ツバメとコロナ禍の中で映画『新聞記者』

🔲大阪でも『#週明けの強行採決に反対します』:

山崎 雅弘さんがリツイート

 fusae @FATE_SOSEI 5月17日

本日のサイレントスタンディング@御堂筋は、参加者約100名での抗議となり終了しました。

参加して下さった皆さん、告知やツイートで参加下さった皆さん、おつかれさまでした。

「自民と維新と公明がゴリ押し」覚えときましょ!

#週明けの強行採決に反対します

#0517抗議

#SocialDistanceResistance

f:id:cangael:20200517200105j:plain 

◎先週の月曜日、薬局で薬の一包化(種類の違う薬を食前、食後服用で分けて一包にする作業)に30分ほどかかるというので、本屋さん(短縮で午後からしかやっていない)のついでに駅まで足を延ばすことに。ツバメが飛んでいたので上を見ると巣が出来ていました。

箕面駅は私が高校生の頃から、といえば60年以上前からですが、木造の駅舎の時から、駅の構内に燕が巣をつくっていました。それをずっと引き継いでいるのでしょうか、必ず毎年ツバメが来て巣作りをしています。駅の方でも心得ていて糞が下に落ちないように受け皿の板が付けてあります。

f:id:cangael:20200511113940j:plainf:id:cangael:20200511114100j:plain

ところが改札口の方へ廻ると、一羽のツバメが新しい巣作りをしていて下が糞で汚れた跡がありました。どうも、駅員さんが用意した板付きのコーナーの巣が気に入らなくなったのか別に新たに作り出しているようです。ツバメと人間の攻防が続いているようです。

◎つい最近のことですが、映画「新聞記者」について書かれている記事を読みました。今頃?と思ったのですが、日本アカデミー賞で最優秀作品賞を取ってからの記事で、かつ今のコロナ禍のなかで書かれた記事(4月3日付け)ですので面白く読みました。ライターのSYOさんは1987年生まれ、「新聞記者」の藤井道人監督は1986年生まれ。30代前半の同世代、これからの日本映画の未来がかかっています。

見出しと内容の一部を引用です(全文は下の囲みのシネモアの記事で):

虚構の文脈で、現実を斬る――『新聞記者』が社会派映画にもたらした「若き感性」
新聞記者
2020.04.03SYO

f:id:cangael:20200518091108j:plain

Index
1)“攻めた”姿勢が評価され、スマッシュヒット

「明言こそしていないものの、ジャーナリスト・伊藤詩織の「性暴力被害」の訴え(本人も、公開後のトークイベントで「登場人物が自分だと思った」と語っている)や、森友学園の問題といった事件の数々が、メタファーとして(確実にそれとわかるように)盛り込まれており、フィクションの形をとりつつも、「同時代性」が非常に高い。

 劇場公開時、そうした“攻め”の姿勢が多くの観客を驚かせ、賛否が噴出。日本アカデミー賞受賞後の“凱旋上映”も合わせた累計興行収入は、6億円を突破している。」


2)「ここまで描ける」という「先例」の樹立

 「ただ、だからこそ『新聞記者』はこの国に希望をもたらした作品なのだ。「ここまでは描けた。ここから先は、次の作り手たちの出番だ」と。本作は、当代と次代に向けて「先例」を打ち立てたといえよう。」

 「国産の映画に対して、文化的な未成熟度、クオリティに対する批判等々多くの意見はあろうが、映画というのはとどのつまり興業であるため、観客がどう支えるか(援助するか)によって、その“質”は大きく変化する。新型コロナウイルスの蔓延で、“芸術力”が大いに削がれている現状。今後の日本映画の土壌を豊かにしていくのは、我々観客次第であるということを、不肖ながら付け加えさせていただければ幸いだ。」


3)“社会性”を“娯楽性”で包む妙手

「『新聞記者』は、「これはフィクションです」という体制を崩さない。こんなにも現実の事件を盛り込んでいるのに、だ。味付けも、物語の展開も、多くをエンタメの文脈で描いている。これは、「映画の力を信じている」、そして「観客を信じている」からこそだろう。


4)功を奏した、藤井監督の「若い」感性

 「この言葉に象徴されるように、『新聞記者』には映像的な“実験”が多く詰め込まれている従来の国産の社会派エンタメは、イメージとして“熱血漢”の作品が多かった。」「それに対し、藤井監督は画面に光と闇を常に共存させ、人物の立ち位置によって善人にも悪人にも見えるようなスタイリッシュな画面構成を行っている。」

 

5)混迷化する現代……『新聞記者』は終わらない

「『新聞記者』はフォーマットとしても、通例を打ち破る作品だった。そしてまた、本作が成功を収めたことで、後続の作品が製作しやすい環境になっていくだろう。日本映画のこれからを考えたときに、これは明るいニュースと呼べるのではないだろうか。」

「機能しているのかどうかすら怪しく、国民が国家をいぶかしく思ってしまう状況――そういった意味では、映画が描くべき“政治のいま”というのは、『新聞記者』公開後の、この1年弱でさらに増えてしまった。今もこの先も、『新聞記者』が終わることはないのである。

 今まさに胎動を始めた、現代史始まって以来の混迷期に、どんな日本映画が生まれていくのだろうか。『新聞記者』チルドレンの台頭を、皆が待っている。」

◎昨年、この映画を見たのが6月の終わりでした。そろそろ1年、この1年の間に「新聞記者」に続く映画が生まれているのでしょうか、楽しみでもあり心配でも・・・