G20と我が家そして金曜デモと「高村薫さんの寄稿文」から

G20大阪サミット初日に合わせて香港市民2万2千人以上のクラウドファンディングによる意見広告です。「200万人の香港人は今、自分の未来のために戦っています。」と書かれています。サミットで安倍首相は伝えたそうです。

首相「香港は自由な繁栄が重要」 習主席に伝える: 日本経済新聞

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◎27日の木曜日は大安でした。駅向こうの従弟の次女が結納を済ませて、この秋には結婚ということを聞いていましたので、母と我が家と連名でお祝いを届けようと、朝、電話をしましたら、本人が電話口に。あれ、「今日は在宅ですか?」に「はい」とのこと。約束の9時前にマンションへ。直接、おめでとうと言ってお祝いを渡すことができました。両親のいとこ夫婦も入って5人で1時間近く話してきました。

G20で勤務先が休みかと思ったら、偶然、有休をとっていたとか。全国の警察車両が大阪に向かっているのを見たといういとこの話も。テレビで見る厳戒態勢騒ぎを見るにつけ、国民の暮らしより国家優先、大阪府民の暮らし向きより、OSAKAのイメージアップやメンツや見栄のためという白々しさを感じてしまいます。

そして話は先日のカンテレ重役の息子の箕面山中逮捕の話から、箕面の監視カメラの話に。何年か前、ベトナムの少女が地域の男性に殺された事件がきっかけだったと思いますが、市内各校区の至る所に監視カメラが据えられて、その設置密度は群を抜いているとか。お陰で空き巣が減ったとか、監視社会がかえって怖いとかいろいろ議論があったようですが、老人会会長さんのお話では、高齢者の徘徊先が分かってすぐ見つかるようになったという話でした。そういえば、最近、自治会の掲示板に行方不明老人の張り紙を見たことがないと従弟の奥さんも。市内なら見つかるけど、隣町の池田へ出られると途端に分からなくなって困るという話も。夫が、年取って徘徊するときは市内から出ないようにしようと言って笑わせてくれました。

ところで、大雨で台風接近かというその日の午後、東京にいるはずの息子から連絡が入って、どうもG20の取材で大阪にいるらしいということに。翌日の本番に備えて一人でやってきて、協力カメラスタッフと一緒にロケハンだとか。日没で仕事が終わるから一泊頼むということでした。夜8時半ごろやってきて、夫と飲みながら食事。息子は政治ニュースではなくて生活ニュースを追っていますので、G20の会場がある咲洲(さきしま)の住民の取材をするんだそうです。朝から1日、取材して、局へ戻って編集して翌日朝放送です。

大阪も変わったでしょ?といっても、学生時代から東京だった息子には大阪の都心はなじみのない場所。翌朝は、現地6時半集合に合わせて、5時前に夫が車を出して千里中央の地下鉄駅まで送っていきました。G20、ここ大阪北部の私たちには関係がないと思っていましたが、息子の来阪・帰省という嬉しい機会を得ました。

 ★さて、昨日の28日(金)は、今月最後の金曜デモの日、もう2019年も半分が終わってしまいます。いつもの「特別な1日」さんのブログでデモの様子を:
大変なニュースが紹介されています:「自民党は国会前の抗議を規制することを検討し始めたようです。独裁国家への道、まっしぐらじゃないですか。」

津田大介

@tsuda 6月26日

ヘイトスピーチ」じゃねえからそれ……。

◎金曜日の朝日新聞の「オピニオン」に作家の高村薫さんの「新時代・令和 原発と人間の限界」という話寄稿文が掲載されました。タイトルは「制御できない技術 福島事故が暴いた『平和利用』の幻想」と題され、かなりの長文です。最後は「負の遺産、片付ける意思もてるか」で終わります。一部を引用です:

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私たち日本人は、原子力については広島と長崎への原爆投下という唯一無二の歴史をもつ。その重い記憶の一方、戦後の復興期に語られた「原子力の平和利用」という言葉は、国と産業界と国民に強力な麻酔をかけ、1957年には茨木東海村の第1号実験炉に初めて「原子の火」がともった。こうして日本は商業原発の建設へ踏み出したのだが、科学の進歩がそのまま人類の希望だった20世紀後半は、同時に大国が核実験を繰り返して核兵器が拡散した時代でもあった。その中で日本人がなぜ、核兵器の脅威と原発の夢をかくも都合よく切り離すことができたのか、私たちは今日に至るまでまで真剣に自問した形跡がない。

◎そして、あの8年前の原発爆発です。ここの描写はさすが文学者、金曜デモの原点ですので引用です:

平成の日本で、原発は当否以前の無関心に飲み込まれて日常の一部になった。そして2011年3月11日、東日本大震災が起きる。

 被災地でまさに生死のはざまに投げこまれた数万、数十万の人びとと違い、私のように遠く離れたところからテレビ中継を見つめることしかできなかった者にとっても、福島第一原発が刻々と崩壊してゆく時間は、一生消えない衝撃をこの心身に刻んだ

 こととき私たちはそれぞれ多くのことを考えたが、特にこの地震国で原発を利用することの無謀は間違いなく私たちの心身に刻み込まれたはずである個々の価値観は違っても、事故直後に半径20キロ以内のすべての住民が、取るものも取りあえず退避させられた現地の映像を一目でも見たなら、人間の営みが消された風景の残酷さに悄然としないはずはない廃墟と化した4基の原子炉と人間の消えた大地は、まさに「原子力平和利用」の幻想の下から現れた極北の現実だと言ってよい。」

(後段を「shuueiのメモ」さんが紹介:

(寄稿 新時代・令和)原発と人間の限界 作家・高村薫 - shuueiのメモ)

★この「一生消えない衝撃を心身に刻んだ」はずなのに、「電力会社を頂点とする産業界と、永田町と霞が関の利害が今なお不可分であり続けている」現実、「そして国民もまた、長引く景気低迷と生活の厳しさに埋もれ、再び無関心にのみ込まれていまに至っている」と、高村薫さんは書いています。しかし、あの衝撃を忘れず、あの日から8年の間官邸前に集まっている一群の人々。それが金曜デモです: 

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ということで、今週も官邸前へ #金曜官邸前抗議
東京は台風一過、爽やかなお天気ではなく、まるでぬるま湯の中を歩いているような、どよーんとした湿っぽいお天気(笑)。今日の午後6時の気温は28度。参加者は300人くらい。
 今日はしばらくお休みだった人も顔を出したり、改めて、この抗議はしぶといなーと感じました。参加者にはアホみたいな奴もいないわけじやないけど、大多数の人は動員でもなく自分の意思でやって来て、声高でもなく、でも断固として、大人の抗議を続けています。

★ここで取り上げられているのが、日経新聞の「26日、原子力規制委が、国内すべての原発に様々な検査不正があった部品が納入されていることを発表」という記事です。ひとたび事故が起きたら故郷を捨てざるを得ないような事態を招くというのに、この杜撰さ。原発はやめないと・・・

 ★★★参議院選挙も再稼働反対の意思表示としてのチャンスです。今回も全文をぜひこちらで:参議院選挙と『0628再稼働反対!首相官邸前抗議』 - 特別な1日