ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界〜歴史から何を学ぶか〜 」(その2)

NHKETV特集(4月4日)

◎それでは昨日のブログに続いて書き起こしで「その2」を:

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 パンデミックが変える世界〜歴史から何を学ぶか~
     ~歴史の教訓から今後の先を見通す知恵を探る~

河岡さんは今回の新型ウィルスにどのように対処すべきだと考えているのか?

河岡:感染症をコントロールするのは難しくない、感染している人に近づかなければ絶対に感染しない。ものすごく簡単。

ヤマザキ:仏教的!

河岡:いえいえ、科学的! もし、近づく必要があるなら完全防御で行けば絶対感染しない。すごくコントロールできる。あれで放射能は防げないけれど感染症の病原体は完全に防げる。

ヤマザキ:皆があの仕様で外に出てれば感染しない。あの防御服は実は17世紀のイタリアで出来ている。(河岡:へぇ~っ!?)

ヴェネチアに行くとよく仮面、カーニバル用のきれいな仮面を売っている。あれは実はペストが流行した時に発案された。

あれを付けて仮面をつけて効果を発揮した。

くちばしは、もう死んだ人もいたので臭いを防ぐためで、元々はペスト用の防御服。

N : 2月24日、国の新型コロナウィルス感染症対策専門家会議で河岡さんは提言を行っている。

河岡:今回のウィルスはもっと前に情報があれば明らかに防げた。12月末に武漢で大流行していた。その情報を知り皆が理解 していたら、いくらでも防ぐ手段があった。でも、想像力が足りないからこんなことになった。

ヤマザキ:情報は当てにしてはいけない。情報操作という、私たちが及ばない何かが働くこともある。そうなると後は想像力

河岡:想像力があれば、こんなに出歩いていない

専門家会議で話題になっていたのは、最悪の事態を見せよう。こういうことが起きないために、こういうことをしましょうと。海外であゝいうことが起きて初めて日本で今何をしなければ、こういうオーバーシュートが起きますよと言えた。最悪を想定して最大の防御を準備してガードを開けたら下げていけばいいが、それが何故か実行できなかった。

ヤマザキ:想像力が何故はぐくまれないかというと、歴史漫画を学んで想像力をふくらませていけばいいのかなと・・・

河岡:1918年にスペイン風邪が流行した時、なにをやっていたかというと

ソーシャルディスタンス・人と人の距離をとることで感染を防ぐこと

近づかない事、あれから100年以上たっているのに、今我々が言えることはそれぐらいしかない。感染しても大丈夫なワクチンがすぐ出来るわけでなく、病原体の増殖を抑える薬があるわけでもない。ある病原体に特化したものではなく、共通のいろんなものに効果のあるものを開発しなければならない。考え方を変えていかないと、同じことを繰り返すことに。そう、違うアプローチをしないと。

  人類とウィルスの闘いは今新たな局面に直面している。

1918年・スペイン風邪  

1957年・アジア風邪   

1968年・香港風邪     

2002年・SARS

2009年・新型インフルエンザ

2012年・MERS

2014年・エボラ出血熱

2016年・ジカ熱

N:野生動物に由来すると考えられるウィルスが特に2000年に入ってから次々と発生するようになった。その要因として考えられるのが環境破壊が野生動物の生態系にもたらす深刻な影響です。

 (1)地球規模で進む温暖化(2)熱帯雨林の破壊 (3)無秩序な都市開発

その中で人間と野生動物の距離が近づき、新たなウィルスを人間社会に呼び込む要因なっている。

磯田:パンデミックは過去100年に1回だったのが今は10年に1回以下になってる。1回起きると世界人口の数%が亡くなってもおかしくない。どんな戦争よりも恐ろしいという自覚のもとに考えないといけない。

山本:頻度が多くなっている1つの原因は、我々の無秩序な生態系への進出、例えば熱帯雨林に入って行って開発を行う。あるいは温暖化によって野生動物の生息域が少なくなる。そうしたことがすごく影響している。ウィルス自体が目的論的に動くことはないけど、ウィルスが本来宿主としていた野生動物の生息域が狭くなってくると新しい宿主を求めるがごとく人に移ってくることがある。

