたところ。東京は坂の町ということを今回は歩いてつくづく感じました。ブラタモリタモリさんが言っていた通りです。それも、かなり急こう配の坂道があちこちに。坂と川の町ですね。途中で見つけたタチアオイの花の色が変わっています。こんなに濃い臙脂(エンジ)色の花は初めて見ました。

旧古河庭園はパンフレットによりますと武蔵野台地の斜面、小高い丘に石造りの洋館が建っています。敷地の斜面と高低差を活かした庭園づくりになっています。旧岩崎邸では、洋館と和館は平面でつながっていましたが、こちらは洋館の建物の内部の一階部分が洋風でパブリックスペース、二階が和風でプライベートスペースになっているそうです。

屋根は天然スレート、壁は、芯がレンガで組んであり、表面に真鶴の安山岩を使って50センチの厚さがあるんだとか。鹿鳴館ニコライ堂を手掛けたジョサイア・コンドル(1852〜1920)の設計で、そういえば、旧岩崎邸の洋館もコンドルの設計です。
この建物は関東大震災にも耐え、東北大震災でもびくともしなかったそうです。前の週のお昼にNHKが中継をしていて、私はたまたまバラ園の後の日本庭園のところから見たのですが、テレビと実際は本当に違いますね。バラ園からすでにかなりの高低差です。急な階段の上からは見下ろすような感じになります。

バラ園をさらに下ったところに日本庭園があります。

青葉越しに洋館の建物。高低差20メートルもあるそうです。

この日本庭園も、つい最近、タモリさんが京都を訪ねた時に、琵琶湖疎水沿いに和風の庭造りが盛んになり、名人小川治兵衛を生んだという解説がありましたが、その小川治兵衛の作った庭です。


山形有朋の無鄰菴では比叡山が借景となり川が流れ回遊式の庭園になっていましたが、古河庭園の日本庭園は、山の代わりにビルで借景こそできませんが、規模は、はるかに広大。大滝で三段の滝を流し、真向いの反対側は水を流さず石組だけの枯(カレ)滝。心字池の真ん中には、巨大で大らかな雪見灯篭があり、周りにはちょうど水色や白、藍色のカキツバタが咲いていました。あちこちに背の高い立派な石灯籠が配されていて、どの小道をたどっても異なる角度から美しい庭の景色が楽しめます。見上げると遥か高台には奇妙な形の大木が2本とその下に東屋が見えますし、中腹には茶室(写真↑右)も。
最奥あたりで、ボランティアの方と別れて3人で茶室へ。500円で裏千家のお茶を点ててもらえます。干菓子が出され、お茶を一服。渇いたのどにお抹茶が美味しい。急こう配の坂を上ると下から見えた東屋の近くに出ました。ここから見ると建物とバラ園の高さの差がよくわかりました。
帰りは100円のバスに乗って駒込駅へ。私たちはホテルのある赤坂見附へ。途中でNさんとお別れ。
豊川稲荷赤坂御用地が真向かいにあるホテルにチェックイン。夕食は銀座の三越のビルにあるイタリアンを予約してもらっています。5時半にノックしてもらって二人で外へ。地下鉄のややこしい乗り換えはすっかりXさん頼み。

今回、東京の街と言っても、主に地下鉄の乗り場目指して歩いていて思ったのですが、スペインの町を歩いていたのと変わらないと思いました。道行く人は日本人より外国人が多いし(土曜日だったせいも)、地下の天井近くの案内番号を見失わないように歩いているのは東京もバルセロナも同じです。電車に乗っていても服装や体形ともに、そんなに違わないし(私のような戦中戦後生まれは別にして)、世界中の観光地や都会はどこも似たような感じになっているのかもしれないと。8時過ぎビルの外に出て夜の銀ブラをしようということに。少し歩いて、お上りさんよろしく写真を撮って、ホテルへ。
「明日、じゃ、8時に朝食」ということで各自の部屋へ。一日目が終わりました。古河庭園と銀座と2日分も楽しんだ一日でした。


◎神奈川のXさんとメストさんの演奏会を聴くために上京する折りには美術館や庭園巡りをするのですが、学生時代の友人Nさんも加わって3人で見学するようになって今回が3度目です。以前のあれは何年前?と記事一覧で調べてみました。もう6年も経っていました。
それに、ウェルザーメスト氏のドタキャンはロンドン、ベルリンに加えて、上野のウィーンフィルとのサロメでも。通算3度目を体験していたのを思い出しました。それで、Xさんが間際まで信じられないと心配していたのがわかりました。私は考えないようにしていましたが、3度目を忘れていました。
   XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
2010・11・20「展覧演奏会」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20101120/1290235339
2010・11・21「庭園美術館(朝香邸)にて」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20101122/1290390963

2012・10・18「三菱1号美術館とサロメウィーンフィル>」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20121018/1350530728
2012・10・19「旧岩崎庭園を訪ねて」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20121019/1350624724

2012・3・7「ダニエルハーディング「3・11のマーラー」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20120317/1331938593)

2014・8・4「エバシャムと…」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20140824