◎夫が山仲間の一人と大峰山一泊の山行に出かけた翌日の日曜の午後、カメラを手に東に向かって散歩に出かけました。写真は唐池公園のモニュメント「愛 父母子の像」:三体が一つのモノを抱えている。「そのどれ一つが欠けてもくずれてしまうであろうものを」と書かれている。
唐池公園を通り抜けて住宅街を抜けるところの小さな公園に咲く白い花。
紫のヤブランの奥に今頃くちなしの花が。
匂うかなと顔を近づけるといい香りがしました。
アメジストセージと萩の花も。
第二中学校の正門前、豊能障害者労働センターと南隣の教会の前の道を南に下って東に折れて鍋田川沿いに北へ向かうことに。今日は初めての道です。行き止まりになれば引き返せばいいと思って未知の道を選びました。川の中には赤いカンナの花や黄色い花が咲き群がっています。
川筋に沿った道はかなり広く、東側は手入れの行き届いた畑や田圃が続いて色づき始めた柿の木も。
途中から、これは曲がり池に通じる道・・・と分かってきました。そういえば曲がり池の横を走る鍋田川沿いを南に下ったことはなかったのです。何年か前、曲り池の南の田圃のススキの写真を撮ったことがありました。その東側は昔は墓場でした。
中学校の同窓生のMさんがバイクの後ろに乗っていて交通事故にあって亡くなり、先生からの連絡で高校生になっていた私とS君がお葬式に行きました。その時見た焼き場がこの辺りにありました。その頃二中より東のこの辺りの萱野地区に入るのは初めてでした。
彼岸花に導かれてお墓の北側、入口の方に向かいました。萱野霊園です。
細い道を住宅の方へ抜けると家の前で一人の女性が立っておられました。少しお喋りして箕面の方へ戻ることに。人権センター前から曲がり池へ。
池の手前、この道から焼き場を見たので、それが今見てきた萱野墓地のあたりだから記憶に間違いはないようです。田圃には機械を使わずに鎌で刈り取った稲を稲架に一人でかけている人がいました。一人でも最近は機械を使っておられるので珍しいと思いました。
曲がり池の北側からあの途中で道路工事がストップしている行き止まりが見えます。
川の中にアオサギかな、私に気づいて飛んでいきました。
彼岸花を写して歩いたのはこの少し上流にかかる竹下橋を渡って北側でした。
住宅街を突き抜ける道路計画は住民の反対で今のところ取り下げられたと「もみじだより」にも載っていましたので、工事もストップです。鍋田川の東側、昔近所の方たちが花を植えていた跡が草や花が生い茂る空き地になっていますが、そこに今年もコスモスの花が咲いていました。
◎前日の土曜日、手紙を近くのポストに投函して引き返してくると、向こうに自宅から道路向かいの息子さん宅へ歩いていくMさんを見かけて手を振りました。近くまで行ってやっと私だと気づいてもらえましたが、一緒に自治会の役をしてそれ以後数年折り紙を習っていてお互いの茶の間を行き来した仲です。近くにいたのに60代になるまでお互いに知らず、Mさんは実家が京都で私と同い年。折り紙をしている頃は100歳のお(義)母さんがおられて、その後亡くなられたと思ったら直後にご主人も。あっという間に独り暮らし。幸い二人の息子さんたちがそれぞれ家庭を持ってすぐ近くに家を建てて住んでおられるという。お孫さんの幼稚園の送り迎えで桜並木の途中で待っておられたり、お孫さんと一緒の時に出会ったりしていました。
先ずは私の方から、いろいろあってね、と母のホーム入所希望のきっかけとなった102歳で亡くなった父の昨年の一周忌とその後の私のダウン、そして今年に入ってから伝えられた末の妹の癌と8月のお葬式、母の大腿骨骨折と手術その後の再手術と手の骨折による約3か月半に及ぶ入院生活と先月18日の念願の介護付き老人ホーム入所のことなどを話しました。「座ろか」とMさんに言われて勝手口まで行って外にある木のベンチに二人で座ってお話することに。
京都式のゆっくりとした話し方で「大変やってんね~私の方も色々あってんよ~聞いてくれる~」と。聞いてびっくり、Mさんは今年初め左手にだるいような動きの鈍い違和感を感じて、おかしいから息子さんに病院に連れて行ってほしいと頼んで、吹田に移転した循環器センターへ。そこで血管が詰まっていると言われ、血の塊が心臓や脳に行ってれば大変なことになるところだったそうです。手術をしてリハビリをしてやっと何とか・・・と言う話に本当に驚いてしまいました。幸いどこにも後遺症は残らなかったというのでよかったね~でしたが。
Mさん「70過ぎたらあかんね~」と言いながら私を見て「あんたは元気やん」。「私が元気でないともうすぐ99歳になる母親がいるから、でも微熱が続いたり原因不明でまともな健康体ではないみたいだけど9月からはヨガが再開して今月からお茶も再開するので、普通にしてるよ。母からしたら後期高齢者の娘に頼るわけにいかないと去年気が付いてホーム入所を決めたみたいだけど、娘の私たち世代のことは若いとも言わない。母が『若い』と言うと80代の人たちのことだから」「そうやね~、70代はまだがんばれるかな~」「そうよ、がんばろ~」二人で励まし合って別れました。二筋北側のご近所なのに、そういえば1年以上話をしていなかったかも。70代、もう身体はあちこちガタが来る頃なんですね。自覚して焦らず生かされている間は健康で楽しくと改めて思いました。
◎さて散歩の萱野地区から我が家への帰り道、二中の北にある昔からの細い道、息子たちは二中道と呼んでいました。今は住宅街の中を通っていますが、昔私が通っていた頃は片側は畑で、我が家のある箕面の平尾地区からこの道までやってくると、出来たばかりの第二中学校のだだっ広い石ころだらけの運動場まで見通すことが出来ました。
その道を辿っていると民家の玄関先に大きなダリアの花が咲いて、そして折り紙先生のお宅の前には藤色の花が咲いていました。この道の先にポストがあって、Mさんと息子さんの家の前の道に続きます。秋の小一時間の散歩の終わりです。