28日の仁坂和歌山県知事のメッセージと今年の終わりに

 2020年、今日は12月30日、生協のお正月用品の配達も終わり後大晦日1日を残すのみですが、突っ走った感のある今年をまだ振り返るような心境にはなれていません。が、このブログ、12回目の年末ですので年の瀬のご挨拶を。

 その前に、新型コロナウィルスについて、28日の仁坂和歌山県知事からのメッセージをご紹介です。国がこの先進的で科学的なコロナ対策から学ぼうとしないことが残念ですが、ぜひ一読を。最後の県民への訴えに沖縄戦の最期を伝えるあの有名な電文が引用されています。それほどの緊急事態であるということですが:

知事からのメッセージ 令和2年12月28日 | 和歌山県 (wakayama.lg.jp)

新型コロナウイルス感染症対策(その47) ‐データの示す急所‐

から、最後の箇所を引用です:

 いつかこのコロナとの闘いは終わります。しかし、終わるまで、県民の生活と経済と安寧を守るため、公僕たる保健医療行政に携わる公務員は頑張り続けなければなりません。年末年始の休みもなく働き続けてくれています。そこでお願いです。かつて沖縄戦の際に、大田司令官が大本営に打電したあの言葉「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。」のように、後世すべての県民は、この行政に携わって奮闘した職員のことをどうか記憶に留めてもらいたい。それが私の願いであります。
 

 12月25日コロナに関する菅総理の記者会見がありました。その際、尾身分科会座長は、「コロナ対策には急所があるんです。」と言って人々の守るべき生活態度を示されました。しかし私は、急所は、しかももっと大事な急所は別にあると確信しています。それは知事の配下にあるすべての公の資源を投入して、感染症法を用いてきちんとした保健医療行政を展開することですしかも、現実のデータに基づいて科学的、論理的考察から技術を高めてこれを行うことです。その確信は上記に示したような現実のデータを科学的かつ論理的に考察することから出てきます。

さて、私の今年、思いがけないことばかりでした。まず年明け、神奈川の末の妹から癌、それも末期の癌だと知らされた事。7月に会って、その後8月のお盆前にとうとう逝ってしまいました。入院している妹と携帯電話で何年か分の話をし、まだ見る気になれませんがラインのメールには言葉も残っています。

そして、10月に99歳になった母のこと。昨年12月に言い出した施設入所、3月には入りたいといっていましたが、空きがなく6月を待っているうちに家で転んで2度目の大腿骨骨折、コロナ禍のなかの入院でしたので面会もなかなかかなわず、入ったっきりで再手術と手の骨折、その間に妹の死去もあり、やっと9月中頃に退院、入所となりました。家に帰らずの入所の為、毎週、届け物を続けながらなんとか最近は落ち着いてきました。15分の面会に必ず亡き妹の話が出ますが母なりに、”考えようによっては幸せ”と 納得させているようです。

安倍さんが止めれば少しはましになるかと頑張って?たころもありましたが、そうはいかない日本の甘くない現実です。このブログを続けながらまた考え続けてみたいと思っています。

ブログを訪ねて読んでくださった方、本当にありがとうございました。

来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。