「高校国語から文学が消える」(「文藝春秋」11月号)

(本日2つ目です)

◎高校の国語から文学作品が消える? 読まされるのは駐車場の契約書? 世界共通テストの点数を上げるための「論理国語」が導入? 日本人の教育レベルをまたまた下げるための方策が練られています。"教養"ある日本人は探しても見つからなくなる時代が来るかも・・・

内田樹さんがリツイート

ミスターK
@arapanman 10月26日
文藝春秋11月号。大学入試の国語に記述式が加わるが、読まされるのは駐車場の契約書などで、高校の国語は高2高3は「文学国語」か「論理国語」のどちらかしか選択できなくなる、入試を考えてほとんどの高校が「論理国語」を選択するだろうと。高校から文学作品が消えようとしてる。亡国まっしぐら


弁護士 太田啓子@katepanda2 10月28日

学者の方のものとはいえ、このような一読者の投稿記事という形でしかこんな重大なことに気づくきっかけがなかったのかというの衝撃こういうことにアンテナ貼って発信してきたメディアとかなかったのだろうか。英語教育のことは聞こえてきていたけど国語教育がこんなことになっていたとは。。。


中沢けい
@kei_nakazawa 10月28日

英語入試は業者試験導入でおおもめ。国語は「文学国語」と「論理国語」に分ける愚挙。「教育勅語」を学校の授業に導入しろと。いや、すでに「道徳」の教科化で導入した状態。いったいどんな教育をしようとしているんだおまけに人文学軽視、基礎研究軽視。


平野啓一郎@hiranok 10月28日
滅亡に向けて真っしぐら文学は日本語の最高の応用であり、普通に考えても、日常生活の中でのコミュニケーションや自己の心情表現が、「論理国語」なんぞだけで十分でないことはわかりきってるのに。


◎10月10日に発売された「文藝春秋」の11月号、満中陰の納骨の際、仮のお位牌も引き取ってもらって隣の我が家にはもう仏壇がありませんのでお供えしてあった11月号を母が持ってきてくれていました。父の葬儀やその後の市役所や法務局、銀行通いで忙しく、文春誌も9,10,11月号がたまっていました。上のツィッターを読んでさっそく巻頭エッセイで探してみたら、ありました。文春誌も10日には12月号が発売ですので、お許し願って…そっくり移してみます:

高校国語から「文学」が消える
伊藤 氏貴(うじたか)(文芸評論家・明治大学准教授)


 戦後最大の「国語」改革がいま行われつつあることをご存じだろうか。私たちがイメージする「国語」の概念を根本から揺るがすほどの変化が訪れようとしているのだ。

 一つは大学入試改革。マーク式一辺倒のセンター試験に代わる後継テストでは、新たに記述式の問題が加わる。それだけなら歓迎すべきことかもしれないが、そこで読まされるのが、たとえば駐車場の契約書や、交通事故発生件数のグラフだとしたら、はたしてこれが「国語」の試験だと思われるだろうか。

 二つ目に、高校の指導要領改訂。これまで高校一年次配当だった「国語総合」は半分の時間に減らされ、残りの半分で先述の契約書やグラフのような「実用文」を学び、高二、高三では実質的に「文学国語」と「論理国語」のどちらかしか選択できないようになる。「論理国語」には文学はもちろん、文学評論も入れてはいけないというお達しで、入試改革のことを考えると、ほとんどの高校が「論理国語」を選択するだろう。中島敦山月記』や漱石『こころ』こころのような、日本人なら誰でも読んだことがある文学作品が、契約書やグラフの読み取りに取って代わられる。



 文学などいらない、という意見もあるだろう。今必要なのはグローバル社会を生き抜くためのリテラシーでありコミュニケーション能力であると。そもそも今回の入試と指導要領の大改革は、いわゆるPISAショックを発端とするものだ。PISAとはOECD加盟国で行われる共通点テストで、日本の子供たちの実用分読解の記述式問題の正答率が著しく低かった。この対策としての入試と指導要領の改革なのだ。

 この露骨な対策がいずれ中学、小学へと降りていけば、多種多様なありがとうございました。いPISAの点はあがるだろう。しかし、そもそもPISAで得点の高い国が、学校でそのための対策の授業をしているなど聞いたことがない。ヨーロッパでは「国語」の授業で哲学書を読んだりしているのだ。

