冬瓜とゴーヤとフジの花


夫が尾瀬へ出かけて不在の土曜日、朝、Sさんに電話、午後から来てもらうことに。母にも声をかけておきました。いつもの時間にチャイム。午前中は涼しくて今日は冷房の必要はないかと思っていましたが、どんどん暑くなってきました。まず、お願いしていた9月8日の映画のチケット「コスタリカの軌跡」を受け取って、雑誌の「ハルメク」と「ステーション」を交換。先日夫が木津川のカヤックを誘った粟生間谷の方に、畑で出来た冬瓜とゴーヤをいただきました。その直後、今度は私の同窓生のKくんから「ゴーヤ、もろてくれへんか?」と電話。「先日のまだ1本残ってるけど、とてもおいしかった」と答えると、すかさず「もろて。もっていくから」と。丸々と太ったゴーヤが三本。「あれから、できてん」「そう〜。これ、石川県の従兄が送ってくれたジャガイモだけど、美味しいから食べて」と交換。で、手元にゴーヤがどっさりということに。写真の冬瓜は35X20センチ、ゴーヤは長さ30センチ、幅5,6センチほども。Sさんに半分助けてもらうことに。

途中、母が杖をついて顔を出してくれました。Sさんの今は亡きお母さんは母と同じ大正10年生まれです。久しぶりに家族や身内以外の方とのおしゃべりに母もうれしそう。二度の入院の顛末から話し始めて、最後は3人で山口のよしきちゃんを探しあてた大分の尾畠春夫さんの話に。母が、あんなに立派な人はもっと宣伝して若い人たちのお手本にしてもらわないと。表彰状だけでなくて金一封もあげてほしい。年金6万円で、ガソリン代1万円もかけて捜索に出かけたんだって、あのボクシング協会の山根会長と同い年だって、えらい違い・・・とテレビをよく見ていて、私たちの知らない情報も知っています。嫌なニュースばかりだったのに、本当に久々に良いニュースだったね〜と三人で声をそろえて。


夜、8時過ぎ、夕食も終えて、父のその日の心臓の貼り薬も貼り終えて、隣から引き揚げてしばらくした頃、山口のWさんから電話。いただいた電話なのに、長話でここ二か月の報告でした。6月の私の東京行と翌日の母の退院辺りまで前の電話で話していましたので、それ以後の義兄の50回忌や母の再入院とお盆前の退院から現在まで。Wさんがお母さんを見送ったのは68歳の夏、その年の12月に69歳になったとのこと。74歳の私は、まだしばらく頑張らないといけません。お見舞いと励ましのお電話ありがとうでした。
一夜明けて、今朝のこと。お昼前だったか、電話。声を聞いて、久しぶりですが、ご近所だったHさんの声だとわかりました。80代の方ですが、きれいなソプラノの声がお元気そうです。施設に入っておられるのですが、9月いっぱいで今の所から、娘さんの住んでいる宝塚市の施設に変わるそうです。阪急宝塚線の途中の駅のすぐ近くに新しく出来た大きな施設なんだそうです。「そうですか〜良かったですね、娘さんの近くなら安心だし、娘さんたちも行き易くなるし」「そうなの〜、また、会いたいですね」「お話聞いて、9月までに皆さん誘って一度と思ったけど、新しい、その池のそばで見晴らしがいいという施設も見たいですね〜、そっちの方がいいかな〜」「見学がてら、来てください」「そうですね〜、私も70代になりました」「77,8歳?」「74」「じゃ、まだ、まだ、若い若い…」「そうですか〜でも、すぐですよね。一度皆さんと話してみますね」。
生協仲間のお一人でしたので、また3人の仲間たちと連絡を取って新しい施設見学兼ねて出かけてみようと思いました。今の施設はもう6年だそうです。4人で一度お訪ねして近くのレストランで昼食をとったことがありました。その後、4人ともそれぞれ事情があって、普段合うことも少なくなっています。いいきっかけを頂いたのでまた一度集まれるかもしれません。

昨日,今日と、懐かしい人からのお電話が続いて、なんだか心が弾みます。
◎写真は先週末、薬をもらった帰り道、オリーブが緑色の大きな実をつけて
中幼稚園の前のイチョウの並木。そして団地の給水塔。
用水路の上を覆っている藤のつたに一房だけ青い花をつけていました。