9月9日と映画化される『風の電話』

9月9日といえば、昔なら重陽節句、今では何、それ?ですが、私たち家族にとっては102歳で亡くなった父の命日。この一年の短いようで長かったこと・・・父を亡くして母が気落ちしているのではないかと気遣ってくださる方たちもありますが、母は至って元気。無いものねだりをしない前向きな母に助かっています。

8月の一周忌の偲ぶ会でアルバムを見ながら思ったことですが、父は99歳の時、末娘の夫が脳溢血で入院した病院へ見舞に行くと言い出し、その数か月後の7月の誕生日に白寿の会。そしてその年の11月ごろには孫娘の新築の家をどうしても見たいからと2度目の新幹線で上京しています。百歳を迎える直前に圧迫骨折になって食事が出来なくなった頃に、生きて百寿の会を迎えられるか…という心配をしましたが、それも背中は横にくの字に曲がったものの痛みは治まり、数か月後には週一のリハビリデイサービスも開始。母が辛かったのは、それ以前、5年ほど前,、へルニアで入院して、その後、老健車いす+流動食生活になって、早く家へ帰したいと思った頃、その後、趣味のカメラを辞めて外出しなくなった父の傍で、こんなになって生きているのは可哀そうと母が思ったことです。よくわが家へ来て涙を浮かべていました。母が一番苦しかった時期がこの辺です。

一方、父は、私が誕生した一週間後に召集令状が来て、翌年28歳から敗戦を挟んで3年ほど肋膜を病んで療養生活を経験しています。その間、乳飲み子の私を連れて見舞に行った母を「こんなところへ子どもを連れてくるんじゃない」と叱ったそうです。母は白い箱に入って帰る人もたくさん見たので覚悟したとも言っていました。

父は療養生活中、好きなも写生をしたり俳句を学んだりしていたようです。そのころ日記代わりに書いていたルーズリーフが見つかり、悪筆だと思っていた父が若いころはきれいな字を書いていたのにびっくり。母の近況を知らせるハガキ(姪っ子がラブレターと呼んでいました)や、私が書いた平仮名の字の紙片(これも姪っ子が見つけておばさんの字じゃない?と)も挟んでありました。この若いころの死と隣り合わせの数年の療養生活の経験があったからか、父は、晩年のベッドとソファと食卓椅子だけの生活にも一度も不平を漏らさず、かえってヘルパーさんが仕事がしやすいように体や足の角度を変えたりの気遣いを怠らず、帰り際にはハイタッチでお別れしたりしていたのかな・・・と思っています。

8月26日に入院して、リハビリの若い女性にサラリーマン時代の話をしたというのを聞いて無口な父が…と3人で驚きました。9日の夕方、急変して電話をもらって駆け付けた母が「いい人生だった、楽しかった、ありがとう」と言うのを聞いて旅立ちました。母が良い亡くなり方だったと満足しているのもわかります。長生きの賜物です。

その母、処方される大量の薬に90歳過ぎて薬で生かすことないのに…と不服気味ですが、かと言ってお医者さんに断ることもできず、それでも痛み止めを少なくしてもらうことになって喜んでいます。薬で生かされている・・・ということをどう捉えたらよいのか私たち夫婦も考えてしまいますが、これが現実です。句会へは行かなくなった母ですが同人誌への投句は続けています。

  夫の忌 集うはらから 雲は秋

  日日草 わたし小さく なるばかり

 

ところで、父の思い出話をするつもりではなかったのですが、ついつい。実は、最近、ノートパソコンを開けないでスマホでブログをチェックしたりブログ友さんのブログを覗いたりしているのですが、記事の下に”関連記事”がならび、次いで”注目記事”に自分の過去のブログが並んでいます。先日、「風の電話」を久しぶりに読んでみました。

「風の電話」は勿論2011年の東北大震災の津波の犠牲者とその遺族に関係するお話なのですが、私は家長役を自ら担う健気な15歳の少年を通して、逆に、自死する子どもたちや、虐待で生命のツボミのうちに果てる子どもたちに思いを馳せてこう書いていました:

13歳の少年も、家族の一員として、芽生えた自我を通して、両親や祖母、兄弟への思いやりをはぐくみ、降りかかる理不尽な難題と精一杯戦った戦死者ですね。日本は、この頃からずっと未だに、これから伸び行く若い芽を摘み取ってしまう社会であり続けているわけです。これ以上、幼い戦死者を出すような社会であってはならない。今苦しんでいる少年や少女たちも、八戸の少年のように、どこかに「風の電話」の代わりを見つけて、一歩踏み出す勇気を持ってほしい……否、「風の電話」を設置する気持ち、誰かの「風の電話」になる優しさこそ求められているのかも……虐待やいじめ、小さくて弱くて清らかなものほど犠牲になる、荒(すさ)んだ暴力的な世の中を大人たちが作ってしまっているのですね …可哀想でなりません。

ちょうど今、目黒区で昨年3月両親の虐待で死亡した船戸結愛ちゃんの裁判が開かれているときと重なりました。幼い子どもたちが犠牲になるような社会というのは自滅する社会ですよね。今日本の危機的な状況というのは、経済でも政治でも文化的な面でも顕わになって来ていますが、それが一番弱い部分に顕われているのが子供のいじめと虐待です。それが一向に無くならないというのが日本のどうしようもないところです。と思っていたら、「風の電話」が映画になるというニュースが朝日新聞に載っていました。
ところで私の微熱、一向に治らず、土曜日は耳鼻咽喉科で喉の奥を調べてもらいましたが大したことはないとのこと。今朝はクリニックで7日分のお薬をもらってきました。年を取ると治りが遅いと言いますが、一月覚悟。今回はやっと7日分のお薬が出ましたので来週あたりで治るかな。微熱も7度台に入るとボーとして何もしないでいるのですが、この間、一冊だけ文庫本を読みました。スーパーマーケットの書籍コーナーで見つけた冲方丁「十二人の死にたい子どもたち」(文春文庫)です。映画化もされたそうですが、冲方丁(うぶかたとう)さん、ブログでとりあげたはずと先ほど検索したら日経の記事で「ドレミファソラシド」が気になって音楽嫌いになったけど、大人になって謎が解けたという…あの記事の主でした。

小説の内容は廃病院にSNSで自殺志願した12人が集まってくるが、並んだベッドに一人先に寝ている(寝かされている)13番目の人間がいることから、殺したり殺されたりはしたくないと謎解きの話し合いが始まるというサスペンス仕立て。孤立していれば死にたくなっても、人と話しているうちに死にたい理由がなくなってくるというお話ですが、とにかく未来ある若者が大人になる過程でくじけないで何とか生きながらえてほしいと年長者である私は願ってやみません。