◎今日12月4日は昨年アフガニスタンで中村哲さんが銃弾に斃れた日。あれから1年ですね。今朝のNHKニュースでは遺志を継ぐ現地の若い世代が農業で国を建て直すと頑張っている様子が紹介されていました。
日本では、わが大阪府、通天閣が赤いライトで照らされました。「大阪モデル 赤信号」と今朝の新聞の一面トップです。15日まで外出自粛要請です。
動かしつづける。自分を。未来を。#YouCantStopUshttps://t.co/EEkOkOOeLt pic.twitter.com/aPnZcPAO05
— Nike Japan (@nikejapan) 2020年11月28日
🔲このCMには激しい反発があるそうです。最近、権力者が批判されると差別だとか、少数派が正当な権利を主張すると「多数派の権利はどうなるのか?」と筋違いの反応を示す人たちが出てきています。物事を道理で考えないで、勝ち負けで考えている人たちが いるのでしょうね:
🔲そういう異様な反発に対して海外でも取り上げられています:
🔲 ワシントンポスト紙でも:
🔲 「東久留米日記」さんが紹介されていた記事を全文コピーです。社会的なCMがはじめてナイキに登場した2年前にさかのぼり、CMがターゲットとする世代、今回のCMが日本国内における人種差別を初めて取り上げた意義など読みごたえがあります。
引用元:人種差別を真っ向から描いたナイキのCMは、なぜ作られたか|遠藤 結万|note
私はもちろんこのCMについて肯定的な立場に立つものですが、中には不買運動などを主張したり、Twitterで怒りの感情を吐露するユーザーも居るようです。
このような怒りが適切なものであるかどうかは別にして、そもそもなぜこのような「社会的な」CMが作られたのかを解説しましょう。
話は2年前にさかのぼります。ナイキが「Just do it」キャンペーンの30周年の記念キャンペーンとして広告塔に起用したのは、コリン・キャパニックというNFLの選手です(動画のアフロの人)。
彼は優れたQBではありますが、ペイトン・マニングやトム・ブレイディのような「殿堂入り」級の選手ではありません。おそらく、ほとんどの日本人はコリン・キャパニックのことを知らないでしょう。
あなたが知っていたとすれば、NFLに詳しいか、アメリカの人種問題に詳しいか、どちらかなはずです(あるいはどちらも)。
コリン・キャパニックが有名なのはNFLにおけるプレー以上に、彼が国歌斉唱を拒否した、というその行動にあります。
彼は2016年に「人種差別がまかり通るアメリカ」に対する抗議の意思を示すことで、NFLでのすべての仕事を失いました。多くのNFLファンがキャパニックを非難し、彼は事実上NFLを追放されました。
それ以来、彼は未だにどこのチームとも契約していません。4年の月日がたった今、現役復帰はとても困難な道程です。
2018年に、ナイキはそんな彼を、30周年というとても重要な節目の広告塔に起用したのです。2年近くプレイしていない選手を。それは、ナイキにとっては明確なメッセージでした。
案の定、この日本のCMと同じように荒れ狂う怒りがSNSに溢れ、ナイキの靴を切り刻んだり、燃やしたりする人が多発しました。
さて、このCMのあと、何が起こったのでしょうか?
ナイキは株式会社であり、利益を最大化することを目的にした企業です。そして、簡単に言えばこのキャンペーンは非常に効果的でした。
結果として同広告は、24時間で4300万ドル(約47億5000万円)相当のメディア露出価値という驚くべきエンゲージメントを生み出し、直後のオンラインで驚異的な売り上げを記録。そして、同社史上最高値の株価となる86.06ドル(約9638円)を更新するなど、18年6〜8月期決算で売上高が前年同期比10%増の99億5000万ドル(約1兆1144億円)という成長を支える要因となっていた。ナイキのコリン・キャパニックを起用した“炎上”広告が、広告誌の最優秀賞を受賞
ということで、冒頭の質問……「なぜこのような『社会的な』CMが作られたのか?」に答えるのであれば、それは「それが売上につながっている」ということです。
彼らがターゲットにしているのは、社会問題に関心を持ち、人種差別に怒り、またそれらをSNSで拡散する力を持っているミレニアル以降世代、つまりZ世代などであり、ニューズウイークの言葉を借りれば「年長の怒れる白人男性」ではない、ということです。
市場調査会社NPDグループのシニア・アドバイザー、マット・パウエル氏は、不買運動はやがて収まるとの見方を示した上で、「年長の怒れる白人男性」はナイキの主要ターゲット層ではない、と説明した。最終的に勝つのはナイキか、国歌斉唱で起立拒否の選手の広告起用で
ということはつまり、日本においても、今このCMに怒り狂う人たち……つまりは「年長の怒れる男性」はターゲットではない、ということになります。
だから、例え彼らが怒ったとしても、ナイキは自らのブランドイメージが持つ物語……つまり「周りの状況に負けずに自らの限界に挑戦し続ける」という物語を、発信し続ける、ということです。
ところで、このCM、私が感じた最も素晴らしい点は、「今日本に存在する」人種差別をきちんと描いていることです。アメリカの「黒人差別」という問題は、日本人にとってはどこか遠いものとして描かれがちです(日本においても存在するのですが)。
アメリカは差別的だが、日本はそうではない、というような間違った認識を描いている人もいる。アメリカのCMをそのまま輸入して翻訳するだけでは不十分なのです。
近年大坂なおみ選手を筆頭に、多様なルーツを持つ選手が注目されています。しかしこのCMではそれだけではなく、在日朝鮮人や民族衣装を着る少女など、日本に根深く存在する朝鮮人差別を描いている。これは、日本の広告史においてはエポックメイキングな出来事ではないか、と感じます。
BLMなどの「海の向こうの」問題が、我々の日々生きる社会と地続きであることがよく分かる構成になっているのではないでしょうか。
さて、ここまで書いてきましたが、ナイキのこのCMは商業的な実績に基づくものであり、それが商業的な意味を持つものであれば、これからもこのような形のCM・プロモーションは作られ続けるでしょう。
ターゲットではない人たちを置いてきぼりにしながら、社会は変わっていきます。
さて、もしあなたが「怒れる年長の日本人男性」であるならば、おそらくこの記事を読んでも怒っているでしょう。怒りを鎮める役に立つかはわかりませんが、そんな方に向けた、詩の一節をご紹介します。
そこは年老いたもののの国ではない。(That is no country for old man.)ウィリアム・B・イエーツ「ビザンティウムへの船出」#マーケティング