高校の同窓会


ヒョンなことから高校の同窓会の総会と80周年記念懇親会とやらに出席することに。今までは、5年ごとに開かれる同期の同窓会にたまに顔を出す程度でしたが、つい先日、同窓会の副会長をしているMさんから電話があり、80周年の記念の同窓会で私たち同期から33名出席するから是非出席するようにと2回も電話があり、義理立て?して20日の土曜日、梅田のヒルトンホテル・桜の間へ出かけました。
私の高校時代は、今から考えると私の一番暗い時代でした。長女で遅い反抗期を迎えていました。きっかけは、高校進学の学校を選ぶとき。岡町に住んでいた母は三人の娘の母親となり、元第十四高女で昭和23年からは新制の男女共学となった高校の通学路の近くに住んでいました。女子の制服が評判が良くて、胸当てのついたジャンパースカートと短い上着が母のあこがれになり、大きくなったらこの学校へ娘の一人をぜひ通わせたいという夢を抱きます。その後、岡町から引っ越して1年生2学期に北小に転入。中学校は三小学校合同で新設された中学校の最初の卒業生でした。当時私たち区域から進学できる府立の高校は元男子校と元女子高と新制高校の3つ。長女としていつも母の気持ちを先取りしてきた私は、母に反対することが苦手でした。でも高校進学は自分の意思を通したいし、一度だけ本当に行きたいところはと言ってみたのですが、女の子はこっちが良いと言われ、それ以上言えなくなりました。すぐ下の妹も私が3年の時1年生に。一番下の妹の時に箕面に府立の高校が出来、末の妹はその一期生に。母は娘の二人を通わせることになりました。

小学校は坂道をまっすぐ上がった5分とかからないところ、中学校は畑の中の道を通って10分もかからないところ、と9年間、恵まれすぎた通学環境でしたので、駅まで10分、乗り継ぎ電車で20分、それも通勤列車の時間帯の満員電車で石橋で奥に詰め込まれると途中で大声を出しても降ろしてもらえないこともありました。駅に着いたらまた歩いて10数分。重たい革のカバンに英語と国語の辞書に6教科の教科書とノート。通学自体が大仕事でした。それに箕面の田舎の中学校からは10人程しか行かず、地元都会の中学校出身の方たちに気圧されてもいました。環境の変化に体と神経がついていけなくなってか、1年生の途中から部活はやめ、3年になると受験勉強も大変になって、胃下垂気味の私は病院で胃薬をもらうようになりました。今から考えると、このころから20年かかってガンになったのではと思ったり。修学旅行は外での食事に自信がなくて参加せずでした。ですから、同窓会といってもクラスが一緒になった人ぐらいしかわからないし…と引っ込み思案。
ところが、年とともに、その高校生時代が懐かしくなってきました。私の内籠りの数年でしたが私の人生には大事な3年間でした。そして、一昨年、中学校の同窓会を準備するため、三小学校から一人ずつ集まり、萱野小のMさんとご一緒することになりました。準備のため我が家にもMさん宅にもお邪魔したりしているうちに、Mさんから高校の同窓会の役員の話を持ち出されたことも。役員の方たちと引き合わされて親しくお話もしたのですが、結局高齢の両親に何があるかわからないのでとお断りしました。その後父が圧迫骨折から食べられなくなり寝たきり状態寸前までということがありましたので、あの時断って大正解だったと思ったものです。で、昨日の同窓会総会ということに。

80周年ということは、昭和12年の創立です。戦後、昭和23年に新制で府立の定時制もある男女共学高等学校になりました。当時9クラスあり、同じ中学校からは今カナダ在住のSさん、そして中学のソフトボールでサードを守ってショートの私と連係プレイの練習をよくしたKさん。そのKさんと同じテーブルに座ったのも卒業以来です。Kさんも最初で最後の同窓会だと思って参加したとか。そして同窓会副会長を務めているMさん。彼女は私が結婚して六甲に住んでいたころ訪ねてきて下さったことがありました。ご挨拶も気持ちの良い感謝を伝える彼女らしいものでした。
「学校の食堂でランチしませんか?」というチラシが入っていました。新任の校長先生が説明をされましたが、学校行事で食堂が暇になる時期限定で卒業生に呼びかけてみようということになったそうです。木造校舎で、二つの立派な本格的な日本庭園があり、コンクリートに桜の花びらを抜き取った独特の低い塀をめぐらした学校でしたが、今はどうなっているのか、卒業以来、一度も訪ねたことがありません。これは、チャンス、と箕面在住の同期の卒業生が5人いるとわかったので、私の方で先に日を決めて誘うことに。その日は先約がという方が2人、あとの2人はOK。3人で、カレーライスを注文して申込書を提出することに。

クラスが違っても、顔を見て覚えてる、知ってると言い合ったり、埼玉や東京から出席している方たちも。こんな風にあの三年間を思い直せる日が来るとは……思い切って出かけて本当に良かったと思いながら家路に。最後に参加者350人で歌った校歌は、驚いたことに、詩の内容がまさに今の季節を讃える歌でした。

「輝けるさつき大空 緑濃きいのち生まれぬ 
 青春の母なる光 匂う風ここに懐かし・・・


 若葉もるるそよぎ高らに たましひに鐘の響きの 
 染み入りて血潮は澄みぬ 緑なす感激のうた・・・」


(写真は10時頃阪急箕面駅で見たツバメ。丁度親ツバメが餌やりをしていたのにカメラが間に合わず。その後は、親ツバメは巣から少し離れたところで見守ってる様子。巣の中の子ツバメがかなり大きいので、巣立ちが近いかも)