 
 今年二月、『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(新井紀子という衝撃的な本が出た。中学生の多くが、文学どころか他教科の教科書レベルの文章が読めていない、という報告が上がったのだ。


 この結果に異を唱えるつもりはない。テストの実例として示された、平易な実用文やグラフでさえ読み取れなかった中学生が多数いたのは事実だろう。ただ、これが即、読解力ん低下を示しているとは言えない。これは一度きりの調査であり、また、テスト問題の実用文に興味が持てず、テストの形式に不慣れなためのケアレスミスもあったに違いない。たとえば「義経平氏を追いつめ、壇之浦でほろぼした」という分が「平氏義経に追いつめられ、ついに壇ノ浦でほろぼされた」と同意であるかどうかを問う問題は、時間と注意力さえあれば誰でも正解できるだろう。


 実用文を読めることはもちろん重要だ。しかし、実用文を読み正確な情報処理を行うだけなら、それこそ人間はAIにいずれ負けるしかない。


 先述の本の中でAIの専門家である新井は、AIが今後も人間に決して勝てない分野こそ「読解力」だと言っている。

 社会が人間同士の交わりである以上、そこでの言語はニュアンスや膨らみを持ったものであり続けるはずだが、AIにはそれがわからない。情報としての「意味」はわかっても、それを発する者の「意図」は汲めないのだ。そして、後者の「読解力」の低下こそ、現在若者たちの間で起きていることだ。大学では、話のニュアンスを汲み取れない学生にどう対処するかの研修会が教員向けに開かれている。


 意図やニュアンスの読解には多読より精読が必要であり、それを担うのが「国語」という教科だったはずだ。情報処理や簡単な通訳はAIに任せられる時代だからこそ、真の「読解力」が求められるようになる。それを無視した「国語」改革がどこに行き着くか、紙幅は尽きたが、ここまでお読み下さった方なら、筆者の意図は既にお汲みいただけていることと思う。
 


◎そんな馬鹿な…という感じの政府の対策ですが、「バカ」よりもっと質(たち)が悪いと思います。思い出すのは三浦朱門曽野綾子お二人の教育についての発言です。(三浦朱門「出来ん者は出来んままで結構、エリート以外は実直な精神だけ持っていてくれればいい」「魚屋の息子が官僚になるようなことがあれば本人にも国民にとっても不幸になる」)。
一貫して自民党の教育行政は愚民化を狙っているようです。何のために? 一部の人たちの利益と政治がやり易いように…としか言えませんね。ファシズムです。命令で人が動くのが便利で良いと。そのためには命令に疑問を持つような知性はないほうが良い、自分の頭で考えない人が好都合。「命令に従順に従う大勢の人たちと一部のエリートで社会はできている」というわけです。そのための教育にすでになってきているといえます。教育格差が広がっています。

内田樹
@levinassien 10月31日

・これ、ほんとにそんなバカなことやる気なんでしょうか今の政府ならやりそうですね。愚民化の効果があると思えば何でもやるでしょう。  


・前に英語教育について英語の先生たちをお相手に講演したことがありました。その中で「今の日本の英語教育は植民地原住民への言語教育そのものだ」ということを申し上げました。まさか国語まで同じになるとは思いませんでしたhttp://blog.tatsuru.com/2018/10/31_1510.html



山崎 雅弘
@mas__yamazaki 10月30日
言葉や文章を「論理国語」と「文学国語」に分類可能だと本気で考えているなら、この国の教育行政は取り返しのつかない破壊の段階に入っているとしか思えない。ポルポト時代のカンボジアと方向性が同じ権力者が大きな錯覚に陥り、主観的に良いことをしているつもりで、重要な価値あるものを破壊する。


山崎 雅弘
@mas__yamazaki 10月31日

教育行政が、言葉や文章を勝手に「論理国語」の「文学国語」に分類した上、前者に過剰な比重を置いた教育を全国の学校に強要する動きは、大学教育で人文科学の比重を減らす動きとシンクロしている。社会の動きを批判的に分析して的確に文章化できる人間を減らそうとしている。https://togetter.com/li/886386