父の最期

昨夕、父が静かに息を引き取りました。前日の土曜日は母がお見舞いに連れて行ってほしいというので、3人でお見舞いに出かけました。土日はリハビリがお休みなのでゆっくりできるという母の入院体験から、土曜日が来るのを待っていたようです。
水曜日、父に母のことを聞かれたので、元気よ、今度一緒に来るねと伝えたら,来なくてもいいと言っていた父ですが、金曜日には、「じゃ、帰るね」というと父のほうから「お母さんはどうしてる?」と。看護師さんが来られた日でしたので、「血圧と血糖値がまだ高いけれど、元気よ。今度はお母さんも一緒に来るね」と伝えたら、この日は、黙ってうなづいていました。
土曜日、入院したころより父はすっかり痩せて、点滴は足からになっていました。点滴の痕も黒々と痛々しい両手を見て「苦しい,しんどい?」と聞いても首を横に振っていたそうです。

実は金曜の午後、病院から電話がありました。月曜日の午後、嚥下が可能かどうか検査をするので一緒に映像を見るようにというお話でした。いよいよ点滴を卒業して流動食を食べられるかどうかの検査だから、良いほうに向かっていると喜んでいました。そんなこともあって、日曜日、初めて病院行きを休もうかということに。
その夕方5時過ぎ、電話がありました。看護師さんから血圧が急に下がり脈拍も下がっているので・・・ということでした。
母に話して、夫の車で病院へ。処置室という部屋に父のベッドは移されていました。母は、「お父さん、大丈夫? 苦しいね、苦しいね」と手を取りながら話しかけています。父の意識があったのはその時までだったのではないかと思います。
宿直の担当が5時で変わったばかりという先生からの説明では、体のどこかの血管が詰まったか破けたかで急に血圧が下がった。調べるためには移動させなければならないが今この状態での移動は耐えられないと思うということでした。最期が近いということだと受け取りました。それから数分で大きな息をして、呼吸がゼロを示し、そのうち血圧もゼロを示しました。人は死にたくて死ぬんじゃないということを父は教えてくれました。最後の最後まで痛いとも苦しいともいわず弱音を吐くことなく逝きました。5時50分でした。入院したのが2週間前の日曜日でした。

102歳だからもういい、102歳だからもう十分という周りの思いを裏切って、最後まで102歳でも生きる、102歳でも生きるための努力をする父の姿。命の限りを生き切って、命の明りが燃え尽きて…という見事な生き方であり死に方でした。母は病院への車の中で、土曜日に会いに行っておいてよかった、でも、ありがとうがまだ言えてないのよね。まだ大丈夫と思っていたからと言っていました。父のベッドのそばで手を握った母が、最初に「お父さん」と声をかけた後に大きな声で「ありがとうね、お父さん、幸せだった」と言っていましたが、きっとその声が届いたことでしょう。

明日には息子たちが帰ってきます。妹たちも帰ってきます。しばらくばたばたします。ブログのほう、お休みします。