ヤマザキ:あとテクノロジーの進化。何より過去であれば一部の地域でとどまっていたはずのウィルスが私たちの進化した移動手段によって世界中に蔓延するようになった。

山本:そういう意味ではウィルスって昔からあるように見えるけど、人類史的に見ると人が文明を持って都市を造り、それが交流していく中で広がってきた極めて新しい病気といえる

磯田:ウィルスはこの世の中に360万種くらいある。人間にやってくるウィルスはいくつあるかと言えば今回7つ目。戦後になってから4つ。

何時から人間に来たかと言えば、1万年前で牧畜が始まった頃ではないか。ヤギや羊と一緒に暮らし始めた頃人間に・・・

山本:今残っている4つのコロナは最終型とみているわけで、コロナはいつも、ある種人(ひと)社会に定着をチャレンジしていて、消えたコロナもあったがこの4つのコロナはどこかの段階でパンデミックを起こしていて通常の風邪を起こすコロナになっていったと考えるのが多分正しい理解。

磯田:人類と共に生きていくことになってしまったコロナウィルスがある。ひょっとすると宗教の始まりも、牧畜が始まって感染症に直面した人たちがって経験して生じたものであるかな~と考える。農耕が始まると大きな都市が出来るから文字も出来るし宗教も発するかも。同時に感染症による大量死が起こる。

ヤマザキウィルスはウィルスで 生き方を考えるということ。

山本:そうですね、まさに文明が感染症のゆりかごだった。

 磯田:感染症は歴史上常に偏見が伴いますが、この問題、どう考える?

山本:感染症では隔離を行うという政策を行うことが大切になってくる。隔離を行う対象は自分たちと違う人という考えに傾きがち。でも、歴史から学ぶことは、感染した人が悪いんではなくて、それは偶然であって今はこの人だけど次は自分だと思うと、偏見とかデマとかは(感染症を)他人事(と捉える考え方)であって、自分とは違うこいつを隔離しようとなると、感染症を抑えるという側面から見ても決してプラスにはならない。

世界が混迷を深めている中注目されている発言がある。

イスラエルの歴史家で「サピエンス全史」などの著作で知られているユヴァル・ノア・ハラリ氏による提言です。 

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第1の選択

全体主義的な監視」:感染拡大を抑え込むために国家がテクノロジーを駆使して人々の行動を監視して制限すべきか、:あるいは

市民に力を与えるエンパワーメント」:情報公開を徹底して人々の不安を取り除き市民の自己決定力をたかめるか。

 第2の選択

国家主義による孤立か

 

グローバルな連帯か

 

 

 

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 ハラリ氏の投げかける2つの問いに私たちどのようにむきあえばよいのか? 

磯田:監視か自由か、分断(孤立)か連帯か?っていうのは、完全な答えがあるのではなくて、場合、場合が結構あると思う。

監視という点では、最先端の監視技術を使って国民をというのはハラリのいるイスラエルですよ。携帯電話で人間の動きを読んで周りに感染者がいたら向こうの側からメールで知らせてくれる、というか知られてしまうというか、そこまで徹底的な闘いにさらされた国のものを我々は良いものとして・・・

価値観も変わると思う。それがどっちに変わるのかは、ある種の心配も持っている。我々西洋的な自由と人権の価値観、意思の自由を尊重するという価値観、しかし、感染者を封じ込めるという点だけで言えば、必ずしも抑えることが出来ないというのを見てしまった場合、強い権威主義国家といわれるような国々、法よりは人の支配で上から落として病気に勝ったと言い始めると、価値観自体も変わる恐れもある。

(収録3月27日)日本がとっているのはマイルドな対応、いきなりドンと上から落として法律で強制するというよりは要請と自粛という、立法措置よりはお願いを政府は行い自粛で応える。わりと横の目を気にするのでウチだけ大々的にやるのもとかなり無言の強制力が働く。もう一つ、わりに衛生観念と民度の高さで、部分的な経済活動の制限でとりあえずこの2か月は来れている。これからこのまま行けるかは分からない。都市封鎖とか外食全面禁止とか生産がイタリアのように止まってしまうシャットダウンとかよりは、大規模イベントの中止とか休みはあんまり人の集まる所へは行きますまいというようなところから始まって急に規制から始めるというのではないこれまでのやり方が本当に正解となるかは分からない。

