お正月の初詣

明けましておめでとう

ございます

今年もどうぞよろしく

お願いいたします

 

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昨年は、長男が29日の夜の放送を見届けて翌日から2日の今日まで我が家で過ごすことになりました。昨年より一日早い帰省です。次男は沖縄の那覇。29日は、まだ働いている人たちの仕事納めだから労ってやらなくちゃと忘年会と称する慰労会で出かけるとメール。一介のサラリーマンが中小企業の社長みたいなことを言って、夫に言わせると見栄っ張りが…ということに。夫々の仕事納めでした。

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晦日の夜は、報道担当なのに珍しくエンタメの仕事でアメリカ取材に出かけた息子の裏話を聞かせてもらいました。エンタメの取材といえども人間関係なんだということが分かりました。初めてのアメリカ、これが若いころだったらアメリカに行ってたというとんでもない話。ダラス空港からニューヨーク、アイオワからフロリダと5日間であちこち飛んだようですが、アメリカの魅力には惹かれたようです。自分をあの大きな世界で試してみたいと若いころなら日本には帰ってこられなかっただろう、というのを聞いて、今でよかったと私は胸をなでおろしました。大阪から東京に出たとき、そんなことを言っていました。やっぱり東京は日本一の物と人と才能が集まる場所、大阪は田舎とも言っていましたっけ。

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息子のせいで紅白歌合戦は見られず、裏番組(息子の働いている局でもないのに)の長い番組に付き合いました。夫は早々と降りてしまって隣の部屋で好きな番組を見ていたようです。私は途中年越しそばを作って年明けまでつきあいました。

元旦は隣の母も呼んで、いつもより一時間遅れでおせち料理。生協で母が取り寄せた金沢の二段重ねのおせちです。母も懐かしい数々の加賀料理、かぶら寿司やゴリの佃煮、かぶら寿司カニと菊の花の酢の物やクルミ煮が入っていました。黒豆には金箔がかかっていて贅沢。私が作ったごまめはとっても良い仕上がりで、これも残り僅か。

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午後になって三人で、郵便局に寄ってから山へ向かって初詣に。最初は瀧安寺から。先に滝道をまっすぐ行って裏から入ると参拝の行列ができていたので最後尾に並ぶことに。おみくじを引いたら末吉、境内の木の枝に結びつけてきました。急階段を下って観音寺もついでにお参り↑。川向こうの、一昨年の台風21号の倒木で崩壊した建物の再建に取り掛かるため、太鼓橋は重機が通れるよう補強工事、長い階段は重機が登れるようコンクリートを流して平らな坂道にしたようです。

川沿いを歩いて昆虫館前から湾曲した中之島状の中央への橋を渡ると、あの読めない漢字の『つつじが原』にでます。

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もう一つの橋を渡って滝道に合流、だらだら下ると音羽山荘前へ。

↓写真の橋を渡って山に入り、急坂を折り返して上り詰めると次の目的地の西江寺聖天宮)の裏に入れます。

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ここでもお詣りを済ませて、階段下の社務所でおみくじ。夫は初めてお神酒が置いてあるのに感激。小銭の山に小銭を載せて、青竹のお猪口で頂いていました。私はここで大吉のおみくじを引き当てました。こちらは、お持ち帰り。何年振りかの大吉です。

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途中から振り返って写真を。ここからもう一段下がった境内が天狗が子どもを追いかける場所。そこから又階段を下ると裏出口に大イチョウとモミジの樹があります。

いいお天気に恵まれた穏やかなお正月でした。前日、速報でゴーン氏の日本脱出が報じられて、息子が担当部署の記者たちは正月どころじゃなかっただろうと言っていましたが、狙われましたね、日本のセミ空白状態になる年末を。息子と二人でこの逃亡劇は絶対映画になるねと。日本の警察と裁判所の間抜けぶり?が映画になるのは一寸残念ですが…。

2日の昼の切符しか取れなかったという息子は夫の車で新大阪まで送ってもらって東京へ向かいました。沖縄の次男とはスマホでも連絡取れず、ひょっとすると台湾旅行かも。大阪へ帰省するお金で行けそうですから。いつも年寄りばかり静かに暮らしているところへ、一人40代最後の若いのが入ると大変です。ちょうど良いくらいで帰ってくれました。

今年はヨーロッパへ仕事で行きたいとか。原発のこと、気候変動のこと、小泉親子の真逆の評価や、安倍政権のことなど、そして、仕事のことなど何時になく三人で話し合えました。息子が、気温1℃上昇は大変な出来事、日本で原発はやめなきゃ、で、それに代わるエネルギーを国民みんなでどうするんだを考えなきゃなきゃ、と息子が言い出しました。で、どうする?という話になったり、それぞれ一致するところ、違うところもあって、これ以上はやめた方がとお互い引っ込めたり、探り合いの話もありましたが、楽しかったです。少し、あるいは、やっと、大人になったかなという感じです。結婚、考えていないようで、これも引っ込めました。

やっと一人の時間になったので、山口のWさんにお返事の電話をかけることに。娘さんが小中高の3人の息子たちを連れて29日から昨日まで帰っておられたので、あちらはもっと大変。食べ盛りの男の子3人ですから、料理は作っても作ってもあっという間に無くなってしまったようです。お父さん側の大阪の実家に寄るため1日に移動で丁度いいぐらいに帰ってくれた、あとは、ぐったり、静かになってほっとしているとか。アラウンド喜寿(アラ喜寿)の母親である私たちにはちょうど良いお正月でした。