山本:我々の社会がどこに価値観を置くか、経済的な成長に価値観を置くか、あるいは単に生きていること自体なのか、生きていく行為そのものの充足感なのかによって、監視の方がよいのか、市民のエンパワーメントによって皆で立ち向かう方がいいのかになると思う。個人的には、それは皆が連帯して立ち向かっていく、その中でしか自分たちで自分たちの人生を生きているという充足感は得られないと思う。監視の中で隔離されて生き延びたよりは・・・。

磯田:一方、分断か連帯か。一国主義が良くないことは分かるけど、例えばウィルスが急速に広がり始めた初期だとか、移動の分断を一国中心主義と間違えてはいけない問題ですが。あるいはワクチンの開発とか医療資源の融通という点では絶対世界が連帯しないといけない問題。

山本:世界同時多発的パンデミックであっても地域ごとに差がある。人的・財政的資源をその時々苦しんでいる場所に集中していくべきだと思う。国内的にそういうことが考慮されるが、それが国際的にも出来るとすれば21世紀の協力の在り方としてあってもいい。

磯田:二者択一で、どっちがいいとも言えない現場もありますね。

山本:どの国がどういう対策を選ぶにしても、それは自分たちが考えてそれが必要だと思ったうえでということが重要で、決して上から与えられたものであってはいけなくて、それだと長続きしない。今のパンデミック少し長期戦の構えをしなければならない。その時必要なのが自分一人一人の考えた結果の行動が大切

ヤマザキ:イタリアのことを考えると、高齢社会だということも勿論ある。あれだけ個人主義でむしろ帰属を嫌う国民でまとまったりするのが嫌いな人々が、この期に及んで首相が何か言うと皆テレビの前で聞く、終わると聞いた?と電話する。妙にまとまる所でまとまっている。仲が悪くてもそんなこと言ってる場合ではなくて今は結束しなきゃ力を発揮できないところがある、と自分たちの頭で考えてやっている。

山本:自分たちの頭で考えたうえでその選択をしていく。上から与えられたものを無条件、無批判でなくて考えたうえで選ぶ。そこで必要なのが正しい知識の普及。みんなが判断できる材料をたくさん持つということ。

磯田:信頼度の高い科学的情報の共有が世界でグローバルになされる。これは極めて歴史の教えるところである。でもしかし身を守るという点では21世紀は18,19,20世紀とは違く局面に来たなとも思う。

19世紀、国を守るということは一国主義の国民国家が角突き合わせて国旗を振ってお互いの国同士で近代兵器で戦いあったわけだけど、人類共通の課題が現れて大量に国民が死んでしまうことを考えると新しい形の国の守り方を考えないといけない

今回自衛隊の人が頑張ってくださって厚生労働省が感染者を出しているけれど、あれだけクルーズ船に入って移らずに帰ってきているのは、BC(生物化学)兵器に対する意識があったからで、これを学ぶべき点であって、とすると戦闘機や高い兵器と同じくらいの額を使って最新式のマスクやECMO(人工心肺装置)などの国民を守ることのできる装備を国家が備えて税金を払ってよかったと思うような国家づくりは21世紀半ば以降の国家の在り方かもしれない。

山本:そうなんですよ。

磯田:ここで本当に我々の将来にとって何が大事か、本当に速いスピードでウィルスが変異して我々に何度も襲い掛かって来ています。繰り返すようですがコロナウィルス、短い期間で3回も人に来るのが増えた。今後はハッキリ言って人工知能の時代でゲノムを編集するというようなこともある場合、ウィルスの変異というのは、前だったら国家レベルでないと研究の対象でなかったものを、もっと小さな集団がひょっとするとテロとかを起こしうる世界で我々は生きなければならない時に、本当にこの問題を一回で終わるという問題でなく真剣に深いレベルで、文化だとか安全保障とか価値観とかってレベルで、巣ごもりしながら考えるべきではないかと思います。

山本:本当にそれ、すごく大切なことだと思います。

ヤマザキ:応用ですよね。こういう事態になったときに、これまで考えたことのないことを考えてみたいというか、やってみたことがないことを試してみることも大事だし、既存の考え方に依存しないことも大事だしすごくこれはある意味で試されているということかなと思いましたね。

f:id:cangael:20200413115947j:plain(おわり)